リボルバー
参径
スターム・ルガー セキュリティシックス
ロシアンルーレット
賭け事ってやつは気まぐれで、それこそ神か悪魔が憑いてんじゃないかってくらい、出目があちこちにぶれまくるんだ。若い頃のあたしは、そういうのを何よりも楽しみにしてた。
アメリカの片田舎のダイナーで、エールを引っかけてたあたしんとこに、でっぷり肥ったコスプレにしか見えないカウボーイが勝負を持ちかけてきたんだ。年季の入ったリボルバーを片手に、な。
「こいつに勝てば1万ドルなんだ。非課税の現ナマでな。興味ないか?」
正直言って、こういう手合いは慣れっこだ。撃ち合いを賭け事に使う、カウボーイの風上にも置けない連中の姿を沢山見てきた。大抵は勝負とやらの途中で撃ち殺されちまうようだが、あたしは勝てる勝負にしか乗らないので知ったこっちゃなかった。
「へぇ。ロシアンルーレットかい? 古式ゆかしい……」
「はは、姉ちゃん、やり手だな? その通りさ。見かけは古いが動作はバッチリだ。今まで何人もの運のいい奴の生き血を啜ってきたんだぜ……」
へっへっと、カウボーイは下品に躰を揺すった。あたしとしては別に、ここで逃げても美学には反しない。賭け事だけが生きる道だ。言い換えれば、人生で何回賭けができるかって事にだけ拘ってる。1万ドルなんて、ここから100キロばかり南のラスベガスでルーレットでも当てりゃあ幾らでも懐に入ってくる額だったし、普通なら多少ナメられても撤退、が安パイの筈だった。
銃を手に取る。スターム・ルガーのセキュリティシックス初期型、ごくありふれた4インチバレルの.357マグナムリボルバーだ。リボルバーはあまり見たことがなく、珍しいのでつい眺めた。あたしの愛銃はイタリア製のセミオートで、普段は腰から提げてるだけで出番らしい出番はない。というか、たまの整備に射撃場に持ち込む以外はホルスターから抜かないものだ。銃が必要になるほど治安の悪い地域に出かけようとは思わないからだ……勿論、あたしの腰を見て余計なことを考えるのをやめた奴もいるだろうが。
「確率は?」
自分の口をついた言葉に、自分でも驚いた。あたしには分の悪い賭けである筈のロシアンルーレットに、なぜか乗ろうとしている。何の変哲もないセキュリティシックスに、なぜか心を囚われつつあった。
「オーソドックスに6分の1だ。弾倉の中が見えないように、特殊な塗装と加工をした銃を使う。変に覗き込んだりして弾の有無を確認したりすればその場で負け。先攻3発、後攻2発、すべてダブルアクションだ。5回目の引き金を引き終わった時点で弾が出なけりゃ2回戦。やってる最中でこれはアタリだ、そう思ったらあそこに下がってるダーツの的に向けてぶっ放してもいいことになってる。その場合、弾が出ればそいつの勝ち、不発なら負け。そこまでが1セットだ……改めておさらいするまでもねえ、
カウボーイが顎をしゃくったほうを見る。なるほど、使い古されて印刷の剥げたダーツの的に、何個かの孔が空いている。あそこが安全地帯ってわけだ……こんなはした金でくたばるつもりは毛頭なかったが、あたしはそれでも勝負に乗った。
「やるよ。ただし勝負は1セットこっきりだ、あたしも命は惜しいからな」
立会人が別室でセキュリティシックスに弾を込めてる間、あたしは対戦相手とテーブルを挟んで向かい合っていた。
どう見たってこの酒とヤニの臭いが支配する場には似つかわしくない、胸元の大きく空いた、白いワンピースを着た上品なお嬢さんだった。育ちも良さそうで、おっぱいもデカかったな。笑った顔がまた可愛くてな、その場にいた男どもの視線を釘付けにしてたよ。
「なんだってこんなところに?」
あたしは訊いた。するとお嬢さんはクスクス笑って、こう言ったんだ。
「お金持ちの家のお嬢さんに見えるでしょう、私?」
ってね。ああ、って返事したら、そいつはもっと笑ったんだ。
「何がおかしいんだ?」
ちょっとイラッとしながら訊いたら、お嬢さんは笑いながら泣いてた。さすがのあたしもビックリしちまったよ。
「ごめんなさい、そうよね。私なんかがこんなところにいていいわけがないものね」
いや、そういう意味じゃないんだと否定しても、彼女は泣き止まなかった。なんだか不気味な気がしたんだ、そのときは。
「……家が――その、あなたが……あなたたちが思うとおり、私のお
わかってみりゃ簡単なことだった。そういう没落貴族みたいなのが、一攫千金を狙ってギャンブルに身を投じるってのはよくあることだ。滔々と語るお嬢さんは、悲しい目だったけど、どこか全てを諦めているようにも思えた。
「勝てば1万ドルでしょう? とても全額には足りないけれど、持って帰れれば上出来」
「そうだな。そういうルールだ……でも、失敗すれば死んじまうんだぞ?」
そんなことは承知でこの勝負に乗ったんだろうに、あたしは間抜けなことを訊いた。どこに撃ち込んだって、.357マグナムは軟らかい人体組織など簡単に破壊してしまうし、そうでなくとも出血多量でそう時間を置かず死ぬ可能性は高い。ボディーチェックを受けたから、防弾チョッキなんかはおろか映画みたいにライターとかでいかさまするのも無理だ。稀に当たり所が良くて生き残る奴もいるらしいが、レアケースもいいとこだろう。
「ふふ……わかっています」
お嬢さんは微笑んだ。ぞっとするような覚悟の決まった目だった……けど、どこか悲しかった。
「保険ですよ。何かあったときのために、私には生命保険がかかってるんです。死んだら簡単な書類だけで、多額のお金が実家に入るようになってる。確か、今の時点で20万ドル……だったかしら?」
あたしだけじゃなく、その場にいた誰もが絶句した。このお嬢さんの言い分が本当なら、彼女はここで負けて死んじまったほうがいいってことになる。1万と20万じゃわけが違う。
文字通り彼女は、この勝負に命を賭けてたってことだ。あたしも、他の挑戦者もそうといえばそうなんだが、それはどこかギャンブルの延長で、ついで、みたいなニュアンスが強かったんだ。それが、このお嬢さんは違った。
「なんで……そこまでするんだ?」
あたしはなおも訊ねた。仮にもこれから命の凌ぎ合いをしようって相手に、迂闊に同情を重ねすぎだ、とも思ったけど……あたしみたいな人種は、勝負ごとのリスクを減らすために、そういうのを根掘り葉掘り訊いておく習慣があるからな。考えちまったらもう止まんないんだ。
お嬢さんはこう答えた。借金取りといっても、あくどい高利貸しみたいなのもいる。そうなってくると、借金のカタに若い女を売りに出したりすることもあるらしい。お嬢さんもその標的になったんだと。
「そんな連中の言いなりになって、どこの馬の骨ともわからない汚らわしい男どもに純潔を捧げてまで、現世に留まりたいとは思っていません」
お嬢さんの目は真っ直ぐだった。それで、ああ、と思った。単にプライドが高いんじゃあない。自分の価値を自分で決めて、自己流の美学を厳格に定めて、そこからはみ出そうものなら死を選ぶ。勿論、それが理想でそれがすべてだとあたしに断ずる権利はないけど、お嬢さんはそのルールを己に課していた。
だから、とお嬢さんは言葉を次いだ。
「勝負を受けたんです。もし私が勝てば、あなたにとっては残念なことになるでしょうが、1万ドルは私の手に入ります。それを元手に、多少の錬金術なら心得ています……元があるなら、増やすくらいは造作もありません。そして、もし私が負けたら、そのときは――」
その先は告げないで、彼女は笑った。覚悟、なんてもんじゃない。お嬢さんは死にに来たんだ。自分の、本来なら輝いて然るべき人生を、こんな場末の酒場のロシアンルーレットに
「お待たせしました」
立会人がリボルバー片手にこっちの部屋に入ってきたとき、あたしは生きた心地がしなかった。だって、お嬢さんは死のうとしてるし、あたしがまさか死ぬわけにはいかないし、だからといってお嬢さんのお手伝いはできないし。八方塞がりってのはこういう状況のことを言うんだろうなって思ったよ。マジに、なんにも手の打ちようがねえんだ……あたしは震える手でリボルバーを手に取った。コイントスはお嬢さんの先攻を示した。
お嬢さんは胸の前で十字を切って、何事かを唱えて祈りを捧げると、ルガー・セキュリティシックスを掴み上げた。
「まぁ」
好奇に満ちた目と声で、お嬢さんはどこかうきうきとした調子で発した。
「意外と重いんですね、リボルバーって……マグナム、というのですよね? ふふ……なんだか工芸品みたいで、とても美しいわ」
とても人を殺すための武器とは思えない。お嬢さんはそうも言った。
「綺麗……こんなことでなければ、いつまでも手に取って眺めていたいものだわ」
「コホン、あの――」
立会人がたまらず、いつまでも銃を弄んでいるお嬢さんに話しかける。
「あまり弄くり回されますと、万が一ということもございます。それに、万一弾倉や銃口を覗き込んでしまっては、失格と見做される可能性もありますので」
「ああ、それもそうね……ご忠告ありがとうございます。気をつけますわ」
「よろしいですか? それでは――」
立会人が、勝負の開始を宣告する。
丁寧な所作で、お嬢さんはリボルバーを自分の顎下に押しつけた。絵画みたいに綺麗だと、あたしは場違いな感想を抱いた。同時に、何か恐ろしい、この世のものではない、とにかく生きている間はあたしなんかが目に入れてはいけないようなものを見ちまったような気がして、あたしは思わず目を逸らした。
ただ空撃ちするだけの、かちん、て音が、やけに大きく響いたのを覚えてる。
「……ふふ、うふふふ」
お嬢さんは、おかしくてたまらない、という風に、肩を震わせて笑った。
「ええ、最初ですから。出る確率は低いんですよね?」
お嬢さんが、あたし、立会人、ギャラリーの順で見回し、問いかける。誰からも答えは出なかった。ただ、そうだ、と言えばいいだけのことを、皆、口にすることができなかった。
「では――」
あたしは差し出されたリボルバーを受け取った。青黒く光るその銃身は、死神の鎌か衣か――いつものあたしなら絶対にそんな幼稚なことは考えないのに、そのときははっきりと考えてしまった。
情けないくらいがたがた震える手で、あたしはこめかみに当てたそいつの引き金を引いた。あり得ないくらい重くて、腕が痛んで、引き切ったときには銃口が完全に逸れていたから、ギャラリーからは文句が上がったっけ。あたしは全身の震えが治まらないのに恐怖しながら、なんとかそのガヤどもに向かってうるせえ! と吠えてやった。
「――次はあんたの番だ」
そう言って、お嬢さんに回転式弾倉がひとつ分動いた銃を差し出す。お嬢さんはやっぱり、あのアルカイックスマイルを浮かべたまんまで、動じたりしているようには見えなかった。
「はい。では、失礼いたします」
やはり優雅で、そしてどこか蠱惑的ですらある笑みを浮かべて、再び銃口がお嬢さんの顎下に吸い込まれていく。引き金が引かれる。弾は出ない。
「はい」
お嬢さんはにこやかに、セキュリティシックスをあたしに手渡した。あたしはそれを引ったくるみたいに奪い取って、やっぱりこめかみに押し当てる。この時点で確率は3分の1だ。あたしは大きく深呼吸をして、数秒ほど目を瞑って――ぐぐ、っと引き金を指の腹で押し込んだ。やっぱり弾は出ない。かちりと
ギャラリーがやいのやいのと囃し立てる。あたしにはそのほとんどが聞こえていなかった――どこか遠い別世界にいるようで、まったくもって現実感がなかった。息が上がって、顔が火照って、なのに心臓がいやに冷たくなったような気がして、とにかくたまらなかった。
「あら」
お嬢さんはそう言って、うふふ、とお上品に口元に手を添えて笑った。
「運がいいのね、あなたも私も」
「……まだわからないさ」
あたしは絞り出すように言った。賭けには緊張感が必要だし、あたしもそいつを求めてる。命の危機に陥ったことは二度や三度じゃなかったし、それすらもあたしの心を満たすためのものでしかなかった筈だ。それが、このときばかりは明確に、ああ、早く、早く解放してくれと祈るような気持ちになっていたんだ。おかしな話だ。あたしはばくばくとやかましい心臓に鎮まれと念を送って、胸元の服をぎゅうと掴んだ。
お嬢さんの手番が来た。確率は2分の1になった――なってしまった。これが最後になるかもしれない、誰もが固唾を呑んでいた。お嬢さんはしばらく考えていたようだったが、やがて決心したように銃を取って――今度は、自分の鳩尾あたりに押しつける。
「な――」
「変かもしれないけれど」
お嬢さんは、少しばかり震える声で言った。
「変な話かもしれないけど、私、顔だけは綺麗なまんまで残したいの」
「……」
「ねぇ、これで逝くと決まったわけじゃないけれど――」
お嬢さんの胸の下、ちょうど乳房の谷間に埋もれるようにして、銃口と照星が隠れた。それはなんだか……それこそ変な話で、白いワンピースの布地に銃の黒がよく映えて、とても綺麗で――こう表現すべきなのかどうかはわからないけど、視線を引き込まれるようなエロスがあった。明確に、その瞬間が、やけに性的で、魅力的だと思ったんだ。
「――もし果てるなら、ああ、皆さん、よおく見ていてくださいな。私が――」
2分の1だ。弾が出るか出ないかの二択、今までもそうだったけれど、この瞬間だけは明確に意味合いが違う。
「私が綺麗だったこと、意志を持って散ったこと。そして――とても傲慢だけど、ひとつの
瞬間。自分でも信じられないことに、駄目だ、という叫びが飛び出た。でもそれは、お嬢さんが引き金を引くのと同時だった。
あたしの声は、マグナムの銃声にかき消された。
白。黒。そして、ああ、血が、夥しく絶え間なく溢れていく、血が、血が、ただ赤く、朱く、紅く、
お嬢さんは大きく息を吐いた。口元はあまり見えなかったが、息の抜け方からして、たしかに笑っているようだった。その口の端から、黒赤い血が零れて、乳房の上に落ちて、また垂れて、血の出てるところに混ざっていった。
最初に銃が落ちて、続けて鳩尾に空洞を作ったお嬢さんの身体が崩れていった。椅子の上から前のめりに。埃のうっすら積もった床に、その肢体が倒れ込み、血の池が広がった。
蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのは、それから3分も経ってからのことだった。
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