第11話 人間は好き
アパートを出て、学校へ向かう。
途中、ドーナツショップを指さして動かなくなったアメリアに餌としてドーナツを買い与えつつ登校してきたところで、アメリアがおもむろに口を開いた。
「文則」
「どうした」
「大事な話があるわ」
その言葉に、思わず文則が身構える。
大事な話――と言われて蘇るのは、一週間前の出来事だ。『恋を教えて』と言われたこと。『言い訳ばかり』と非難されたこと。一瞬でどちらの言葉も頭の中でリフレインする。
また、なにかとんでもないことを言われるのかもしれない。そんな風に文則は思ったが、アメリアが口にしたのは予想外な言葉だった。
「放課後、スタジオ収録よ」
「……あ、おう」
「よろしくね」
「分かったよ。どこまで送ればいいんだ?」
「……?」
「いや、『なにそれ』みたいな顔されても俺が困るんだが……」
「だって、知らないもの」
ちょうど、そのタイミングで、文則のスマホが着信を告げた。
SNSのメッセージが届いている。
御坂 綾:どもども~! 放課後に収録があるから、やよいちゃん連れてきてね!
御坂 綾:場所はここね~
メッセージの主は、アメリアのマネージャーである御坂綾。続いて東京都内の住所と、『よろしく!』を意味するスタンプが送られてくる。
ちなみに、やよいちゃんというのは、アメリアの声優としての芸名だ。正確には、『
柿井 文則:了解です
短く返信をしてから、文則はため息をついた。
「アメリアも御坂さんも……なんで直前に言ってくるかな」
もっとも、アメリアのお世話係としては従わないわけにはいかないのがつらいところである。アメリアは一人で電車に乗れない。電車どころか、外を一人で出歩かせればまず間違いなく迷子になって、アパートに戻ってくることすらできないレベルの方向音痴なのだから。
「文則」
「なんだ」
「大丈夫、問題ないわ」
妙にキリっとした顔つきでアメリアが言ってくる。
「念のため聞くが、なんのことを言ってるつもりだ?」
「台本の読み込みならばっちりよ。いつでも
「俺がため息ついたのは、そっちの理由じゃねえ!」
言葉がまるで通じている気がしない。アメリアと話しているといつもそうだ。会話が成立しているのか、いないのか、分からなくなる。
「……せめて収録ぐらい、一人で行けるようになってくれよな」
「それはアタシの仕事じゃないもの」
「そうなってくれないと、俺が困るんだよ!」
「そんなことないわ」
透明な瞳を、アメリアが向けてくる。
「文則は、アタシの世話をするの、好きだもの」
「……っ、な、なにを根拠に」
こくり、とアメリアが首を傾げる。
「聞きたい?」
ぞわり、と心臓を鷲掴みにされたかのような感触を覚える。
透明な瞳。怜悧な視線。自分がまるで、
アメリアが台本を読み込んでいるところを文則は見たことがある。その時の彼女の瞳は、まるで研究者のような、分析的な目つきであった。そう……まさしく、今のような。
「い、いや……いい」
心を丸裸にされそうな感覚に晒されて、反射的に文則は彼女の言葉を拒絶する。
するとアメリアの視線は、再びすうっといつもの眠たげなものに戻っていった。その豹変は、何度見ても慣れない。心臓に悪い。ドキドキする。恐怖する。
「文則は可愛いわ」
思いがけないことを言われて、文則はさらに驚かされた。
「な……なにがだよ」
「文則はとっても人間ね」
「そりゃ……お前だって人間だろ」
「人間は好きよ。愛してる」
自分が言われたわけでもないのに、『愛してる』という単語に心臓が無駄に跳ね上がる。
こういう不意打ち気味な言葉を、無意識に言い放つところは、アメリア・エーデルワイスという少女の厄介なところであった。
「本当に素敵。興味が尽きないわ」
「……まるで自分は人間じゃないみたいな言い方、するんだな」
「……?」
無表情に、アメリアが目をぱちくりとさせる。文則の言っている言葉の意味が、よく分からなかったのかもしれない。
「どういうこと?」
と訊ねてくるアメリアに、文則は首を横に振る。
「……とにかく、放課後になったらスタジオに送ってくから」
「任せたわ」
まるでそれが当然のことのように、アメリアは答える。
いや、事実、当然なのだ。演技以外のことで誰かに面倒を見られることも、スタジオ収録で送り迎えをしてもらうことも、彼女にとっては当たり前のこと。
感謝するようなことじゃない。ただ、淡々とそれを受け入れるだけ。
どうしてそんな超然とした態度をアメリアが取れるのか、それが文則には分からない。演技以外のすべてのことを、投げ出してしまえる感性が理解できない。
アメリアに対して、分からない、しか、文則にはない。一年も近くで過ごしているのに、彼女についてほとんど理解できている気がしない。
「……っ」
「文則?」
不意に込み上げてくる悔しさや苛立ちの正体が分からなくて、思わず歯を噛み締める。キツく、拳を握り締める。
「……いや、なんでもない」
そんな文則の変化を敏感に感じ取ってアメリアが視線を向けてくるが、文則は首を横に振った。
それ以上は、アメリアは話しかけてこなかった。文則の方も口を開かない。
二人の間に流れているのは、気まずい空気なんかではない。断絶の空気、無理解の空気だ。
そして、その空気を生み出しているのがどちらなのか、文則は分かっていた。
自分の方だ。
アメリアに断絶を感じているのも、アメリアのことを理解できていないのも、文則の方なのだ。
そして、そんな文則のことを、アメリアはなんとも思っていない。少なくとも文則には、そんな風に感じられてしまって、それがたまらなく悔しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます