第11話 それは彗星のように

「冬子、飛べ!」

「ほい!」

 道路のガードパイプを両足で踏み切り、ビルに突っ込む。

 わたしの胸から伸びたウナギが窓ガラスを粉々にし、ビルの2階に飛び込んだ。

「あでっ!」

「息を潜めろ」

 わたしが転がった床はコンクリートがむき出しで、フロア一体が空っぽだった。

「……廃ビル?」

 渋谷にこんな場所があると思っていなかった。

「念のため4階くらいまで行くぞ」

 エレベーターが動いているわけもないから、階段を昇っていく。

 4階に着いたらガラス窓に近寄り、道路の様子を見渡せる位置に腰を下ろした。

「いや、さすがにこれは追って来れないっしょ」

「夜宵を舐めるな。あいつならやりかねねぇ」

「そんなもん?」

 柱に背を預けながら路上の景色を見下ろす。

 このビルだけでなく、周りのビルもシャッターが閉まっていたり、看板がはがれていたりと人気のなさがすごい。

「あれ?」

 駆け抜けてきた路地からひとりの少女が出てくる。

 サングラスにマスクをつけ、二本の三つ編みを揺らしていた。

 深緑のセーラー服のスカートで、おそらく女の子なのだとわかる。

「コッテコテの変装だね」

「まだ14だ。勘弁してやれ」

「わっか。わたしの2こ下じゃん」

 夜宵と呼ばれる少女は、しばらく廃ビル街をうろついてから、ふと、わたしの潜むビルの割れた窓ガラスに目をやった。

「構えろ、来るぞ」

 夜宵は路地に戻っていき、大きく助走をつけてからガードパイプを踏み切り台にして、2階の窓に走り幅跳びの要領で入ってくる。

「はぁ? あれ人間でしょ?」

「あぁ、人間のバケモンだ」

 わたしは跳ね起きて、階段の方に視線を向ける。

 しばらくして足音も立てずに夜宵が姿を見せる。

 わたしよりも身長が低く、とてもウナギが恐れる理由はわからない。

「はじめまして。あなたが、トウコさんですか?」

「ぶっぶー。人違いだから帰ってくんないかな?」

「その節は、ウィルバーが大変お世話になりました」

「うわ、聞いてないじゃん」

「そしてグラシャ=ラボラス」

 わたしの胸の内でウナギが体を強ばらせてるのがわかる。

「前回は仕留め損ねてしまい、申しわけございません。今度こそ、確実に息の根を止めます」

 夜宵が右手を振ると、どこからともなく細身の短剣が現れた。

 刀身があまりに細くて、剣というより錐みたいだ。

 細かい装飾がほどこされた鍔の部分に人さし指と中指をかけて、柄を握り込むという不思議な持ち方をしている。

「そしてトウコさん。人間の悪心につけ込む悪魔がすべての元凶です。あなたが悪いわけではない。しかし、悪魔憑きから悪魔を引き剥がすのは容易ではありません。こちらも善処いたしますが、万一勢いあまって殺してしまったときは――」

「祈りを捧げます。どうか魂を慰めてください」

 わたしはいらついて思わず口を開く。

「どいつもこいつも、どうして自分が殺されると思ってないのかなぁ」

「私が、殺される……? ありえません。この聖カタリナの短剣が、あらゆる苦難を退けます」

 夜宵はスカートのポケットから透明な液体の入った小びんを取り出す。

 小びんの蓋を開けて、短剣の刀身に水をかける。

「《我が剣は祈りの証。魔を裂き、祓う、意思の結晶。主よ、御身の名のもとに我一個の祈りとならん――》」

 夜宵は祈りを捧げている。

「え? このあいだに攻撃していいってこと?」

「違う。このあいだに逃げるのが正解だ。跳べっ!」

 わたしはウナギの声に弾かれて、左側に飛んだ。

 わたしが数瞬前までいた空間を夜宵の剣閃が切り裂いた。

「はっや」

 わたしは中空でその光景を見ながらどん引きしていた。

「バケモンだって言ったろ。ほっそいナリだがウィルバー並に鍛えあげられてる」

「こわ」

 夜宵はその場にたたずみ、こちらを見る。

「やはり流血と殺戮の大家がつけば、ただの少女でも私と渡りあえるのですね」

「ただの少女って、あんたのが年下でしょ? わたしからすれば、あんたのがただの少女よ!」

 わたしは夜宵を指さして啖呵を切る。

「………」

 夜宵はぽかんと口を開けて静止したあと、静かに頭を下げた。

「これは失礼しました」

 そして短剣を握る右手を、肩と水平の位置に構えた。

「敬意をもって、全力で殺させていただきます」

 サングラスと三つ編みからか、その風貌はどこか中国マフィアを思わせた。

「冬子、左――」

 ウナギが言い切るより速く、わたしはコンクリートに身を転がしていた。

 野生動物のように飛びかかってきた夜宵の横薙ぎが空を切る。

 わたしは、起き上がるなり廃ビルのフロアを走り出す。

「次は?」

「……そのまま上だ。ブーストするぞ」

 ウナギは一瞬黙ってから、わたしの脚に悪魔の血を流し込む。

 ふとももとふくらはぎがぼこぼこと膨れあがる。

 わたしは一足飛びで踊り場まで飛び上がって、次の一歩で上の階にたどり着く。

「どんなにヤバいっつっても、相手は人間だ。人間を超える力で逃げりゃ追いつくことはできねぇ」

 階段の手すりから下の階を見下ろすと、夜宵も信じられない速度で階段を昇ってきていたが、どうしたって踊り場まで三歩はかかっていた。

「このまま屋上まで突っ切るぞ」

 わたしは階段を全段飛ばしで昇りながら考える。

 どうすればあの少女を殺せるか。

 ウィルバーよりもずっと隙が見えない。

「その先の扉が屋上だ。鍵かかってっから、ドロップキックでぶっ壊せ!」

「せいっ!」

 わたしは悪魔の脚力で鉄の扉を吹き飛ばす。

 屋上に手すりはなく、渋谷のビル群や高い空が見渡せた。

「冬子、全力で隣のビルに飛び移れ」

「ヒャッハー! 映画みたいじゃん!」

 わたしは勢いを落とすことなく、ビルの端に両足をそろえて跳躍する。

 渋谷の空を滑空する心地よさにテンションが上がる。

「受け止めるぞ」

 ウナギが膨張して4メートル四方ほどのクッションになり、わたしの体を受け止める。

「あははは! 楽し〜」

「ふてぇ野郎だよったく」

 わたしよりも遅れて、夜宵が隣のビルの屋上に姿を現す。

 全速力で階段を昇ってきたのに、まったく息切れしてないのは超人的だ。

 夜宵は階段を昇ってきた勢いそのままに、屋上を走り抜け――

 ビルの端を両足で踏み切ってこちらに飛びかかってきた。

「はぁッ!?」

 ウナギが驚愕の悲鳴をあげる。

 夜宵は両足をそろえたまま胎児のような格好で滑空してくる。

「避けらんねぇ! オレが受ける」

 盾のように広がったウナギがまっぷたつに切り裂かれた。

 切り裂かれたウナギの痛みが血流を通してわたしに伝わる。

 わたしは、ウナギがつくってくれた一瞬の間を使い――

 右手の爪を歯に変えて、夜宵の顔面に食らいつく。

 夜宵はどんな筋肉と反射神経をしているのか、海老のように反り返ってわたしの反撃を避けた。

「おめぇも何やって――」

「おしい!」

 もうちょいで殺せるとこだったのに。

 わたしのつくった歯にサングラスが引っかかり、ビルの端から7階下の地上に落ちていった。

 マスクもまんなかから裂け、夜宵は耳からぶら下がる白い布を外した。

「やりますね」

 夜宵は息も乱さず、こちらに視線を向ける。

「人間のくせにビルの屋上から迷わずジャンプするとか神経疑うぜ」

「そちらの年上も、まさかあのタイミングで攻撃に転じるとは思いませんでした。認識を改めます」

「あぁ、冬子もたいがいどうかしてる」

 ウナギと夜宵が何か喋ってるけど、わたしの耳にはぜんぜん入ってこなかった。

 サングラスの下の夜宵の目は猫のように大きく、まつ毛も長かった。

 目の端は生意気そうに吊り上がり、鼻は小さく、唇も薄く小ぶりだったが、顔自体が小さくて余計に目の大きさが際立ってた。

 おでこを出して左右から三つ編みを下げている髪型は野暮ったいと思ってたけど、顔の華やかさがそれすらおしゃれに見せて……。

「冬子、おい、冬子、どうした!」

 わたしはビルの屋上を走り出した。

「あぁん!?」

 夜宵も無言で追ってくる。

 わたしはビルの端から何もない空へと飛び立つ。

「はぁ!?」

 ウナギが自身に悪魔に血を送り込んで、強靭な肉のクッションでわたしの体を覆ったが、さすがに7階から落ちた衝撃は全身に響いた。

 さすがの夜宵も、今度はビルの端で足を止めた。

「あいかわらず無茶苦茶やりやがる!」

 ウナギがわたしを叱る。

 わたしは全身がズキズキと痛んでたけど、そんなことどうでもよかった。

「あはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 昼日中の渋谷の街中を大声で笑いながら走り抜ける。

「冬子、どうした! もともとイカれてたが、ついに狂ったか!?」

 天ヶ裂公園までたどり着き、膝に手をついて、肩で息をする。

「はぁ、はぁ、あははははは! はぁ、はは!」

「冬子、マジで大丈夫か? 夜宵と戦っておかしくなったか?」

 わたしが、おかしくなった?

 そう、そうかもしれない。

 おかしくて、たまらない。

 わたしは。

 わたしは。

「やっと欲しいものが見つかった」

 ウナギがわけもわからず、わたしを見つめる。

「わたし、ほんとうに欲しいものができた」

「冬子?」

「わたし、あの子が欲しい」

「おめぇ、何言って――」

「わたしは雨森夜宵が欲しい」

「……」

「言ったよね? この世界のすべてを手に入れるって。わたしは、あの子を、必ず手に入れる。契約だよね? すべてを手に入れる力を、わたしにくれたんでしょ?」

「ウナギ、協力して。終冬子は、雨森夜宵が欲しいの」

 ウナギはしばらく絶句し、静止していた。

「……………冬子、やっぱりおめぇ、気ぃ狂ってるぜ」

「だって、あんなにかわいい子……生まれてはじめて見たんだもん」

 わたしは満面の笑みで、夜宵のことを思い返していた。

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