第17話 我慢くらべ

 あれから5日。

「ただいま」

 わたしが食料の調達から戻ると、夜宵は平然としてベッドの上に座っていた。

 さすがにかわいそうだからセーラー服を着せている。

「遅いですよ。待ちくたびれました」

 最初のうちは言葉も聞いてくれず、水も食事も取ろうとしなかったけど、3日目で変わってきた。

 どんな方法でも生きのびてわたしを祓おうと思ったのか、単にお腹が空いたのか、理由はわからなかった。

「今日はミートソースのスパゲティと、夜宵が言ってたサラダも買ってきたよ」

 わたしはレンジでチンしたスパゲティを開けて、フォークを持つ。

「だいたい、あなたは食事の栄養を考えなさすぎです。日々ジャンクなものばかり食べていては、体を壊しますよ」

 夜宵がお母さんみたいなことを言ってくる。

「まぁ臓器くらいなら悪魔の血でつくり変えられるがな」

 ウナギがぼそっとつぶやく。

 わたしはスパゲッティをフォークで絡めとって夜宵の口元に持っていく。

「もぐっ……らいらいはなたは生活能力がなさすぎます……むぐっむぐっ……部屋も片づけられないし……んくっ……どんな育てられ方したんですか?」

 夜宵の口元にペットボトルの水を運ぶ。

 夜宵が細い喉を動かして水を飲み下していく。

「んー……お母さんはわたしが小さいときに病気で入院しちゃって、お父さんとふたりで暮らしてたんだけど、お父さんがひどいヤツでさ。すぐ叩いたり蹴ったりして、お金だけ置いて帰って来ないことも多かったから、お金がなくなったら水飲んでたかな。お母さんは優しかったけど、働きすぎで体壊して入院しちゃったから、あんまり育てられた覚えがないんだよね」

「………」

 話してる最中にも夜宵の口にパスタを運び、夜宵は口にほおばったそれをよく噛んでから嚥下した。

「ごめんなさいね。私が軽率だったわ」

 夜宵が頭を下げる。

「ううん。気にしてないよ」

 わたしはサラダをフォークで刺して、夜宵の口に運ぶ。

「むしゃむしゃ……れもなんれ悪魔となんか契約ひたの? 結構な代償を払ったのでしょう?」

「命の半分だね」

 夜宵がただでさえ大きな瞳をさらに丸く開く。

 猫みたいにくりくりした目がうらやましい。

「あなた、死ぬのがこわくないの?」

「こわいよ」

 わたしは自然と笑みが浮かんできた。

「だから、契約したんだよ」

 夜宵は、わたしが言ってることがよくわからないみたいだった。

「一回しかない人生だから、わたしはわたしが望むすべてのものが欲しいの」

「でも、わたしは頭もよくないし、力もないし、お金もなかったから、ズルするしかなかったの」

「命の半分を使っても、わたしはこの世界のすべてが欲しいの」

「死ぬのはこわいよ。夜ひとりでわたしが死ぬときのことを考えると、体が震えてきて、目が冴えて眠れなくなるくらい」

「でもね、死ぬのがこわいのは、このまま何も手に入らずに死ぬのがこわいからなんだよ。生まれて大きくなるだけで、何もつかめず、あぁ何でもない人生だったなぁって思いながら、死ぬのがこわいんだよ」

「だから、わたしは悪魔と契約したの。命の半分を捧げても、わたしには欲しいものがあったから」

 夜宵はわたしの話を静かに聞いていた。

 口を挟まず、わたしのことを見ながら、ただ聞いていた。

「……それで、あなたは何が欲しかったの?」

 わたしはここまであったことを振り返る。

「わたしには、欲しいものがたくさんあったの。ブランドものの服とか鞄とかね。はじめのうちはウナギの力を使って手に入れてたんだけど、だんだんわかってきた。手に入れた服や鞄が、しばらくしたら何でもないもののように思えてきて。わたし、ほんとうは何が欲しいんだろう? って考えるようになったの」

「いままで欲しかったアクセサリーや香水も色あせて見えてね。それで、もやもやしながら街を歩いてたら、夜宵に会ったんだよ」

「はじめはわたしに痛いことするやつみんな殺そうと思ってたけど、サングラスとマスクが外れて、夜宵の素顔を見たときにわかったの。わたしは、夜宵が欲しかったんだって」

「こんなにかわいい子見たのはじめてだったし、胸が高鳴って、顔が熱くなって、よろこびが心臓の奥から体のすみずみまで湧きあがってくる感じ。運命、だと思った。わたし夜宵が欲しくて、いままで生きてきたんだって。だから、わたしは夜宵のために罠を張った」

「歓迎会なんてはじめてだったから、ない頭を使ってどうやったら勝てるだろうって考えて、ワクワクしながら準備して、グラウンドにでっかく招待状まで書いて待ってた。夜宵に勝ったら、友だちになってくれるかもしれないって」

「だから、夜宵。わたしと友だちになって」

 わたしは縛られた夜宵にほほ笑みかける。

 夜宵は薄く口を開けて、わたしの顔をじっと見つめていた。

「………あなた、どうかしてますね」

「ダメかー!」

 わたしは両手で顔を覆ってベッドに倒れ込む。

 まだ長期戦になりそうだ。

「あなたの言ってること、ぜんぜん理解できないのですが……」

 わたしは両手の指のあいだから夜宵の顔を眺めた。

「あなたみたいな人と話すの、はじめてです」

 夜宵は表情のない、何を考えているのかよくわからない顔でそう言った。

「私も……こんなに長いあいだ職務を離れることがはじめてでしたから、色んなこと考えてました。他にやることもなかったですし」

「あなたに負けた理由、負けても生かされていた理由、あなたの言葉の数々。悪魔に負けた祓魔師の存在意義、私が生まれてからいままでの人生、私が悪魔を祓う理由や父親のこと」

「色んなことを考えたけど、分からないことばかりでした。私は悪魔を祓うために生まれ、いままで悪魔と戦いつづけてきた。でも――」

「あなたの言ってた言葉が、頭から離れなかった。あなたと私が闘っていたときに言ってたあれ、どういう意味なのですか?」

「すべての悪魔を殺したあとに、私に残るもの、ってあの言葉が気になって、なんだか引っかかってるんです」

 わたしはくすくすと笑って、スパゲティやサラダのトレイをビニール袋に包んで口を縛る。

「何かおかしいですか……?」

 夜宵が目を細めてわたしをにらむ。

「ううん。でも、きっといつかわかるよ。みんなそういう時間のこと、〝思い出〟って名前で呼ぶの」

 夜宵はわたしの言葉に、あまりピンときていないみたいだった。

「それは……必要なものですか?」

「ううん。でも、必要になるときがくるかもしれない。すべての悪魔を殺してしまったら、夜宵に何が残るの?」

「私は、悪魔を祓うために生まれました。 すべての悪魔が世界から消えたら、私が生きている理由はないです」

「でしょ? だから〝思い出〟がいるの」

「……しかし、一説によると悪魔は2兆6658億6674万6664匹いるそうです。私が生きているうちに、悪魔が絶滅することはないでしょう」

「じゃあ、必要ないかもね」

 夜宵は少しうつむいて考える。

 そうすると丸いおでこが、部屋の間接照明で光を帯びる。

「ほんとうに……必要ないのですか?」

「……わかんない。夜宵しだいかな?」

 夜宵はまたわたしの言葉を考えているようだった。

「ねぇ、そろそろその〝あなた〟ってやめよ。冬子でいいよ」

 夜宵は顔を上げて、わたしの目をじっと見る。

 夜宵の瞳は大きく、黒く深い湖のようで、見つめ返していると吸い込まれていきそうだった。

「いやです」

「なんでよー!」

 わたしは両手をベッドに打ちつけた。

「あなたを名前で呼ぶ理由がありません」

「少しはなかよくなれたと思ったのに……」

「拘束して監禁することを『なかよく』とは言いません」

 ぐぅの音も出ない。

「けど……」

 夜宵はあいかわらずの無表情でそっぽを向いた。

「あなたの言っていたこと、考えておきます。分からないことを中途半端にしておくことは、私の主義に反します」

 その生真面目さがなんだかおかしくて、わたしは目をつむる夜宵の横顔をただ見つめていた。

「……ところで」

「ん?」

「あなたの晩ごはんは、何なのでしょう?」

 何ごともなかったかのように、ビニール袋を背中に隠す。

「たいしたものじゃないよ」

「私は何なのか聞いています」

「……う」

「どうせバレるのですから、早い方がよいでしょう」

「……ハンバーガー」

「野菜は?」

「……バンズとパティのあいだに」

「ちゃんと野菜も摂りなさいって言ってたでしょ!」

 たしかに言われた。

 が、なぜわたしは14歳の女の子に説教されているのだろうか。

「すいません」

「若いうちからそんな生活してると、歳を重ねたときに……」

 そこまで口にした夜宵ははっと言葉を止めた。

 そう。

 寿命の半分を燃料にしたわたしに、歳を取った未来がどれだけ存在しているかわからないのだ。

「……ごめんなさい」

「気にしないで。わたしが選んだ道だから、誰かに謝られることじゃないよ」

「それに」

「わたし、100歳まで生きる予定だったかもしれないじゃん」

 夜宵が弾かれたように頭を上げる。

「で、あればやはり野菜も摂って健全な食生活を――」

 夜宵が急に元の調子を取り戻したのを見て笑ってしまう。

 ほんとひさしぶりに、女の子とこんな調子で話した。

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