骨上げ

高嶺の笑顔に送り出された田代は、再び控室の前にいた。何も聞くまいとしているのに、嫌でも話し声が耳に入ってくる。

「それにしても、お腹へったわね。お昼なんかとっくに過ぎちゃってるし。こんなことならおにぎりでも作ってきたらよかったわ。用意されてたおかきは全部食べちゃったしねえ。あ、あなたの好きな醤油せんべいは残しといたわよ。これだったら食べられるでしょ。いらないの? あっそう。じゃあ持って帰って置いときますからね」

仏壇に供えられた醬油せんべいというイメージを振り払いながら、田代はドアを開けた。

「失礼します! あの、骨上げの準備が整いました。火葬場の方までご案内いたします」

そんなに広くもない部屋に、老女が一人座っている。喪服のワンピースは裾がほつれ、糸が飛び出していた。老女は音もなく立ち上がる。田代はそれ以上眺めたくなくて、一足先に部屋を出た。振り返ることなく歩きだす。

火葬場はこんなに遠かっただろうか。田代はいつの間にか早足になっていた。確かめてはいないが、老女はついてきているはずだ。しかし、まったく足音がしな

い。おそるおそる振り返ると、老女は摺り足で少しずつ前に進んでいた。視線が合う前に、田代は前に向き直った。早く火葬場に到着したい。

高嶺の姿が見えたとき、田代は心の底からほっとした。他のスタッフたちも、遠巻きに待機している。高嶺は老女に箸を差し出した。

「大変お待たせいたしました。骨上げはこちらのお箸を使用します。骨片を二人一組で持ち上げ、骨壺に入れていただきます。この場合、男女ペアで行うのが正式とされています。もちろんお一人でも構いませんが、どうしても二人一組で行いたいという場合は、係員が手伝わせていただきます」

そこでいったん言葉を切り、意味ありげな視線をこちらに向けた。

「もしよろしければ、スタッフの田代がお手伝いしますが、いかかでしょうか」

老女がかすかにうなずいたのを確認すると、高嶺は「よろしくね、田代くん」と箸を差し出してきた。

「……承知しました」

この状況で断ることはできない。箸を受け取るときに、「ごめんね。男女ペアじゃないと駄目なのよ」とささやかれて納得する。今この場に男は田代しかいない。しょうがないと思いつつも、田代は今すぐ逃げ出したい衝動に駆られた。いちかばちかで振り返るが、火葬場のスタッフたちがさりげなく出口をふさいでいる。

逃げ出すことは諦め、あらためて目の前の骨と向き合った。こうしてみると、元が人間だったとは到底信じられない。火葬炉に放り込んでしまえば、ただのもの

だ。

「では、足の方から順に骨壺へとお納めください」

いつのまにか骨上げが始まっていた。田代は慌てて箸を持ち直し、高嶺の指示に従って骨を拾っていく。

「あんなに太い足をしてたのに、骨はこんなに細いのねえ」

足の骨を骨壺に入れると、老女は低い声でつぶやいた。

「ええ、みなさんそう言われます」

「この辺りはあばらかしら。本当に細いわぁ。あんなにお肉が付いていたとは思え

ない」

「そうでしょう。人間の骨は意外と細いんです」

あまり受け答えをしない方がいいのではないか。田代の心配をよそに、高嶺は相づちを返している。

「あっ、そちらがのど仏ですね。それを骨壺に収骨いただいて、終了になります」

そう言って指し示したのは、老女がつかんだ小さな骨だった。田代につかませることなく、まじまじと見つめている。

火葬場にはすでに、弛緩した雰囲気が漂っていた。他のスタッフたちは姿を消し、高嶺も説明は終わったとばかりに、別の作業に取りかかっている。

だから老女が箸を放り出したことに気づいたのは田代だけだった。

「そう、この骨だったのね」

愛おし気にのど仏をさすっている。田代は声をかけることもできず、ただ老女のつぶやきを聞くことしかできなかった。

「あなたって昔から、水でもお茶でも一気に飲むじゃない? 私、初めて会ったときからずっと不思議だったのよ。何でこんなに勢いよく上下に動くんだろうって。中々聞く機会がなかったんだけど、今となっちゃどうでもいいわね。……これでやっと、声に出さずに済むわ」

のど仏を目の前に掲げたかと思うと、老女は止める間もなく飲みこんでしまった。

背後から「見なかったふり」という声がする。振り返ると、高嶺は骨壺をふろしきで包んでいた。老女の声は聞こえていたはずだが、動揺している様子はない。田代はできるだけ何も考えないように努め、あとの作業を終えた。

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一緒に骨上げ 多聞 @tada_13

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