被検体

鋼の翼

第1話

「なんか、新一君って話しにくいよね」


 ある一人の声に同調し、教室内の生徒の意見がある一人を除いて統一される。39人の生徒の視線を一斉に浴びながら、荒谷新一は帰宅の準備をしていた。その様子は教室全体に届いた声が聞こえなかったようにも、あえて無視しているようにも見えた。


「そうそう。なんか感情の起伏がないっていうかー」

「いやあいつはもう機械だろ。感情の起伏どころか感情そのものがないんだよ」


 続く悪意のない誹謗中傷。それをひとり身に受ける新一は特に何か反応を示すことなく鞄を背負い、白黒の教室から白黒の世界へと足早に出ていった。新一が出ていった後の教室でぽかんとした顔の生徒達がお互いの顔を見合っていた。



 陽が沈み、夜の帳が徐々に広がっていく中、新一は通学路にある桐山公園で一人佇む少女を見つけた。その少女は少しボロボロの洋服を身に纏い、じっと公園の中央にそびえたつ時計を見ていた。

 周囲に友達と思われる人もなく、親ととれる者もいない。そして、彼女に目を向ける者もいない。


 新一は、無意識のうちにその少女に歩み寄っていた。先ほどまで機械のように一定だった歩幅、テンポが僅かにずれていた。少女のそばに着くなり新一は何してんの、と棒読みに等しい声で質問を投げた。


「......お父さんを待ってるの」


 少女は突然近寄ってきた新一に驚きつつも少し間をおいてしっかりとした口調で答えを返した。そう言った少女の寂しそうな瞳に、新一は条件反射にも等しい速さで


「じゃあお兄さんと遊んでよっか」


 そう笑いかけていた。


 その日から新一の生活は一変した。モノクロだった世界は少女と出会い、ともに遊ぶたびに明るく彩られていく。何もなかった新一の世界に華やかさが生まれ、徐々に表情が柔らかくなっていた。


「新一君、これ運ぶの手伝ってくれない?」

「うん、いいよ」


 それは学校生活にも如実に表れ、遠かった生徒同士の心の距離が急速に縮まり、新一のクラスはかつてないほどに団結力を強めていた。高校二年生になったある日、突然転入してきた新一と仲良くしようと思い、けれども彼のとっつきにくさに極端な行動しかとれず、ズルズルと遠回しに新一自身の態度改変を待つことしかできなかった彼らは感情を帯び始めた新一を我が子のように大切に接していった。


 新一も彼らの態度に何か思うところがあったのだろう。徐々に新一からも声をかけるようになり、意図せず新一を爪弾いていた教室内の結束が明るく、強いものへと変化する。


 表情に陰りがあった他生徒の雰囲気が戻り、教室の空気が軽くなる。新一のモノクロの世界に虹色の息吹が吹き込んでくる。


「新兄、今日何か楽しいことでもあったの?」


 オレンジに彩られた空の下、昨日と服装の変わらない少女が公園のベンチに座って不思議そうな視線を投げてくる。新一はクラスに新しい友達ができたことを子供がおおはしゃぎするかのように少女――レイコに話す。


「ほら、あの子よ」

「危ないわね......。一応親御さんに連絡しておきましょう」


 周囲を通る人々はその光景に奇異と心配の視線を向ける。

 しかし、二人は周囲のことなど眼中にないかのようにレイコが別れを告げるまで遊び続けていた。



 新一は心を躍らせながら半年ほど住んでいるわが家へと帰宅する。開錠し、玄関の扉を開ける。ただいま、と普段よりも明るい声で光が漏れ出ているリビングへ向けて言っても、返ってくる言葉はない。

 一瞬にして新一の表情に影が出る。


 いつも通り。何も変わらない『当たり前』なのに、変な期待をしていた自分がバカだとわかっているのに、静寂がとてつもなく辛かった。


「......辛いって、なんだ?」


 ふと、湧き上がった疑問を新一は無意識に言葉にしていた。電気をつけず、暗いままの自室で布団に寝転がり、天井に手を伸ばす。


「辞書......」


 新一は机の上に置いてある辞書を取り、開く。


 その日の夜は、何度も少女と笑い合った日々が、クラスで話すことのできるようになった日の記憶が頭の中でぐるぐると回っていた。



「荒谷、今日カラオケ行かねー?」


 朝日を背に浴び、教室の扉を開けた先で男子の集団に囲まれる。一週間前では考えられないことだった。しかし、新一は小さく首を振り、その誘いを断った。


「そっか、じゃあまた今度誘うわ~」


 また一日が過ぎていく。空っぽの無意味なただの時間ではなく、仲間とふれあい、互いに切磋琢磨する楽しく有意義な時間だ。今日も、新しい『日常』が過ぎていく――はずだった。


 夕暮れ時、いつも通りに公園の前に差し掛かった望はここでは珍しい大型のトラックが公園の前を通りかかっているのを見かけた。珍しいな、と思いながら横を通り過ぎようとした瞬間、公園から少女がトラックの前へ躍り出る。

 見覚えのある服装、髪型、新一は一瞬でレイコだと判断する。次の瞬間、ドンッと鈍い音をたて、新一の体は吹き飛ばされた。一切減速のしていなかったトラックとの正面衝突。新一は背中を無数に這う激痛に顔をしかめた。


「新、にぃ......」


 胸元で、レイコが血反吐を吐いていた。それを見た瞬間、新一の頭が真っ白になる。その背後でトラックの運転手が大慌てで飛びだし、焦ったようにドライブレコーダを確認したり警察、消防への連絡、周囲の人々への証言を求めていた。


「誰か証言してくれ! あのガキが突然飛び出してきただろ!」


 不意に聞こえた運転手の言葉に胸の奥がカッと熱くなった。

(レイコを轢き殺しそうだったというのに、僕が勝手に飛び出したことにしている、のか?)

 顔を紅く濡らしたレイコの顔を見て、背中の大破した体などどうでもいいほどに新一の頭がショートする。


「新にい、私、言ってなかったね」


 少女がふっ、と笑った。直後、新一の抱きしめる腕を透過して少女は宙に浮かんだ。新一は唐突過ぎる怪奇現象を茫然と見送った。


「私ね、新にいに感情を芽生えさせるために新にいだけに見えるように設計された人工霊体なの」

「は? なに、言って......」


 少女はクルリと宙を舞い、服についた血糊を全て無くした。次第に少女の姿が空の橙色と同化していく。いや、空気中に溶けるように色彩が薄くなっていく。


「新にい、涙でてるよ。あ、涙がでるってことは感情が芽生えたってことだよね。教室の人達から喜と楽を知って、私の存在を認めなかった世界から怒を学んで、今この瞬間に、哀を理解した。新にいはもう立派な人間だね」


 徐々に徐々に少女の声から明るさが消え、機械が話すかのようなイントネーションの変わらない音が流れてくる。


「私の仕事は喜怒哀楽を芽生えさせ、世界初の人造人間であるあなたを本物の人間そっくりに創り上げること。役目は終わりました。もうすぐ自己修復機能が作動します。僅かですか痛んだ体を動かす程度には回復するでしょう」


 手を伸ばしても、彼女にはもう触れない。少女からは機械的な注意喚起の声が浴びせ続けられたが、新一はそれの一切合切を無視する。


「おいあんちゃん、何で飛び出して......ひぃ!」


 新一の背後にトラックの運転手が迫った。しかし、彼は新一の背中に意識の大半を奪われる。彼の視界の先、新一の背中は皮が内部から破裂したように破け、その内側にある機械仕掛けの筋肉と合金製の背骨がむき出しになっていた。さらに精密機器の間をミミズのような幾万もの小さな虫が這うように湧き出ている。


「うっせえな。おっさん」


 首を動かし、寝転がったまま新一はトラックドライバーを睨みつけた。どろりと濁った殺意に近しいものを感じさせる瞳はそれだけでドライバーを地面にへたり込ませる。


「取り込み中なんだよ、黙って――」


 そこで座ってろ、と言い切る前に新一の視界がブラックアウトした。なんの予兆もないその現象に戸惑う隙もないまま聴覚も外界から切断される。嗅覚がシャットダウンされ、触覚も失われた。


「なんだよ、これ」


 突然の新一の動きに周囲はざわめいた。先ほどまで怒りに飲まれた様子の青年が突然何かに怯えるように体をすくませている。そこにうるさいほどの音量でサイレンが響き、パトカーと救急車が到着した。それと同時に、少しだけ起こされていた新一の体はパタリと脱力したように地に伏した。



 気泡が大量に吐き出された音が聞こえた。瞼の外から光の波動を感じた。体をつつむ液に触れた。無臭ではあるが汚染されていない純粋できれいな空気。

 自身の記憶に残る惨状との圧倒的違いに新一は困惑した。

 半強制的に閉じられているような瞼を強引に開き、現状を確認しようと視覚情報を脳に伝達する。


「あら、お目覚め? 新一」


 液を間に挟んで母親が立っていた。長い白衣に身を包み、何かのパネルを片手に持ち、無機質な瞳で瞳の奥をのぞき込んでくる。そこに母親としての優しさは垣間見えない。実験対象に注ぐ好奇心だけが彼女の呂色の瞳を輝かせている。


「半年程度で十分な成果を残したようじゃない。お疲れ様」


 薄笑いを浮かべて彼女は手元にあるパネルを何度も何度も見る。


「あ、でも成果を出してはいるけど最後の最後、あれは看過できないわ。先方とは親権保有者となっている私たちが払うというふうにしてはいるけれど、それはあなたが働いて稼いだお金を相手に渡すというような流れを汲んでいる。これからあんたの体の設定を17歳から19歳まで引き上げる。学歴は高卒、記憶は後でつくっとく。借金返済頑張りな」


「じゃあ、みんなは......」

「知らないよ。私があんたにしてほしいのはロボットの社会進出さ」


 新一は奥歯を噛みしめる。刹那、脳が焼き切られるような激痛が新一の体を奔り、バイオ溶液にあった肉塊は消えた。


「いやあ、やっぱり人と違って人造人間は扱うのが簡単でいいねえ」


 明かりのついていない部屋に女性の笑い声が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

被検体 鋼の翼 @kaseteru2015

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ