第16話 出ていくつもりだった
『文学姫』を見終えた後、文則は七色弥生についてスマホで少し調べてみた。
デビュー作である『文学姫』シリーズで話題になって以降、一気にブレイク。なぜか顔出しをしないスタイルに加えて、アニメ以外ではインタビューやコラム等での露出も一切ないことが、逆にファンの関心を煽ることとなっているらしい。
『あれ実は大御所じゃないの?』『あんな演技できる大御所いたっけ?』『誰でもいいけど声と結婚したい』『演じ分けがいつもヤバい。アイドル売りしてるやつらとはやっぱり雲泥の差。実力派はやっぱこうでないと』『でもライブとか顔出しとかしてほしいよな』『←それでブスだったらどうすんの?』『←声帯が美少女過ぎてもはや顔とかどうでもいいんで毎日電話してほしい』『←なにその天国』『←しかし禿同』『←禿同』『←禿同』
こんな風に、ネットのあちこちでアメリアの演技を絶賛する書き込みが見つかった。
概ねはポジティブな反応だ。時々、『顔出ししないってことはとんでもないブスなんじゃね?』みたいなものも見つかるが、その手の発言なんて文則の見た限りでは一割もない。
さらにはこんな書き込みもあった。
『アイドル売りしてないから色んな役やってくれるのも嬉しいよな。いかにもヒロインとかアイドルみたいなのばっかじゃなくて、悪役とか、汚れ役とか、そういう演技やらせても上手いし。これからの活躍に個人的には今一番注目してる』
「……」
まだ明け方で、薄暗い部屋。その中でスマホ片手に、そういった書き込みを眺めている文則は、軽い虚脱感を覚えていた。
まるで知らなかった。アメリアが、ここまでの評価を世間から受けているなんて。
全然、分かっていなかった。この一年、彼女の傍にいたにも関わらず、アメリアのことなんてほんの一ミリ程度も理解していなかった。
不意に、喉の渇きを覚えてラウンジへと向かう。
ラウンジでは、雄星がなぜか、まだお好み焼きを焼き続けていた。
「……なにしてんですか、雄星さん」
「ああ……絵麻に食わされまくったせいで、寝落ちしててな。で、ついさっき起きたとこ」
時計の針を見れば朝の四時。起きるにはだいぶ早い時間だ。
「で、起きて、まだ生地がだいぶ残ってたからな。とりあえず焼いて、冷凍保存しとくしかねえかなと」
「ああ……なるほど」
「焼けたばっかのあるから、一枚食うか?」
「いただきます」
雄星の差し出してきた皿を受け取り、マヨネーズとソースとかつおぶし、そして青のりをぶっかける。ついでにコップに水も汲んできた。
ホットプレートを前にコテを操る雄星の向かいに座って食べ始める。
「絵麻センパイは……?」
「オレが寝落ちする寸前に部屋戻ったよ。アニメ作るぞって、ものすげえテンションでな」
「なんか言ってましたか?」
「『雄星、わたし、今よりもっともっとすごくなるからね!』とかなんとか言ってたよ」
そう言った雄星が、ハッと鼻先で嘲笑う。
「今よりすごくなってどうすんだよ。変態かっつーの」
「雄星さん……」
「つーかそれ、わざわざオレに言うことか? ――勝手に一人でやってりゃいいじゃねえか」
「それは……」
絵麻の想いを知っている文則は、雄星の言葉に反感を覚えた。
だけど、口にしようとした言葉は、片っ端から尻すぼみになって抜けていく。それは多分、雄星が少しだけ泣き出しそうな目つきをしていたからかもしれない。
「お前はどうしてたんだ?」
出し抜けに雄星から問い返されて、お好み焼きを口に運んでいた手を止める。
雄星はホットプレートに視線を落としたまま、言葉を続けた。
「なんか荷物が大量に届いてたじゃねえか。あれ、なんだったんだよ」
「ああ……あれは、アメリアの出てるアニメのBDでした」
「全部が?」
「はい」
「……観たのか?」
「……はい」
うなずく。すると雄星が、「そうか……」と呟いた。
「……俺、けっこう、一大決心だったんですよ」
気づけば文則は、話し出していた。
「地元出て、こっち来るの。友達もいないし、親もいないし……それでもこっちに出てきたら、なんか変わんのかなって思って。だからかなり、思い切ってこっちで暮らし始めて」
「都会なら、なんかあるかもってか?」
「はい。……でも、なにやってんですかね、俺って」
「……」
「なんか、結局、俺ってなんなんだろうって思ったんです。思わされたんです。思いっきりジャンプしてみたのに、全然前に進んでなかった、みたいな感じで。なんも変わってなんかないんですよ、この一年で俺なんて全然」
「ふーん」
吐露した感情を、しかし雄星は適当に流した。
それから逆に話しかけてくる。
「お前さ。
「あ、はい」
「んで、せっかく付属校に通ってるってのに、卒業したら進学しないで地元に帰って親のコネで就職、と」
吐き捨てるように言いながら、ぎろりと雄星が睨みつけてくる。金髪にピアスということもあって、かなりの迫力だ。
「じゃ、お前さ。ほんと、わざわざ上京した意味ないのな」
「……っ」
「つーかそれならいっそのこと、卒業待たずに地元に帰ったらどうだ? 家賃を免除してもらってるとはいえ、一人暮らしなんて親からしてみりゃ仕送りだなんだって負担ばっかだろ? なら、さっさと部屋引き払って田舎に逃げ帰った方が、よっぽど安心させてやれんじゃね?」
「それは……そうかもしれませんけど、でも、まだ帰るわけにはいかないじゃないですか!」
なぜか分からない。しかし、爆発する感情があった。
気づけば、雄星に突っかかっている。なのに、雄星の方は涼しい顔だ。むしろ口元をニヤつかせて、煽るような口調で言ってくる。
「へえ? へえ、へえ、へええ? 帰るわけにはいかないと? そりゃまたどうして?」
「だ、だって……俺が帰ったら、どうするんすか。アメリアとか、あとは叔母さんだって色々忙しいし、ラウンジの管理だって俺がやってるようなもんだし」
「アメリアちゃんなら、それこそ使用人や家政婦でも雇えばいいだろ。金ならあるんだし」
「で、でも、そんなの……あいつ一人で電車乗れないしパンツだって穿けないんですよ!?」
「お前が引っ越してくる前はマネージャーの人とか、絵麻や沙苗ちゃんが交替でやってたぞ。特に沙苗ちゃんなんて、ああ見えて面倒見いいからな。食事の世話とかもたまにしてたが?」
「……ッ、だ、だとしても、雄星さん宛のラブレターとか処理してんのだって……」
「それは確かにお前だけど、別にオレは頼んじゃいない。別に嫌ならしなくていいぞ?」
「…………ッ」
唇を噛み締めて文則は俯く。
そんな文則に、雄星は追い打ちをかけてきた。
「文則。オレさ、割とお前のこといいやつだって思うよ。はっきり言って好きなタイプだ。絵麻のクソ面倒くさい絡みにも付き合ってるし、沙苗ちゃんやアメリアちゃんとかにも甲斐甲斐しく世話焼いたりとかしてるしな」
「別に、したくてしてるわけじゃないです」
「あとは、まあ、オレからしてみりゃ数少ない男友達だしな。不思議と野郎どもからは嫌われたり、怖がられたりするんだよなあ、オレ」
「そりゃ見た目の問題でしょ。あと、下半身がちょっと元気すぎるからじゃないっすか?」
「性分でな。股についてる将軍様には逆らねえんだ。男は本能に対して、忠実な家臣になることしかできねえんだよ」
下品なセリフを口走り、「へっ」と一人で勝手に笑う雄星。
だがすぐにその表情を真剣なものにすると、「でもな」と雄星は言葉を続けた。
「文則。お前さ、いつも他人、他人、他人ばっかだよな。今だって、すぐに田舎に帰れないのはアメリアちゃんが理由だっていう。ラウンジの管理が云々とか言っちゃう。さらにはオレ宛てのラブレターがどうとか、そんなことまで口走る有様だ」
「……」
「感謝はしてるさ。ありがたいとも思ってる。でもそれとこれとは話が別だ。他人を言い訳にして、自分ではなにも決められないのは、はっきり言ってダサいしウザいわ」
「……っ」
「お前の言い訳にオレを使うな。他の誰も理由にすんな」
そう告げる雄星の瞳には、酷薄な光が宿っていた。
「そうやって誰かを言い訳にし続けるなら、さっさとこのアパート出てけ。見てると、時々、ぶちのめしてやりたくなるからな」
「俺は……もともと、『ハイツ柿ノ木』を出ていくつもりでしたから」
「そうかよ。そりゃけっこうなことで」
そう言ってから、「よっ」と雄星がお好み焼きをひっくり返す。綺麗に焼けたお好み焼きをラップに包んで、冷凍庫にしまった。
「んじゃ、出てくならさっさと出てけよ。オレはもう寝る。あとの片づけよろしくな~」
そう告げてラウンジを出ていく雄星。
しかし、扉の閉まる音が聞こえて、足音が遠ざかってからも、文則は動くことができなかった。
「……なんだってんだよ」
呟く声は掠れている。気づけば、拳はきつく握られている。
「なんなんだよ……」
「文則」
後ろから声がした。
振り返ると、そこにはアメリアがいた。
「……いたのか」
「うん。オーディションの準備をしていたら、喉が渇いたから、それで」
こんな時間まで、アメリアは声優としての道を突き進んでいる。それは文則も知っていた。オーディションの前では、根を詰めるのが当たり前。つい先日送られてきたオーディション用の台本を、彼女は手に持っていた。
のろのろと文則は動き出す。
グラスに、冷蔵庫から取り出した牛乳を注いで、アメリアへと手渡した。
こくりと喉を鳴らして、アメリアがグラスを傾ける。
「いつからいたんだ?」
そんなアメリアに、文則はそう問いかけた。
「ついさっき」
言葉が足りない。どの時点からそこにいたのか、雄星との会話に集中していたせいでまるで気づいていなかった。
「出ていくの?」
「え?」
「『ハイツ柿ノ木』から出ていくつもりだって、言ってた」
「それは……」
言い淀んだ文則の目を、真っ直ぐアメリアが見つめてくる。
だから嘘はつけなかった。正直に気持ちを吐き出すしかない。
「そうだよ」
「……」
「どうせ、このアパートから出ていくつもりだったんだ。遅いか早いかの違いだよ」
「そう」
透明な声。その声の響きに、アニメでの演技の面影が垣間見えた気がして、胸がさらにじくりと痛む。
「分かったわ」
それだけ呟き、アメリアはグラスを文則に押し付けて、ラウンジを出ていった。
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