第19話 デートのお誘い
アパートに辿り着くと、アメリアはドーナツの入った紙袋を抱えて自分の部屋へと姿を消した。オーディションに向けて、台本チェックやら漫画の読み込みやらをするつもりなのだろう。オーディションの日程は、もう来週まで迫っているのだ。
アメリアの背中を見送り、文則はラウンジへと入る。渇いた喉をとりあえず潤しておきたかったからだ。
「お。今、帰ったのか?」
ラウンジには、雄星と絵麻が先にいた。雄星はコンロでお湯を沸かしていて、絵麻はソファでくつろいでいる最中のようだった。手にはタブレットを持っていて、鼻歌交じりに画面を覗き込んでいた。
「おー、ノリフミ君おかえりー」
こちらは顔も上げずに、そう声をかけてくる。
「あ、はい。ただいま」
「コーヒーでいいか?」
ドリッパーに豆を入れながら、そう問いかけてきたのは雄星だ。
「いいんですか?」
「気にすんな。オレと絵麻の分を淹れるついでだよ」
「なら、お願いします」
うなずき返すと、絵麻の隣に文則は腰を下ろした。
横からタブレットの画面を覗き込んでみると、表示されているのはテキストだった。指でスクロールさせながら、絵麻の目は文章を追っている。
「それ、なんですか」
「新作の脚本~」
問いかけてみると、そんな言葉が返ってきた。
「新作っていうと……」
「この間みんなで話した、ボルガノンのアニメ版! 原作では敵設定のキャラに焦点を当てた、いわゆるスピンオフ作品だね!」
みんなで、と絵麻は言ったが、実際に話をしていたのは絵麻と沙苗、そしてアメリアだ。そこに文則と雄星の二人は加わっていない。
そのことが、少しだけ胸に引っ掛かる。しかし、文則はそのことを表情に出すことは避けた。
「脚本、もうできあがったんすか」
代わりに口をついて出たのはそんな言葉だ。
「そそ! さーながねー、徹夜で爆速で仕上げてきてくれたばっかりなんだぞ! おかげさまで今ごろさーなは爆睡だ! 爆眠だー!」
「……沙苗ちゃんは沙苗ちゃんで、ブレーキぶっ壊れてやがるからな」
そうボヤくのは、出来上がったコーヒーを運んできた雄星だ。
「見てるとハラハラさせられるよ、正直。もういい加減、若くねえんだし」
「そりゃ、俺だってそう思いますけど……少しは休めって言って聞くような人でもないですから」
「ま、それは確かにな」
対面に腰を下ろした雄星が、コーヒーを口元に運びながら皮肉気な笑みを浮かべてみせる。
そんな彼の気持ちが文則には分かった。多分、沙苗は休めと言われると、意固地になって余計に頑張ろうとするタイプの人間だから。
「おおー! これはヤバい……何度読み返してもヤバい……傑作の香りがぷんぷん匂うぜ! た、た、たまんね~!」
そんな二人の横で、空気も読まずに興奮気味に言い放つのは絵麻だ。目が表情が輝いている。彼女が子どもじみたわくわくに胸を高鳴らせているのは、一目瞭然であった。
「ノリフミ君もちょっと読んでみてよ! この感動を、わたしと一緒に共有しようぜ~!」
超ハイテンションで、絵麻がぐいぐいとタブレットの画面を物理的に顔面に押し付けてくる。
「わっ……ちょ、痛い痛い押しすぎですってセンパイ!」
「そうなの推しがもう尊いんだよ~! くっそ~、悪役な推しの哀しい過去ってなんでこんなに涙腺直撃するんだろうね!」
「そっちの押しじゃないんすけど!?」
そんなやり取りをしている二人に、雄星がどこか面白くなさそうな目を向けてくる。だが、そのことに気づいた文則が雄星へと視線を向けると、彼はコーヒーを口に運んで表情を隠した。
「……雄星さん?」
「どうした?」
「いや、今、なんか……」
言い淀む文則に、雄星が真意の見えない薄い笑みを向けてくる。そんな彼の表情に文則は困惑したが、しかしそれ以上の言葉を紡ぐことはできなかった。
ラウンジの扉がそこで不意に開かれたからだ。
「文則」
室内に踏み込んできたのは、部屋に戻ったはずのアメリアだった。彼女は雄星と絵麻の存在を至極当たり前のように無視して、今も絵麻に押し倒されかかっている文則へと話しかけてくる。
「あ、アメリア? なんだ、どうかしたのか?」
逆さまになった状態で、文則がアメリアへ問い返す。
歩み寄ってきたアメリアが、そんな彼の眼前にチケットを二枚、叩きつけるように差し出した。
「週末にこれに一緒に行って」
「……?」
疑問を覚えつつチケットを受け取る。チケットには、『夢の国ファンタジアへようこそ!』という文字に加えて、『ファンタジア1日優待券』という文面が添えられていた。
「これは……」
「おおー! ファンタジアランドの1日優待券じゃーん!」
興奮気味に絵麻が声を上げる。
ファンタジアランドの存在は文則も知っている。県内にあるテーマパークで、ネズミの国とタメを張る程度には知名度のある遊園地だ。
「いいなーいいなー。わたしも行きたいな~」
「文則はアタシと行くのよ」
決定事項を告げるかのように、アメリアが淡々とそう口にする。
「文則。土曜日に、アタシとここでデートをして」
突然の発言に、文則は驚きに目を丸くする。
アメリアははっきり、デートと言った。大胆な彼女の発言に、雄星がヒュウと口笛を吹く。
「デートって、なにをいきなり――」
「出てくるの」
言いかけた文則の言葉を遮って、アメリアが言葉を続ける。
「『君ヨ笑エと月は云う』の中に、この遊園地をモデルにしたテーマパークが出てくるの」
「……」
「だから取材に行きたいわ」
「……デートって、
「……? 他になにがあるの?」
アメリアはきょとんと首を傾げる。そんな彼女の態度に、文則の中で舞い上がりかけた気持ちが一瞬で落ち着きを取り戻していった。
結局はそういうことなのだ。
演技。演技。演技のことしか、アメリアの中にはいつだって存在していなくて。
文則などはしょせん、彼女が自分の道を歩くための添え物に過ぎなくて。
だからなのだろう。心に芽生えた嫉妬心が、些細ないたずらを働いたのは。
「……すまん、その日は無理だ」
「そうなの?」
「ああ。……用事がもう入ってるから」
本当は用事なんてない。だけど、これ以上アメリアの傍にいて劣等感を刺激されるのはたまらないから、文則はそんな嘘をついていた。
アメリアが、文則の顔を覗き込んでくる。透明な瞳の前ではどんな嘘も暴かれるような気がしてしまって、文則はとっさに彼女から視線を逸らした。
「…………」
五秒だろうか。十秒だろうか。
文則には永遠にも思える、しかし実際はそうでもないのだろう沈黙の時間を挟んでから、アメリアは再び口を開いた。
「そう。文則が無理なら、仕方がないわね」
「ああ。だから悪いが――」
「なら雄星。お願いするわ」
もう文則には興味はないとばかりに、アメリアは雄星へと向き直っていた。
文則が口にしかけた言葉など、彼女はまるで聞いていない。この場の誰にも届いていない。わずかに空気を震わせて、虚空へと消えていくだけだ。
「オレに、取材に付き合えってか?」
確認するように、雄星がアメリアへと問いかける。
「そうよ」
「取材に付き合うったって……オレはなにをすればいいんだ?」
「難しいことは、特になにも」
「へえ?」
「漫画のシチュエーション通りに、アトラクションで遊んで、観覧車に乗って、最後には噴水の前でキスをする。それだけよ」
アメリアの言葉に、もっとも大きな反応を示したのは絵麻だった。
「そっ――」
弾かれたように立ち上がって、彼女は口を開きかける。落ち着きのない様子で手足をそわそわと動かしながら、絵麻は雄星を見て、アメリアを見て、そして再び雄星へと視線を向けた。
「そ……そんなのっ」
なにか言おうと口を開くが、しかしそこから先の言葉が出てこない。
やがて絵麻は力なく肩を落としたかと思うと、力のない足取りでその場を後にする。パタンと、寂し気な音を立ててラウンジの扉が閉められた。
「それで、雄星。取材に付き合ってくれるかしら?」
「……アメリアちゃんのその心臓の強さには、さすがにオレも舌を巻くよ」
肩を竦めてみせる雄星。しかし、そんな彼に対して、アメリアは透明な視線で質問への回答を促していた。
「……ま、オレでよければエスコート役を務めさせてもらうとするさ。可愛い女の子の頼みを断るのは主義に反するからな」
「助かるわ」
短くうなずくと、アメリアはそのまま踵を返す。
文則には一瞥もくれなかった。
「……マジで行くつもりですか、雄星さん」
アメリアの去ったあと、ソファから身を起こした文則がそう問いかける。
「ん? ああ、言ったろ。かわいい女の子の頼みを断るのは主義に反する、ってな」
「……でも、雄星さんだって分かってるはずなんじゃないですか」
「絵麻のことか?」
「……っ」
いきなりそう切り返されて、文則は思わず気おされてしまう。
けれど、絵麻の気持ちを思うと、ここでなにも言い返さないまま済ませるわけにはいかなかった。彼女は雄星のことが好きなのだから。
「知っているのなら、なおのこと……なんで引き受けたんですか!?」
「本当は特に予定もないくせに、誘いを断った後輩がいたからだよ」
「……っ」
「あ、そういう反応するってことはやっぱ図星なんだ?」
カマをかけられたことに今さら気づくが、もう遅い。非難がましい視線を文則は送るが、雄星は涼しい顔でそれを受け流した。
「なんだ文則。文句でもあんのか? むしろそこは『わたくしめのケツを綺麗に拭いて下さって誠にありがとうございます』って、床に額でも擦り付けるようにして感謝にむせび泣くところだろ。違うか?」
悪意的な物言いに、文則はなにも言い返せない。彼は文則の図星を完全に見抜いていた。
「やっぱり代わってくれってそっちから頼み込んでくるなら、オレの方だって考えるけどな? ケチをつけたいだけならよそでやってくれよ、ノリフミ君?」
煽るようにそう言うと、雄星はすれ違い様に文則の頭をポンと叩いて扉へと向かって歩いていく。
そして去り際に上半身だけで軽くこちらに振り返ると、
「あ、そうそう。あとは洗い物だけよろしく頼むわ」
とだけ言って、そのままラウンジから出ていってしまった。
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