第12話 敵わない、超えられない
放課後に芸能科の教室までアメリアのことを迎えに行くと、文則はそのまま彼女を連れていつもとは違う道を通り、駅の方へと向かった。
収録スタジオのある駅までは、最寄りの駅から片道30分程度。駅に向かう間も、電車に揺られている間も、アメリアはほとんど眠っていた。そんなアメリアを引っ張ったり突っついたりしながら、どうにか収録スタジオへと辿り着く。
「お、来た来た。今日も運搬ありがとね~、文則少年」
収録スタジオに辿り着くと、パンツルックスタイルの女性が出迎えてくれる。アメリアのマネージャーの御坂だ。
「んじゃやよいちゃんはこっちで預かるから。ちょっと少年はここで待っててもらえるかな?」
「あ、はい、分かりました」
まだすやすやと眠っているアメリアを引き渡し、スタジオの前でぼんやりと待つ。
すると、数分ほどで御坂が戻ってきて、「お茶奢るよ」と文則を連れ出した。
「さーちゃんは元気にしてるかな?」
「叔母さんは……あれ、元気なんですかね? いつも青白い顔してますけど」
さーちゃんというのは、叔母の沙苗のことである。御坂と沙苗は中学から大学までずっと一緒だったらしい。
「あ~……はは、まあ、さーちゃんは昔っから無茶するからねえ。うん、まあでも平常運転みたいで良かった良かった」
そんなことを話している間に喫茶店に辿り着く。文則はカフェオレを頼もうとしたが、それでは子どもっぽいような気がしてブラックを注文する。御坂はカフェオレだ。
「いつもありがとね。ほんと、助かるわ」
飲み物が運ばれてきたところで、大人の余裕を感じさせる笑顔を浮かべて、御坂がそう言ってきた。
「あ、いえ……」
そう返しつつ、コーヒーをすする。
(にが……)
飲みなれない味に、表情が渋くなる。そんな文則を見て、くすくすと御坂が笑みを漏らした。
「……あ、アメリアのことは、どうせ誰かがやらないといけないことなんで」
赤面しつつ、言葉を続ける。
だが、同時にそれは文則の本音でもあった。
アメリアの面倒は、結局誰かが見なければならない。そうしなければ、声優としての活動はおろか、生命活動そのものを送ることさえ危うい少女だ。
そして、アメリア本人のどうやらその自覚は薄い。自分がどれだけ社会に適合していないのか、理解できていないような節がある。アメリアのそんなところを見ていると、『お世話係』という名目がなくても文則は放っておけないと思う。
朝、自分一人では起きられない。
スタジオまで、一人で電車で来ることもできない。
食事だって、着替えだって、全部他人任せで自分では何一つやろうとしない。
これまで一体どうしてきたのかと思うぐらいに、アメリアは一人ではなにもできない。だから見ていると、つい心配になって、彼女の世話を焼いてしまう。アメリア・エーデルワイスとは、そんな少女だ。
「少年がいてくれると、本当に助かるわ。……本当は私が毎回送り迎えできたらいいんだけど」
「そんな。御坂さんだって忙しいじゃないですか」
「そう言ってくれると、ありがたいわね。ごめんね、他にも抱えている事務所の子がいるから。やよいちゃんのこと優先できたらいいんだけどね、そういうわけにもいかなくって……」
目元にやや申し訳なさそうな色を浮かべて、座ったまま御坂が軽く頭を下げてくる。さらりと、ショートボブの茶髪に染めた髪が揺れた。
「でも、大変ならちゃんと言ってちょうだいね。少年だって、自分のことがあるんだし」
「いえ。俺のことなんて、大したことでもないですし」
「そう? まあ、少年がそう言ってくれるなら私としては好都合なんだけど。けどまあ、いざというときはこっちでも人を探せるから」
無理はしないでね、とでも言いたげに、ぱちんと片目を瞑ってウィンクを送ってくる。
泣きぼくろの効果も相まって、その仕草はやけに色っぽい。アメリアみたいな透明な色気とは違う、大人の包容力を伴っている感じの妖艶さだ。あまり慣れていない刺激に、文則の頬に赤みが差す。
「そ、それにしても」
話題を変えようと、口を開く。
「なーに、大人の色気にどぎまぎしているのをごまかしたくて、話題を変えようとしている少年?」
「んなっ」
「それとも、『少年』よりも『さくらん坊や』って呼んであげた方が君は嬉しいかしら?」
優し気な笑顔でからかうようなことを言われて、余計に気恥ずかしくなってしまう。
「か、からかわないでくださいよっ」
と顔を真っ赤にして、うろたえることしか文則にはできない。
そんな文則の反応を、「あらあらうふふ」とでも言わんばかりの表情で見守られているのも面白くない。子ども扱いされてるみたいだ。対等じゃなさ、みたいなのをついつい感じさせられてしまう。
「と、とにかくですよ。……これは、前から気になってることなんですけど」
こほん、と咳払いして仕切り直す。御坂もそれ以上は、混ぜっ返してこなかった。
「アメリアって、なんでいつも、ああいう感じなんですかね」
「ああいう感じっていうのは?」
「なんか……今日も、収録前だっていうのにずっと寝てたりとか。いつもボーっとしてたりとか。ふらふらと、気づいたらどこかに消えていたりとか。……そういうのを見てると、ほんと、どうしてこいつはこうなんだろうっていつも思っちゃうんですよ」
「あー」
「別に、声優だからとか、役者だからとか……そういうのって、あんま関係ない気がしてて。だって、演技をしている人間みんながあんな感じって言われる方が、現実感とかないじゃないですか」
なるほどねえ、と御坂が納得顔で文則の言葉にうなずく。
「やよいちゃん、収録直前には寝るって決めてるみたいなのよね。それが彼女なりのルーチンなのかもしれないけれど」
「それもですよ」
「それもって?」
「……なんで、アメリアには女優として活動していた名前があるのに、日本では芸名をわざわざ作ってるんですか」
「ああ、それは本人の意向」
「アメリアの?」
「そう。やよいちゃん……アメリアちゃんのお母さんのことは、少年も知っているわよね?」
知っている。
名前は、フェリシア・エーデルワイス。元々は舞台女優出身だが、その後映画にも出るようになって大ヒット。出世作の『天上に捧ぐ愛の唄』で見事な歌唱力を評価されて以来、特にミュージカル映画の分野で類まれな才能を発揮し続ける。
未だに、フェリシアは『天使の歌声』と世界中から称されているほど。おまけに、演技力も申し分がない。時代を代表する女優の一人に、彼女もまた数えられていた。
「やよいちゃん……アメリアちゃんが、数々の賞を受賞した時。寄せられた声のほとんどは、彼女の才能や実力を絶賛するものだったのだけど、色眼鏡で見る人っていうのはいつだっているものでね。母親の七光りに与えられた栄誉にすぎない、って」
「それは……」
ちょっとだけ、文則は気持ちが分かった。
まだ十歳にもなっていない少女の、圧倒的な才能。人を惹きつける魅力。そういう輝きに嫉妬して、目を焼かれて、悪意を抱く人間だっているだろう。文則だって口には出さなくとも、胸の中であれこれとケチをつけては人の才能を否定しないとは限らないのだ。
「私たち……事務所としては、彼女の名前を利用できるならしたかったわ。当然、あの子の飛びぬけている容姿だって、使えるものなら使いたい。画面映えしすぎるぐらいに美人だし、なによりその方がお金になるから」
お金になる、という現実的で生々しい話に、文則は一瞬つばを飲む。
学生の文則がまだ、持ち合わせていない感覚。『芸術の世界』だと思っていたものの先にある、『商業ビジネス』としての側面を垣間見たような気がした。
「でも、やよいちゃんは顔も名前も出すのを嫌がってね。『アタシは演技だから』って。……言葉足らずだったけど、今ならその意味がちゃんと分かるわ。きっと、純粋に演技だけで勝負をしたかったのね」
アメリアがどれだけ、演技に対してこだわりやプライドを持っているかは文則には分からない。
しかし、実際に顔も名前も出さずに活動して成功している辺り、彼女の実力は業界の中でも認められているのだろう。そうでなければ、こうして収録スタジオを仕事で訪れることもないのだから。
「実際のところ……」
と、問いかけようとして文則はためらった。
そんな文則の気配を察して、「いいわよ、続けて」と御坂が促してくる。
「アメリアの演技って……御坂さんから見て、どうなんですか?」
「……あっきれた。やよいちゃんの出てるアニメ、見てないの?」
「実は……はい」
「女の子たちが戦車で部活するやつも? 中二病な女の子たちが男の子巻き込んで青春するやつも?」
「それは、その……」
「やよいちゃんの歌う『カチューシャ』とか大人気だったのに? それも全然知らない?」
「あ、はい……なんか、その、すんません」
「謝罪はいいから観なさい。やよいちゃんの出てるアニメは全部名作揃いなんだから。あ、まずはとりあえず彼女のデビューした時期の作品から順番に観ていくのがおすすめね。えーと……そうなると、あれかしら。ほら、文学少女で物語を食べちゃいたくなるぐらい愛してる女の子が出てくるミステリー作品。先輩ヒロインでその時やよいちゃん出てたんだけどね、もうほんと、デレッデレで天真爛漫なのにメンタルがどっか拗らせてる感じの演じ方が絶妙でね? おまけに普段はアホの子入ってるのに、推理パートでいきなり超天才かコイツみたいな豹変の仕方とかまでして、うわこれマジすっげえ才能きたよオイ! っていやほんと捗るっつーかなんつーか布教用のBD探しとくからアパートにまた送っとくね」
一気にまくし立てられて文則は思わず黙り込む。
それからわずかに沈黙を挟んで、御坂がコーヒーをずずっと啜った。
そして。
「……そうね。少年、アニメ観ている時に、『あー、このキャラの声と顔、なんか合ってないなー』って感じたことってあるかな?」
……何事もなかったかのように、話を元の軌道に戻した。
「え? いや、あの……」
「少年。私はね、限界オタクお姉さんじゃなくて、大人っぽくて仕事のできる優しいOLお姉さんのつもりなの」
「いや、でも」
「でもじゃない」
「だってですね……」
「だってでもない」
「んな無茶な!」
「後生だから! 後生だからここはスルーして? ね? ケーキ奢るから! あーもうつい怒りで我を忘れて素で話しちゃったじゃない。だけど少年が信じられないようなことを言うから……あーほんと信じらんない。君、人間として終わってる」
さらりと文則の人間性まで否定してきた御坂が、「すみませーん」と店員を呼ぶ。
そこでケーキを注文し、御坂が再び仕切り直した。
「まあ……正直、私はあるのよね。具体的な名前は出さないけど、このヒロインってこんなに声低い感じじゃないのになー、とか、この主人公の声なんだかのっぺりしてる気がするなー、とか」
「それは、まあ……俺も経験ないわけじゃないですけど」
文則だってアニメを観ないわけじゃない。むしろ、同年代よりも作品は追っている方だと思う。だから、器用にアメリアの出ているアニメだけは避けられているわけで。
だからこそ、御坂の言葉には納得ができる。アニメを観る時に、声がハマっているか否かは重要だ。キャラのデザインと声の演技がずれている時、作品そのものに集中できなくなってしまうから。
「けど、やよいちゃんの演技って……そういうのが全然ないのよね。カメラで言うなら、対象物に一瞬でフォーカスが鮮明に合う感じ。『ああ、今このキャラが、自分の意志で画面の向こうでしゃべっているんだな』って、意識しなくても納得できちゃう感じ」
「……」
「あの子ってさ。本読みの時点で、99パーセントぐらいは声と演技をキャラに合わせてきちゃうんだよね。だからあとは、その最後の1パーセントを現場のスタッフの反応を見ながら突き詰めていくだけ。――だからやよいちゃんの収録では、NGが誰からも出ないのよ。やよいちゃん本人以外からは」
それはつまり、アメリアだけは自分の演技にNGを出すということだ。そこにはただの一パーセントも、妥協を許したくはないから。
「あ、敵わないなって思ったよ、現場で初めて一緒になった時に。もう、こんな才能いるんだったら、絶対私じゃ超えらんないじゃんって。……ほんと、あの時ほど自分が惨めに感じた時はなかったのに、無駄に心はぴょんぴょん跳ねるし、もうカオスってぐらいでさ」
あはは、とどこか遠い目で笑う御坂。彼女の言葉に、文則は違和感を覚えた。
「えっと……敵わないとか、超えられないって」
「あ、私、元々は声優だったんだ。っていっても、名前なしのちょい役とか、ガヤとか、そういうのばっかでちゃんと名前のあるキャラやったことはないんだけど」
だからいわゆるプロ崩れ、と少しだけ自虐的な笑みを御坂が笑う。
「あ、その」
「いいよ、謝らなくて。あの頃は本気で目指していたし、自分の努力や才能を信じて頑張ってたけど……今だってこうして、アニメ制作に関われているからね。最推しの声のマネもやれてるわけだし」
テーブルに両肘をついて、「ふふっ」と御坂が微笑みを浮かべた。
「これはこれで満足。……まあ、もうちょっとアメリアちゃんが扱いやすくなると言うことないんだけど、そこは少年に期待かな?」
「……勘弁してください。俺にはちょっと、荷が重いですって」
「が~んばれ、男の子」
からかうように言いながら、くすくす笑いを御坂が漏らす。
「だから、子ども扱いしないでくださいよ!」
「あ、そうそう。話は変わるんだけどね」
「人の純情をもてあそんでおいて、なんたる仕打ちですか! やっぱり、ちょっとサド入ってないですか!?」
「今度ね。やよいちゃんが興味ありそうなオーディションあるから、その詳細。やよいちゃんに渡してもどうせ失くしそうだから、ここで今君に渡しちゃっとくね」
文則の純情は放置されたまま、御坂がマイペースに話を続ける。
彼女が鞄から取り出したのは、二枚の書類。オーディションの詳細について書かれた紙と、応募用の用紙だ。
まずは詳細の方に目を通してみる。『君ヨ笑エと月は云う』というコミック作品が原作の声優オーディションだ。
「……これに、アメリアが興味を?」
「うん。えっとね」
御坂の指がすっと伸ばされ、紙面のある一点を指さした。
「ここ。監督と、シリーズ構成と、原作者。……やよいちゃんが初めて出たアニメのスタッフと同じなのよね」
「あ……」
「だから、やよいちゃんも興味を持つかと思って。こっちはもう、名前を書くだけでエントリーできるようにしてあるから」
応募用紙にはもうほとんど必要事項は書き込まれていて、あとは名前の欄を埋めるだけだ。ここだけは本人の直筆でなければならないだろう。
「細かい部分は少年の方でもちゃんと読んで確認しておいてあげて」
「あ、はい」
「それじゃ、私はこのあと別件で用事があるから先に行かせてもらうわね。収録が終わったら君に連絡が行くように手配してあるから、その時は迎えに行ってあげてちょうだい」
そう言い残し、御坂は足早にその場を立ち去っていく。
その背中を見送ってから、文則は再び詳細について書かれた用紙に視線を落とした。
『君ヨ笑エと月は云う』
読んだことはないが、タイトルだけは文則も知っていた。現在十六巻まで刊行されていて、発行部数は三百万部を超えている。繊細な心理描写と、人間模様の変化が綿密に描かれた、恋愛を主題としたヒューマンドラマ作品だ。
丁寧に紙を畳んで、学生鞄にしまっておく。
スマホを開いて、ウェブの検索バーに『君ヨ笑エと月は云う 評判』と入力してはみたものの、思い直してすぐに消した。それから最近時間潰しに使っているソシャゲを起動して、ログインボーナスをチェックする。
結局、そうやって時間と充電残量を無為に消費している間に、アメリアの収録は終わった。
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