第21話 巴巴巴

「長すぎる」

 中空で痺れを切らしていたベレトが口を開く。

「しかし、ヤヨイが消えてくれたのは好都合だ。一位と二位を同時に相手取るのは骨が折れる」

「それで、戦況を整理するが、グラシャ=ラボラス。貴様はどう身を振る?」

 ベレトがウナギに声をかけるけど、わたしはそれどころじゃなかった。

 地面に体育座りで座り込んで、自分の両膝に顔を埋めた。

「はぁ……もぅまぢむり……生きててもしょうがないや……」

「おい、冬子! しっかりしろよ! あいつらおめぇを殺そうとしてんだぞ!」

「もう、どうでもいいよ……わたしの生きがいが消えちゃったんだから……」

 目の奥からあふれてくる涙をこらえながらうずくまっていた。

「ベレト! 一時休戦だ! 共闘しようぜ!」

 ウナギが必死でベレトに叫びかけている。

 わたしはといえば、もうすべてがどうでもよくなっていた。

 ほんとに。

「悪魔憑き」

 十字が槍の切っ先をわたしに向けて、吐き捨てる。

「てめぇ、生きる意志がないのか」

「なら、大人しく祓われてくんねぇか? 俺の評価と労働時間削減のためにさぁ」

 十字は槍を振りかぶって、わたしの頭に狙いをつける。

「ねぇ、あなたは何のために生きてるの?」

 わたしは十字に問いかける。

「てめぇらみてえなクソ悪魔をブチ殺して、うまい飯を食うためだよ」

「そっかぁ」

 キャソックがパツパツになるほど、十字の筋肉が盛り上がる。

「死んどけ」

 わたしの頭を狙って横凪ぎされた槍を、全身をウナギにすることで這いつくばって避けた。

 黒いミミズの群れのようになったわたしは、蠕動して十字から距離を取る。

「バケモンが」

 十字が吐き捨てて、槍の先端をわたしに向けて構えなおす。

 わたしは黒いミミズをふたたび人型に変化させる。

「それで、どうすればいいんだい?」

 頭上からベレトの声が聞こえる。

「ベレト! 手を組むぞ! 話は十字を倒してからだ!」

 わたしの胸から生えるウナギがベレトに叫ぶ。

「やだよ」

 わたしは自分の胸の悪魔に語りかける。

「エクソシストも、悪魔も、皆殺しにするよ」

 ウナギはわたしに頭を向けたまま絶句する。

「……落ちつけ、冬子。十字は強敵だ。大人しくベレトと共闘して、まずは十字を潰すぞ」

「やだ」

 わたしはだだっ子のようにかたくなに否定する。

「あいつは夜宵の敵だから、わたしの敵だよ」

「いいかげんにしろよ! あいつは祓魔師だ! エクソシスト教会に戻ったんだよ! もう諦めろ!」

「うるせぇな」

 十字の猛烈な刺突を、胸にぽっかり穴を開けることで避けた。

 返しの手で背中から生やしたウナギを5本くらい襲わせる。

 十字は槍の柄と穂先でウナギを捌いて距離を取る。

「ほんと、ウナギうるさいよ。もう決めたから。わたしはエクソシストも悪魔も殺し尽くすって」

 わたしは背中から黒い鳥の羽を生やす。

 悪魔の脚力のブーストと羽の羽ばたきで、一気にベレトの背中を取る。

「目ざわりなんだよね。堕ちて」

 わたしは悪魔の血を凝縮し、まっ黒な巨人の腕をつくり出していた。

 手を重ねた剛腕を振りかぶり、ベレトの背中に振り下ろす。

「ガッ――」

 一撃を受けたベレトが弾丸みたいに地面に堕ちていく。

「もらい」

 射線の先にいた十字は地面の石が割れるほどの踏み込みで、ベレトを串刺しにしようとする。

「ヒト! ヒト! ヒト!」

 ベレトは悪魔の血を爆散させて槍の一撃を避けた。

 飛び散った血が十字の背中で凝縮してベレトの形をつくる。

「やはりヒトは駄目だな。愚鈍! 愚昧! 愚蒙!」

 ベレトは悪魔の血を槍のように硬質化させて、右腕から何本も突き出した。

 十字は弧を描くように槍を回し、穂先でベレトの血槍を叩いて距離を取った。

「ヒトと契約するなど、考えただけで身の毛もよだつ! グラシャ=ラボラス。やはり貴様は失格だ。二十五位の座、次の悪魔に明け渡せ!」

 ベレトは右腕の一振りで、5本の槍をわたしに打ち出した。

 わたしは翼をはためかせて地面に近づくと、頭上を槍が飛び去っていく。

「甘い」

 ベレトが手の平を上に向けて右腕を上げると、地面から黒い槍が突き出してわたしの翼を抉った。

「痛ッ――」

 翼にも擬似的な神経が通ってるから、激痛とともにわたしは地に堕ちる。

 けど、致命傷ではない。

 なぜなら、悪魔にとって真に致命的になる傷は――

「本物の槍、見せてやるよ」

 ベレトの背後からバットのように槍を振りかぶった十字が、横薙ぎにベレトを両断する。

「下らん」

 ベレトは胸のあたりを爆発させて槍の横薙ぎをすかす。

「まだまだ」

 十字は返す槍で、振り抜いた体勢から体の捻りを活かし、ベレトの下半身を膝のあたりで両断する。

「グッ――」

 ベレトの顔が苦痛に歪む。

 祝福された武器の一撃は残る。

 わたしはその事実を、身をもって知っている。

 ベレトは人型の体を爆発させて悪魔の血となって逃げる。

「チャーンス♪」

 わたしは地面の上でウナギを左右に走らせて、ベレトの血の逃げ道を囲い込み、そのままウナギを縦に伸ばして壁をつくる。

「おじさん、やっちゃえ!」

「ご相伴」

 十字は槍を構えて、ウナギの壁ごとベレトの血を刻んだ。

「痛ッだあぁ――!」

「こいつら……!」

 悪魔がそろって苦悶の声をあげる。

 そりゃそうだ。

 十字はすべての悪魔を滅ぼそうとしてる。

 ベレトは血だまりから柱が伸びるのように人型に戻る。

 その両目からは黒い悪魔の血が流れ出ていて、制御できないくらいの力があふれているのがわかる。

「貴様らとは魔力の桁が違うんだよ」

 ベレトは全身から全方位に向けて鋭利な血塊を総射する。

「ウナギ!」

 ウナギが前方に盾を展開するけど、血の濃さが足りずに貫通した血塊がわたしのふとももに突き刺さった。

「痛っだあぁ!」

 十字も神がかった反射神経で血塊をいくつか叩き落としたけど、ある血塊はキャソックを破って十字の肌に血を浮かせ、ある血塊は筋肉の固まりみたいなふくらはぎを切り裂いた。

 どだい人間に避けられるような攻撃じゃないのだ。

「接近戦しかない」

 わたしはコンクリートの地面を吹き飛ばして、ベレトの側まで一足飛びで近寄り、ウナギに変えた右腕を食らいつかせる。

 ベレトは胸のあたりを爆発させる得意の避け方で噛みつきをかわし、

 ウナギの口からもう一本のウナギが伸びて十字に牙をむく。

「ほう!?」

 十字は槍の回転でウナギを払おうとするけど、意表を突いたのが効いたのか、ウナギは槍に巻きついた。

 十字の槍の動きが止まる。

 絶好の機会。

 ベレトは十字とわたしに手の平を向けて血塊を打ち出した。

「あだッだッあッああ!」

 わたしの体を血塊が貫く激痛に思わずウナギの拘束が解ける。

 わたしの体は痛むけど、すぐに悪魔の血が再生をはじめる。

 わたしよりもヒトの体をしてる十字のほうがダメージは深刻だった。

 槍を使えず、血塊がキャソックを切り裂き、左肩と右のふとももに鋭い血の固まりが突き刺さっていた。

「爆ぜろ!」

 ベレトが叫ぶと十字に刺さっていた血の塊が爆発する。

 十字の左肩と右ふとももから赤い血が飛び散る。

 勝負あったかと思ったけど、どっしりと構えて顔を上げた十字の口元は笑っていた。

 基本的に、悪魔と人間とでは勝負にならないのだ。

 悪魔は悪魔の血を使って人間をはるかに超えた力を出せるし、体が千切れ飛ぼうが再生できる。

 けれど、祓魔師は祝福された武器を持っているとはいえ、その体は生身だ。

 どんなに鍛えようとも人間の限界は超えられない。

 それでも。

 悪魔に挑もうとする人間は、頭のねじが吹き飛んでいる。

 十字は懐から聖水のビンを取り出し、コルクのふたを開け――

 ごくごくと飲みほした。

「は?」

 ベレトでさえ唖然として口を開けた。

「ぷはぁっ! 生き返った! これで百人力だぜ!」

「……ウナギ、そういうもんなの?」

「完全なプラシーボ効果だ。体もそのままだし、血も止まってねぇ」

 けど十字はさっきよりも一回り大きく見えて、槍を構えたときの圧さえも増していた。

「イエスが死んでるのを確認するためにわき腹に刺した槍をロンギヌスと呼ぶが、これは世界中に何本かあってな」

「これもその一本だが、レプリカだとしても〝聖槍〟の伝承は強度が高くてな、悪魔の身に重く響く」

 十字は丸太のような脚に力を込めてベレトの懐に踏み込む。

 ベレトはそれを避けようとしたが、両脚が思うように動いていないようだった。

「膝の傷だ」

 ウナギがベレトの動きから察する。

「チィッ――」

 ベレトは舌打ちして右肩を爆散させ、十字の一撃をすかした。

 しかし、それは初撃だった。

 槍を引いて間髪入れずに次の突きを繰り出し、ベレトは胸を爆散させる。

 次の瞬間には、三撃目の突きがベレトのわき腹を襲い、その部位を爆散させようとするが間にあわず、槍が肉を散らす。

 でも終わらない。

 四撃目の突きにはもうベレトの反応速度が間にあわず、左のふとももに槍が突き刺さる。

 ベレトのひたいにしわが寄り、怒りに目を細める。

 五撃目の突きがベレトの胴を突き抜けた。

 ベレトはたまらずに全身を爆裂させて、黒い液体に戻る。

 あまりに速い五連撃は、およそ人間技とは思えなかった。

「すご」

 思わず足止めたわたしの隙を、超人は見逃さなかった。

「ド素人が」

 十字は、手にしていた槍を投げた。

「あがああぁぁぁああっ……!」

 槍はまっすぐ飛び、わたしの下腹部を貫いた。

 そしていつの間にか装着されていた、槍の尻の鎖を引き、十字はわたしから槍を引き抜く。

「うああぁぁぁっ!!」

 槍が体内を引き抜かれる痛みに、わたしは崩れ落ちる。

 槍は鎖に引かれるまま、弧を描いて十字の手のなかに収まった。

「冬子、すまねぇ」

 ウナギが謝りながらわたしの下腹部の再生をはじめる。

 さすがのウナギでも、あのタイミングの投擲は予想できなかったみたいだ。

「ヒトの身でよくぞここまで練り上げたな」

 こめかみから汗を流すベレトがふたたび人型に戻る。

 祝福された武器の一撃は痛みを残す。

 身を削られれば削られるほど悪魔の能力は落ちていく。

 ヒトが悪魔と戦うために生み出した技だ。

「なんのこたねぇよ。ここまで練り上げられなかったヤツらが、殺されてっただけだ」

 十字は淡々とそう告げた。

「うぇっ、お腹重っ……生理みたい」

 槍で貫かれた臓器は再生してたけど、ズキズキとした痛みと、石を入れてるような重さが残ってる。

「聖槍の力だ。夜宵ほどの効果じゃねぇが、受ければ受けるほど動きが鈍くなる。どんだけ再生できようが、穴だらけにすりゃ動きが止まるってわけだ」

 十字はベレトとわたしの中間あたりに向けて槍を構える。

「穴だらけとは、いい考えだな。貴様を通して夜景でも眺めてやろうか?」

 ベレトの周囲に鋭い血塊が木星の輪のように展開する。

 その先端は十字もわたしも捉えていた。

 ベレトが血塊を放射状に打ち出す。

 十字は槍の矛先で血塊を打ち落とし、わたしはウナギが反応して硬い歯で血塊を噛み砕いた。

「これならどうだ?」

 ベレトが地面から少し浮きあがると、 ベレトの周囲に球と見間違えるほどの量の血塊が発生する。

「選別する」

 拳大の血塊が雨のように降り注ぐ。

 ウナギの硬質化した表面にバリバリと音を立てて血塊がぶつかる。

 十字は槍を手首の動きで回転させて可能なかぎりの血塊を打ち落とすけど、どうしたって打ち漏らした血塊に体を削られていた。

「このままじゃシューティングゲームになって詰みだ」

「ウナギ、アレやろうよ」

「アレ?」

「公園でやったときみたいなの」

「アレか。語彙力低すぎだろ」

 ウナギは熟年夫婦のような察し方で盾の中心を銃に変えた。

 まるで傘の先がマシンガンになったようだった。

 わたしは地面に寝そべって、引き金に指をかけた。

「FireeeeeeeeeeeYeeeeeahhhhhhhhh!!!!!!」

 アーチを描いた血塊が夜空を切り裂いてベレトのところまで飛ぶ。

「猿真似を」

 ベレトは空中でサーカスのようにひらりと舞って血塊を回避した。

 返す手でわたしに血塊を打ちだしてくる。

 わたしは銃口をずらして血塊を撃ち落とした。

「ウナギ、わたしを打ち出して」

「は?」

「いいから、わたしを打ち出して」

「あいかわらずトチ狂ってんなぁ」

 ウナギの形をした銃に触る手からどんどん血が抜けていき、わたしの体が薄くなるのがわかる。

「堕ちろおおぉぉぉぉおおぉおぉぉおおっ!!」

 わたしはあえて派手な叫びをあげて血塊をベレトに吐きつづける。

 ベレトはそれを旋回してかわしながら、隙を見てわたしと十字に血塊を撃ち込んでくる。

「いただきまーす♪」

 銃の前からわたしの姿が消え、ベレトの背後で凝縮した血塊の集合体がわたしになる。

「がぶりっ!」

 わたしは右腕のウナギをベレトの背中に食らいつかせた。

「こいつ……!」

 ベレトが苦悶の表情で振り返り――

 ベレトとわたしを地上から投擲された槍が貫いた。

「ごぶっ」

「あだあぁっ!?」

 鎖に引かれてわたしたちは地上に墜落する。

 ぞぶり。

 嫌な音を立てて槍が引き抜かれる。

「ご苦労さん」

 十字のボロボロのキャソックからは、木彫りの像みたいな体が見えていた。

 ついでに槍の先端がわたしの頭に向けられてるのもわかった。

「やっば」

 槍が振り下ろされて悪魔の血が飛び散る。

 コンクリートの地面に槍が突き刺さっていたけど、わたしは無事だった。

 ベレトのまねをして首から上を爆散させたのだ。

 どんどん悪魔じみてくな、わたし。

 首のない体だけで距離を取って、悪魔の血で首を生やす。

 十字はわたしに避けられたことに何の反応も示さず、槍を回転させてベレトの腹部を切り裂いた。

「ガバッ……!」

 わたしよりも槍の一撃が響いていたのか、ベレトの動きは鈍く、爆発による回避も間にあってなかった。

「地上戦なら負けねぇよ」

 十字はベレトに一歩踏み込んで、必殺の連撃を繰り出そうとする。

 ベレトはさすがに分が悪いと踏んだのか、全身を爆発させて液状化し――

 十字は地面の血だまりに槍を刺しつづけた。

「Gvvvvvahhhhh!」

 ベレトの声帯のない叫びが黒い血だまりを泡立てる。

 血だまりが滑りながら移動して、黒い血にまみれたベレトがお風呂からあがるみたいに人型に戻る。

 血だまりの位置を予測して飛び込んでいたわたしは、両手のウナギを噛みあわせてベレトの頭を潰す。

 それをベレトが頭を爆発させて避け、背中から血でできた槍を何本も突き出した。

「痛っつ――」

 わたしの右腕のふとももとわき腹に槍が突き刺さった。

「冬子、退け!」

 ウナギの叫びを理解するころには、ベレトの陰に隠れて十字が飛び込んで来ていた。

 十字が大きく体を捻って構えていた槍を振るうと、ベレトが胴を吹き飛ばして避ける。

 結果、ベレトの胴体をすり抜けた槍先がわたしの腹部を切り裂いた。

「まっず……!」

 わたしはたまらず両翼を生やして離脱しようとし、ベレトの両脚から生えた腕がわたしの足をつかんだ。

「うざっ!」

 十字がその隙を見逃すはずもなく、神速の刺突がわたしの頭を襲う。

 わたしはベレトのように全身を爆散させて槍を避けた。

 ベレトの血とわたしの血で地面がまっ黒に染まるけど、水と油のようにおたがいの血は混ざりあわない。

「刻み尽くすまでよ」

 十字がわたしとベレトの血だまりに向けて槍を向けると、ベレトのつくり出した血槍が血だまりから何本も突き出た。

 十字は血槍を槍で受けて致命傷を避ける。

 けれどベレトの攻撃はそれに留まらず、槍の先からウニのように細い槍が伸びる。

 視覚外からの、それも多方向からの攻撃に十字の太い二の腕やふくらはぎが貫かれる。

 細い槍は爆発するようにその穂先を伸ばして、わたしの血だまりを貫くことも忘れない。

 液体になった体でも、棘に貫かれる痛みは走る。

 食い千切るっ!

 わたしは血だまりから何本ものウナギを生み出し、ベレトの血や槍に食らいつかせる。

 身動きの取れない十字にも、大きな両手が包み込むように十本のウナギを走らせる。

 ウナギの歯が十字のわき腹と右肩に食い込む。

 が、十字はベレトの棘をむりやり引き抜き、槍を振り回してウナギを両断する。

「AgaVaVogo!!!」

 わたしが叫び声をあげると血だまりがボコボコと泡だった。

 泥試合だった。

 かろうじてヒトの形を留めてるのは十字だけで、十字でさえも上半身はほとんど裸で傷と血にまみれていた。

 もはや攻撃を避けるつもりもなく、ただただ一撃を加えることで相手を仕留めようとしていた。

 ベレトは自身の血だまりから巨大な黒い手を伸び上がらせて十字をつかもうとする。

 気取ったスーツはどこへやら、ベレトももうなりふり構っていなかった。

「いよいよ悪魔じみてきたな!」

 自身も十分ヒトの枠からはみ出てる十字が、槍を振り上げてベレトの指を切り落とす。

 すると切り落とされた指が爆発して無数の血塊をまき散らす。

「ハッ! おもしれぇ!」

 十字は背中に血塊を受けて針ネズミのようになりながら、槍を振り回して手を細切れにした。

 切断された部位が血塊になって爆発するけど、十字は意に介さない。

「なくなっちまうぞ!!」

 十字は全身から血塊を生やしながら手をバラバラに解体した。

「Gub! Gavavab!」

 十字は書道家が大筆で書き初めをするように、ベレトの血だまりを槍で切り裂いていく。

「ソロモンの悪魔はこんなもんじゃねぇだろ!?」

 十字が血だまりを突き刺すたびに返り血が飛び、十字は血塊と傷と血と返り血で鬼気迫る様相になっていた。

「ウナギ、あれ食べるよ」

「腹壊すんじゃねぇぞ!」

 わたしは血だまりから、巨大なウナギを伸び上がらせる。

 あまりに大きすぎて、ヘビというよりももはや鯨に近かった。

 口を大きく開き、高台の地面ごと十字とベレトを噛み潰す。

 十字はウナギの歯を避けて、槍を振り回し、口内をズタズタに切り裂く。

 ベレトの血槍もウナギの口内から頭まで貫いていた。

 ベレトは血槍を爆発させ、口内に捕らえられた十字ごと血塊で吹き飛ばそうとする。

「グゥッ……!」

 逃げ場をなくした十字が血塊の直撃を受けてうめき声をあげる。

 わたしの口内も血塊が突き刺さり、十字の槍もあいまって、痛みで頭が割れそうになる。

「つっかまえたあぁぁぁぁぁ!!!」

 巨大なウナギの喉の奥からヒトの形をしたわたしが降ってくる。

 ベレトの一撃で十字に隙ができている。

 わたしは背中から大きな黒い二本の手を生やし、組みあわせた手を十字の頭上から振り下ろした。

「ガキがッ……!」

 十字は大質量の一撃を、槍を横にして受けた。

 もらった。

 わたしは背中に回していた両腕のウナギを、トラバサミのように十字の腹に食らいつかせる。

「食い千切るうぅぅぅっ!」

 わたしは手の爪にあたるウナギの歯を十字の胴に食い込ませて噛み千切ろうとする。

 ダメ押しでヒトの姿を捨てたベレトが、十時に向けて血だまりから血槍を集中させた。

 血槍はわたしごと貫いて、十字に突き刺さった。

「ベレト……殺す……!」

 わたしは黒い血を吐きながら、十字のお腹を噛み千切ろうと力を入れる。

 歯は皮膚を突き破って肉に食い込んでたけど、腹筋が厚すぎてなかなか噛み千切れない。

「どいつもこいつも……しゃらくせぇなぁ!!」

 十字が槍を旋回させてわたしの両腕とベレトの血槍を引き千切った。

「痛っ――」

 わたしはベレトの血槍に貫かれたまま、両腕を失った苦痛に顔を歪める。

 ベレトが血槍を爆裂させて、わたしと十字は黒と赤の血をまき散らす。

「噴ッ! 勢ッ! 覇ッ!」

 爆発すら意に介さない十字の三連撃が、わたしの右ふとももとお腹と心臓を貫いた。

「ごぶっ」

 わたしは口から血を戻しながら後ろに吹き飛ぶ。

「≪天にまします我らが父よ、汝の聖なる御名において、我が槍に裁きの権能を与えたまえ≫」

 ベレトが血だまりから次々と血槍を突き出す。

 十字は血槍を砕きながら、血だまりを切り裂いて魔法陣を描いていく。

 いや。

 魔法陣をベレトの血に刻んでいた。

 巨大ウナギの口のドームにベレトの悲鳴が響く。

「ソロモン王のペンタグラムだ。効くだろ?」

 ベレトは海の波を凍らせたような血槍の束を次々と突き出す。

 十字はその何本かを受けながら聖槍を振るい、血槍を砕きながらベレトに魔法陣を刻みつける。

 致命傷になりそうな血槍だけを壊しながら、体が削がれるのも気にせず、陣を刻む手を止めない。

 強靭な肉体を持つから可能になる、夜宵とは別の絶技だった。

「悪魔の体に服従の印を刻める機会なんざそうそうねぇが、こうもキャンバスがデカくっちゃなぁ!」

 十字はわき腹を貫かれては血槍を粉々にし、ふとももの肉を削がれては血だまりに陣を印した。

「出世のためだッ! 死んでくれやあああああ!」

 十字はそう言うけど、とても仕事のためにやっているとは思えなかった。

 全身、傷だらけの穴だらけの血まみれで、ほとんど死にかけてるはずなのに、嬉々としてベレトを祓おうとしている。

「そっか」

 十字はうれしいんだ。

 わたしはそう感じた。

 気の遠くなるような日々で磨きあげた力を思う存分振るえることが。

 その瞬間に出会えたことが。

 それは、とても。

「うらやましい」

 わたしは足だけで立ち上がって、両腕を再生させる。

「おい」

 わたしの胸のウナギが声を出す。

「冬子、やめろ」

 わたしは両腕のウナギの牙をより長く鋭利にし、必殺の一撃を狙う。

「なんで? ベレトが死んだときが、いちばんの十字を殺すチャンスじゃない?」

「おめぇじゃ十字に勝てねぇ」

「やってみないとわかんなくない?」

 わたしは両手のウナギの口を大きく開いて見せた。

 ウナギの下あごがはがれて血だまり散らして跳ねた。

「………」

「もうまともに体も動かねぇだろ? 聖槍のもらいすぎだ」

「嘘? ぜんぜん痛くないけど?」

「脳内麻薬が出てっからだろ。もう勝負はついてんだよ」

 わたしはなくなったウナギの下あごを悪魔の血で再生させる。

「冬子」

 わたしは壮絶に打ちあうベレトと十字を見る。

「言ったじゃん。わたしは両方殺すって」

「何のために?」

「さぁ。わかんないけど、殺したい気分なんだよ」

「おめぇ、死ぬぞ」

 わたしは十字の狂気的な笑みを見る。

「でも……どうでもよくない?」

 わたしもにっこりとほほ笑んだ。

「わたしが死ぬことも、ベレトが死ぬことも、十字が死ぬことも……ぜんぶ、どうでもよくない?」

「その言葉、ひさしぶりに聞いたな」

「そう?」

 わたしは血だまりを踏み出して、十字に近寄ろうとする。

 ずきり、と槍に突かれた心臓が痛んで、顔から血だまりに転げた。

「約束はどうする?」

「約束?」

 わたしはウナギが何のことを言ってるか理解できなかった。

「夜宵が殺しに来るぞ」

「あぁ……」

 わたしはその名前を聞いて思わず口角が上がる。

「そういえば、そうだったなぁ」

 右ほほを濡らす黒い血が冷たい。

「でも、もう関係なくない? 夜宵は友愛クラブに戻ったんでしょ? 別の道を進んでんだから……どうでもよくない?」

「よくねぇよ」

「悪魔なのに人の何がわかんの? いいからはやく血ちょうだい。あいつら殺せないじゃん」

「何で殺すんだよ」

「何で? 邪魔だからだよ。当たり前じゃん」

「何に邪魔なんだよ?」

「何ってわたしがやりたいこと……あれ? わたし、何がやりたいんだっけ……?」

 ウナギはもう何も言わなかった。

 なんでよ。

 教えてくれたっていいじゃん。

 誰か、わたしが何をやりたいのか教えてよ。

「逃げるぞ」

 ベレトと十字はおたがいの身を削りながら激しく打ちあってる。

「逃げられんの?」

「ぜんぶ押し流す」

「あいつらにとってはいまがクライマックスだろうが、ぜんぶ台無しにする」

「……逃げてどうすんの?」

 わたしはもう、何もかもがどうでもよかった。

「それは、冬子が決めろ」

 ウナギは何も教えてくれなかった。

 やっぱり悪魔だ。

「いくぞ」

 ウナギの口と体が蠕動する。

 地鳴りみたいな音で十字とベレトの動きが止まる。

 ウナギは自分の体に蓄えられている大質量の悪魔の血を、喉の奥から吐き出した。

 津波のような黒い血が喉の奥から降ってくる。

 ウナギは巨大な自分の体さえも悪魔の血に変換して丘の上に叩きつけた。

 神さまがバケツをひっくり返したような洪水で、わたしもベレトも十字も丘の上から押し流される。

「逃げるぞ」

 わたしの体から細長いクモみたいな脚が四本生えて、丘の斜面を駆け降りる。

 その脚の細さで、ウナギがほんとに大部分の血を使って逃げたのだとわかった。

 長く生きた悪魔は、逃げ方にも思い切りがいると知ってるんだろう。

 わたしは手足をぷらぷらさせて人形のようにウナギに運ばれていく。

 夜の街の光も、傷はないのに痛む体も、夜宵もベレトも十字も、もうぜんぶどうでもいい気分だった。

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