第8話 その日の終わりに

 わたしは悪魔の血を脚に集中し、もう戻ることのない寝床から夜空に跳び立った。

 夜の郊外を一足飛びに跳び回り、公園の芝生の上に墜落した。

「あでっ! はぁっ……はぁ」

「あんま無理すんなよ。まだ痛むんだろ?」

「うるさい。ウナギきらい」

 わたしは芝生に頭を突っ込んで、お尻を上げる格好で息を荒らげていた。

 ホットパンツが丸見えになってるだろうけど、気にかけてる余裕もない。

 何もせずにいると、胸のあたりの臓器がひび割れるように痛み、涙がにじんでくる。

「ウナギ、何かしゃべって」

「どっちだよ」

「うるさい。何かしゃべって」

「しゃあねぇな」

 ウナギは身をよじり、首を持ち上げてわたしを見下ろす。

「なぁ、冬子の言う世界のすべてって何なんだ?」

 何言ってんだ、この魚類。

「すべてって、ぜんぶだよぜんぶ。この世界のぜんぶだよ」

「たとえば?」

「たとえばって――そうだなぁ……」

 わたしは思いつくかぎり口にする。

「ギャロップのピンクブラウンの財布とか、ミスターマンティスの黒革のブーツとか、ユーカムのフェイクレザーのカチューシャとか、クレイドルのフラワーイヤリングとか、M★Gのティアードワンピースもかわいかったなぁ、あとクレドのアイカラーパレットとか、グレイスの金のアイロンとか、セブンのハンドクリームセットも欲しくて、ビルバスティーユのリップとか宝石みたいな飾りがついててかわい――」

「冬子」

「ん?」

「おめぇの世界、小っちぇな」

「他にも、欲しいものあるよ?」

「おめぇのすべて、渋谷のビル一棟買えば、だいたいそろっちまうんじゃねぇか?」

「……………そっかぁ」

 わたしはバカだから気づかなかった。

「はじめから、渋谷のビルもらえばよかったんだね」

 力なんか、いらなかったのかもしれない。

「冬子」

「お?」

「おめぇは望んだすべてを手に入れるよ。そういう女だ」

 思わず肺の空気を吐き出して笑ってしまった。

「ムリだよ。ムリムリ。だってわたしバカだし。ビル頼めばよかったのに、この世界のすべてを手に入れる力を頼んじゃう子だよ」

「学校だって行ってないし、お父さんの顔もしばらく見てないし、働いてないし、もの盗んで暮らしてんだよ」

「わたしにそんなこと、できるわけないじゃん」

 ウナギの低い声は、なぜかわたしの心を落ちつかせる。

「いいや、やるよ。終冬子は、そういう人間だ」

 その声音は優しく、だから馬鹿みたいだった。

「ウナギ、悪魔じゃないの?」

「オレはソロモン七十二柱の二十五位、大総裁グラシャ=ラボラスだ」

「ははっ、変な名前」

 わたしはひとしきり笑い、急に致命的な事実を思い出し、声をあげた。

「冬子、痛むか?」

 わたしの変調を察したウナギが声をかけてくる。

「水色のミュール……置いてきちゃった」

「Gehe! また盗めばいいだろ」

「ウィルバー……次は殺す……」

 わたしは神父に悪態をつきながら、目を閉じる。

 ぼんやりと、何か夢のようなものをみた気がしたけど、もう何も覚えていない。

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