第15話 そっち側
「っだぁー、疲れた」
すべての箱を部屋に運び込んだところで、文則は床に座り込む。ぎっしりとブルーレイディスクが詰め込まれた小包はけっこうの重量で、普段から体を鍛えているわけでもない文則にはそこそこ重労働だったのだ。
「ってか、御坂さんもなあ。いきなりこんなに送り付けられてきても、一度に全部は観切れないっての」
推しを片っ端から布教するのは、悪しきオタクの習性である。御坂も例に漏れず、そういった習性の持ち主であった。他の部分ではそうでもないのに、漫画やアニメが絡むと途端に面倒くさい上に押しが強い。あと、推しへの愛も強い。重い。
ピコン、とスマホがメッセージの通知を告げる。
御坂 綾:観たら感想聞かせてね! 語ろう!
御坂 綾:もう観た?
御坂 綾:って届いてすぐには無理か。明日また感想聞かせてね!
「……うわぁ」
圧が。
圧が、すごい。凄まじい。やばい。
面倒くさいタイプの布教の仕方をするオタクの権化がそこにいた。
これまでは、アメリアの出演しているアニメを観るのは避けて通ってきた。なんとなく、そういう気が起きなかったのだ。あるいは、普段のアメリアと、演技をしている時の彼女とのギャップを、認識したくなかったのかもしれない。
だから文則は、アメリアの演技を一度だけしか観たことがない。数々の賞をアメリアが受賞するきっかけになった、あのハリウッド映画の大作。戦争を題材にしたアクション映画にして、『アメリア・エーデルワイス』が世界的女優として認知された出世作。
「でも、これは……観るしか、ないか」
だが、そんな文則も、スマホ画面に表示されたメッセージを前にしてはそう呟くほかにない。
なんせ、観なければ観ないで、また御坂が面倒くさい絡み方をしてきそうなのである。毎日こんな内容のメッセージを送りつけられたりしたらたまらない。それなら、さっさと観て、感想を返した方がよっぽど面倒も少ないだろう。
そうと決まれば、正直なところ気は進まないが、小包のひとつを開封して中身を取り出す。
取り出したパッケージには、『文学姫と七つの恋の物語』というタイトルが刻まれていた。漫画が原作のアニメ作品で、アメリアのデビュー作でもある。
元となった漫画を描いた作家の名前は、
「ひとまず、これにするか」
そう呟いて、文則はテレビにつないであるゲーム機にディスクを挿入した。スタート画面からメディアの再生を選択すると、画面の映像が切り替わる。
それからほどなくして流れ始めたのは、アニメのオープニングだ。作品の雰囲気に合うような、しっとりとした楽曲。まだ、三年前のアニメだからか、映像に古臭さは感じなかった。
だけど、それだけだ。曲にも映像にも、これといって感銘らしいものは覚えない。どちらも、これまでにどこかで観たこと、聞いたことがあるようなものに感じられたから。
文則の冷めた表情に変化が訪れたのは、オープニングが終了し、本編が始まってからすぐだった。
『君は、エレンディラを知っている?』
いきなり、そんなセリフから始まった。画面にアップで映る少女の顔。その唇が紡いだ言葉に、なぜだか意識が――感情が、一気に持っていかれたのだ。
『ナイン・ストーリーズは? 異邦人は? 海外の古典も素敵なものがたくさんあるの。そうそう、若きウェルテルの悩みなんかも、とっても魅力的なのよ? あのね、親友の婚約者に焦がれた男が、拳銃自殺をする話でね、この物語のせいでたくさんの若者たちが――って、ちょっとちょっと葉月く~ん。その、また面倒くさそうな話が始まったって顔するのやめてよぉ~』
キャラクターデザインに、際立ったものは見られない。映像演出やセリフそのものに、これといった面白みがあるわけじゃない。
あくまで、この黒髪のヒロインがどのようなキャラクターなのか印象付けるためのものでしかない。彼女は『文学姫』の名に違わぬ、古今東西の物語をこよなく愛する美少女なのだということを、視聴者に示すためだけのものに過ぎない。
なのに。
それなのに。
目が離せない。意識を持っていかれる。目が、耳が、『文学姫』の一挙手一投足に至るまで気になってしまって仕方がない。
なぜだ? 文則は頭の片隅でそんな疑問を抱く。
もっと面白い展開から始まるアニメは腐るほどある。
もっとオリジナリティを感じさせる映像演出から始まるアニメだって腐るほどある。
とにかく目を惹くような、動きのある展開から始まるアニメだって他にある。キャラクターデザインがさらに秀逸な作品だって他にもっとたくさん見てきた。
だというのに。
どうしてこの耳は勝手に彼女のセリフを追っている?
どうしてこの目は勝手に彼女の動きを追っている?
心臓を鷲掴みにされたような感覚。込み上げてくる。込み上げてくる。込み上げてくるのだ、胸から始まり全身を満たす、なんだか熱くて温かくてわけの分からない感情の激流が。
『私、世界中の物語を食べちゃいたいぐらい愛してるわ。だから君にも紡いでほしいのよ。甘くて辛くてしょっぱくて冷たくて温かい……そんなフルコースみたいな物語を!』
そんな風に、天真爛漫に『愛』を告げられ、文則の鼓動が否応なく高まる。ガツンと殴りつけられたみたいに、甘く尊い感情が脳髄を満たして刺激する。
浸っていたいと文則は思った。
この綿菓子のような感情をもっと寄こせと、
そして同時に、気づいてしまった。このアニメの映像が、実際の映像以上に魅力的なものに見えてしまっていることに。
そんな風に見えてしまっている原因なら分かってる。
声だ。
演技だ。
『文学姫』の先輩が、とにもかくにも魅力的で……その魅力に引っ張り上げられるように、他のすべてのクオリティが一段も二段も跳ね上がっている。
まるで、声に魔法でもかけられたみたいに、映像演出も、挿入されるBGMも、他のキャラクター達も……活き活きとした輝きを放ち始めている。
「なんだ、これ……」
掠れた声で文則は喘いだ。
「なんなんだよ、これ……」
こんなものは知らない。こんなものは見たことがない。こんな声は聞いたことがない。こんな反則が存在するなんて、考えたことすらない。
「こんなの、ズルすぎるだろ……」
声ひとつ、演技ひとつですべてのクオリティを底上げしているなんて。
「こんなの、なんだよ……なんなんだよこれ」
頭のどこかが警鐘を鳴らしている。認めたくないと本能が叫んでいる。向き合いたくない現実が、すぐ背中にまで迫っている。
だけど物語の最後、キャストのクレジットがエンディングで流れた時に、現実は無情にも文則の眼前に突きつけられた。
『文学姫』のメインヒロイン。
『天月 天音』役………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………七色弥生。
「これ、アメリアが……?」
デビュー作で、メインヒロイン。
そしてたった一人の演技ひとつで、全体のクオリティを強引に底上げしていた立役者。
それが、まさかの。
あの、いつも眠たげで。
一人じゃパンツも穿けないダメ人間で。
社会生活不適合者で。
びっくりするほど、普段の生活では他人の助けがなければ成り立たない、あの、アメリア・エーデルワイスだなんて。
「嘘だろ……」
呆然と、文則は呟く。脳みそはでも、痺れていた。エンディングを終えた後、気づけばゲームのディスクを取り出している。そして次のディスクを挿入している。再生画面を選択して、アニメのオープニング映像が流れ始める。
ありきたりな曲。ありきたりな映像演出。しかし今度は、そこに確かな『期待』を感じた。
あの演技をまた観れる。あの声をまた聴ける。彼女の作り出す甘くて辛くてしょっぱくて冷たくて温かい世界にまた浸ることができる。
浸りたい。
浸りたい。
浸りたい。
浸りたい。
まるで、耳から直接脳みそに、麻薬でも打たれているかのようだった。それぐらいに七色弥生の……アメリア・エーデルワイスの『演技』は隔絶していて。
だから。
…………だから。
「……なんでだよ」
文則はそう呟くしかない。
「なんで、お前は……そっち側なんだよ」
彼方と此方。文則はただ、遥か遠い彼岸を見上げて打ちひしがれることしかできない。
打ちひしがれながらも、それでも。
文則はアニメを流し続けた。
一晩中、アニメを観続けた。
それこそ、ひたすらに……夢中になって。
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