第9話 雨森夜宵という少女

 雨森夜宵は病院の個室の前に立っていた。

 扉を3回ノックする。

「どうぞ」

 夜宵が扉を開けると、腹部に包帯をぐるぐる巻きにしたウィルバーがベッドに横になっていた。

 ベッドの向こうには大きな窓があり、病院の中庭が見渡せた。

 大部屋に一人ということもあり、この部屋が病院の一等室であると分かる。

「命に、問題はありませんか?」

 そのあまりに無骨なもの言いに、ウィルバーは笑みを漏らす。

「はい。身体には大きめの傷をもらいましたが、命には問題ありません」

「そうですか、よかった」

 夜宵は緊張した面持ちをわずかにゆるめ、薄いほほ笑みを口元に浮かべる。

 はじめて彼女を見た人ではその違いに気づかないだろうが、ウィルバーには分かった。

「ヤヨイ様、申しわけございませんでした」

 ウィルバーは起こした半身を深く折り曲げた。

 それに対し夜宵は礼をやめさせるでもなく、怒りもしていなかった。

「グラシャ=ラボラスですね」

「おそらく。あれはソロモン級の悪魔で、日本のあの地点で遭遇したとなると、まずグラシャ=ラボラスで相違ないでしょう」

「私の方こそ、すいませんでした」

 夜宵は腰を曲げ、美しい角度で礼をする。

「おやめください、僕の不徳の致すところです」

 ウィルバーはすぐに夜宵の礼を遮った。

「私が、グラシャ=ラボラスを討ち漏らしたばかりに」

「いえ、僕の慢心がすべての原因です。ヤヨイ様に落ち度はございません」

「ウィルバー」

 顔を上げた夜宵の黒い瞳は澄みわたり、混じり気のない輝きを見せていた。

「次は、必ずグラシャ=ラボラスを」

 その顔は無表情で、自信というよりは、事実を伝えているという風だった。

「ヤヨイ様なら、必ず」

 ウィルバーはその強すぎる視線を遮るようにまぶたを下ろし、うなずいた。

 夜宵は用がすんだとばかりに、セーラ服のスカートを翻してウィルバーに背を向ける。

「ヤヨイ様」

 ウィルバーはその背を引き止めるように声を発した。

 夜宵はその場に立ち止まる。

「グラシャ=ラボラスが依代とする少女の名は、トウコです。彼女には十分に用心して下さい」

「ありがとう。でも、大丈夫です」

「聖カタリナの短剣が、あらゆる苦難を退けます」

 夜宵の右手にはどこから取り出したのか、細身の短剣が握られていた。

 ウィルバーはそれを聞き、うなずくことしかできなかった。

 それほどに夜宵の握る短剣――アレクサンドリヤの聖大致命女エカテリナの短剣――は、エクソシスト教会でも特級の聖遺物とされる武器だった。

 夜宵はそれ以上何も言わずに、部屋を後にした。

 ウィルバーの目には、細い刀身が照り返す白い朝日の輝きがまだ残っていた。

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