第18話 だからあとは掴むだけ
放課後になってから、アメリアのクラスへと向かう。
教室に辿り着いて中の様子を窺ってみると、アメリアは机の上に広げたノートに、なにか書き込んでいる最中だった。傍らには、漫画も数冊、積み上げられている。
「なにをしてるんだ?」
近寄って話しかけると、アメリアが作業の手を止めて顔を上げる。その顔つきは、いつものぼんやりとした表情とは異なっていた。
「恋ヶ窪躑躅について考えているの」
傍らに積み上げられている漫画のタイトルはいずれも異なっている。だが、それらの作者はすべて同じ。恋ヶ窪躑躅その人の作品だった。
「オーディションで受けるのは、ひとつの作品だけじゃないのか?」
「作者のことを知るのは大事よ」
漫画の表紙を、そっとした手つきでアメリアが撫でる。
「人物の造形、物語の流れや構成、舞台背景や世界観、設定に至るまで、すべてを産みだした親だから。作者のことを知っているのといないのとでは、演技の質もまるで変わるわ」
文則では、その言葉の真意を理解することなど到底できない。当然だ。文則は演技のことをなにも知らない。
だが、彼女の出演したアニメを観た今となっては、そういうものなのだろうと納得することしかできない。少なくとも、アメリアは演技について語るだけの資格と実力を確かに備えているのだ。
「……帰るぞ」
文則がそう促すと、アメリアは軽くうなずいて荷物をまとめた。
身支度を整えた二人は、そのまま学校を出る。
帰り道。文則もアメリアも、無言だった。その沈黙を、文則はなんとなく気まずく感じてしまう。
気まずさの理由ははっきりしている。『ハイツ柿ノ木』を出ていくという話を、彼女に聞かれてしまったから。だから、アメリアは普段通りに振る舞っているにも関わらず、文則の側で勝手に気まずくなってしまっている。
沈黙を雑談で埋めたくなって、文則は口を開いた。
「あー、その……アメリア」
「なに?」
「えっと……そうだな、いい天気だなー!」
アメリアが空を見上げる。今日は生憎の曇り空だった。
「そうね」
顔を真っ直ぐに直したアメリアが、そう答えた。
「いや、違うだろ! これのどこがいい天気だ!」
「言ったのは文則」
「それはそうですけど! いや、でも、今のツッコむところじゃないかな普通は!?」
「文則は時々、面倒くさい」
さらりと言われて気持ちが凹んだ。確かに今のは自分が悪かったと文則は反省する。
文則が肩を落としているのを無視して、アメリアが手に持った鞄から漫画の単行本を取り出して読み始める。『君ヨ笑エと月は云う』の一巻だ。
「そういえば、それってどんな漫画なんだ?」
雑談の呼び水としてはちょうどいいと思って、文則はそう問いかけた。
実のところ、恋ヶ窪躑躅の作品に文則はほとんど触れたことがない。アメリアがメインヒロインを演じた『文学姫と七つの恋の物語』を観て、恋愛色の強い作風でありながら、ミスリードやミステリー的な手法を多く取り入れている作家だということはなんとなく想像がつく。だけど、それぐらいだ。
文則の問いに、アメリアは顔も上げずに答えた。
「少女と少女の物語よ」
「……いや、もっとこう、説明のしようがあるだろ。あらすじとかさ」
「読めば分かるわ」
そう言って、閉じた本を、「読む?」と言って文則に差し出してくるアメリア。
「いや、歩き読みはマズいだろ」
「そう?」
アメリアが首を傾げる。歩きながら本を読むのが危ないということを、あまり理解していないらしい。
「二人の女の子が主人公の、涙と笑顔を取り戻すための物語よ」
単行本を鞄に戻しながら、アメリアが淡々とした口調でそう話す。
「日向という、笑顔を浮かべられなくなってしまった女の子。そんな彼女に憑りついた、
口調は静かだが、その説明は滑らかだった。何度も読み込んだからなのだろう。語るべき要点を抑えている。
「月は日向にこう言うわ。『私の心残りを救う手助けをしてほしい。その代わり、君が笑顔になれるような男の子を贈ってあげる!』と。日向は反発するわ。彼女はずっと、『男なんてあたしは嫌いだ』ってへの字口で言うような女の子だったから」
「日向にとっては、迷惑だったわけか」
「最初はね。でも、笑顔を浮かべられない日向は、友達が一人もいなかったから……」
「ああ……」
それは文則でもイメージすることができた。笑顔を浮かべられない人間と、誰がどうして仲良くしたいだなんて思うだろうか。少なくとも文則は思わない。クラスメイトや周囲の人間から、遠巻きにされている姿をあまりに容易く想像できてしまう。
「そして月にも、女の子の友達がいなかったの。彼女はとても美しい子で、笑顔一つで男の子たちを虜にしてしまうような女の子だったから。だから彼女が喪われた時、多くの男の子たちが嘆き、悲しみ、涙を流したわ」
「逆ハーレム状態だったと」
「そうなるわね。でも、男の子たちに囲まれていたからこそ、彼女は女の子の友達に憧れてもいたわ。だからこそ、日向と月はお互いに欠けていたものを補い合うことができるようになっていくの」
だからこそ、とアメリアが続ける。
「月に心を許した日向は、彼女に向かって告げるのよ。『あんたがあたしに笑顔をくれるなら、あたしがあんたを泣かせてみせる』って。だからこれは、少女と少女の物語なの。笑顔を喪ってしまった少女と、涙を喪ってしまった少女が、互いに欠けた感情を補い合っていく物語だから……」
そう言ってアメリアは説明を結んだ。
「へえ……」
あらすじだけを語り聞かされただけでは、どう面白いのかまでは分からない。だけど確かに、魅力的な設定だとは感じた。同時に、感情に寄り添った物語なのだろうな、とも。
「アタシは日向をやるわ」
アメリアが不意にそう言い切った。
「やるって……まだオーディションでそうと決まったわけじゃないだろ」
「やりたいと思った。やると決めた。だからあとは掴むだけ」
ためらいなく、淡々と断言する。
その瞳は、いつもの眠たげなものではない。獲物を定めた鷹のような瞳。獲物は決して逃さない、肉食獣のように獰猛な視線だった。
「でも……絶対に受かるって決まってるわけじゃないんだろ?」
「そうね」
「なら、なんでそこまで、やるって言い切ることができるんだよ」
文則からしてみれば当然の疑問だ。
いや、むしろこちらの方が普通の考えだとすら文則は思う。受かるかも、でも落ちたらどうしよう。受かりたい、だけど落ちてしまうかもしれない。……そんな風に、自分に自信を持てなくて弱気が顔を出すことなんて、人間だったらいくらでもある。
そんな風に思う文則に、アメリアは当たり前の表情で告げる。
「考えても意味がないもの」
「どういうことだよ」
「分からないわ」
「自分で言ったことだろ」
「最初から負けるつもりで戦うことしかできない人に、どう説明したら伝わるのかが分からないの」
心臓を掴まれたような気がした。
不意打ちに、思わず肩が跳ねる。口を開いて、だけど反駁の言葉は出てこない。アメリアになにも言い返せない。
完全に言葉を失った文則の制服の袖を、アメリアが指先で摘まんで引っ張ってくる。
「文則」
「……なんだよ」
「ドーナツ」
アメリアのもう片方の手は、通学路の途中にあるドーナツショップへと向けられていた。
「お前、ほんと、調子狂うなあ!?」
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