第7話 決戦は水曜日

「ふんふふ〜ん♪」

 日が沈んだころ、また電車を乗り継いで仮の宿のある町に帰ってくる。

「ご機嫌だな」

「こいつのおかげ〜」

 わたしは頭の後ろに手を回し、指先に水色のミュールをひっかけてぶらさげていた。

 駅から十分ほど歩き、お目当ての寝床にたどり着く。

「いや〜、今日もいい日だったな〜」

「………」

 わたしは金網を乗り越えようと手をかける。

「もし」

 突然、背中から声をかけられる。

 やば。

 わたしの背筋が冷たくなる。

「いや〜、遊び心っていうか、すぐ帰るんで、今日は見逃してくださいな」

 金網から手を離し、不法侵入をとがめに来た男に向きなおる。

 男は、神父の服を来た金髪の外国人だった。

 背中には、コントラバスのケースを背負っている。

「超イケメンじゃん。やば」

「貴女……誰と喋ってるんですか?」

「誰とって……イケメン?」

「冬子、逃げろッ!」

「ほえ?」

 イケメンは大きな楽器ケースから、逆向きに入っていた十字架を取り出す。

 十字架には二箇所取手がついていて、イケメンはその取手を強く握り締める。

「そいつが《鉄槌》のウィルバーだ!」

 ウナギが叫び声をあげる。

「――っ」

 わたしの頭がぐるぐると回転する。

「……………誰?」

 まったくピンとこなかった。

 ウィルバーと呼ばれた男は信じられないスピードで近寄って来て、鉄製の十字架を振り上げた。

 瞬間、ウナギが地面に思いっきり突っ込み、反動でわたしの体が飛ぶ。

 ゾンッ。

 ちょっと前までわたしの体があったところに、十字架が突き立っていた。

 夕陽にのびるわたしの影の墓標みたいに。

「やばっ」

 わたしは転びそうになりながらも、悪魔の血を脚に送り込み、金網を飛び越えて全速力で廃墟に駆ける。

「冬子ッ! 建物の中に逃げてどうすんだよ!」

「わかんないっ! でも――はやっ!?」

 ウィルバーは巨大な鉄の塊を手にしているのに、野生の獣みたいにわたしの背に追いついてくる。

「ウナギっ!」

 ウナギが廊下の壁に顔を突っ込んだ反動で、わたしは部屋の一室に飛び込む。

 コンクリートでできた床に、ウィルバーの十字架の先端がずっぷりと沈み込む。

「あれ、一発でももらったら死ぬ?」

「部位にもよるが、悪魔の血が残ってりゃ体を再生できる。だが、祝福された聖遺物の一撃は、死んだほうがましな痛みだぜ」

 わお。

 わたしは変電施設の機械の陰に隠れるようにして、身を屈めて駆け回る。

「もし。ひとつ聞きたいのですが、貴女はどの程度の悪魔ですか? せっかく僕が出てきたのだから、少しは骨があるとうれしいのですが」

「冬子」

 ウナギが声を潜めて話しかけてくる。

「あいつオレがソロモンの悪魔だと気づいてねぇ。勝機があるかもしれねぇ」

「うん! ぜんぜんわかんないけど言われた通りにする」

「あいつはいまオレのことを侮ってる」

「そいつは許せないね!」

「あいつが油断したところで、オレが全力を叩き込んだら、逃げられるかもしんねぇ」

「うんうん! わたしはどうすればいい?」

「あいつが隙を見せるまで逃げ回れ」

「………それ作戦なの?」

 ウィルバーは十字架を構え、施設の周囲を見渡しながら、わたしに近づいてくる。

「とりあえず二階に行くよ」

「いまは逃げるしかねぇな」

 狩りを楽しむように落ちついた足取りで、ウィルバーは階段を昇ってくる。

 わたしは階段を昇りきった二階の廊下の上から、ウィルバーのつむじを眺めている。

「物盗りを楽しむくらいですから、せいぜい爵位も持たない下級悪魔ではありませんか?」

 ウィルバーが階段の踊り場まで達する前に、わたしは二階から飛び降りて、その背中にウナギの牙を走らせた。

「甘すぎる」

 ウィルバーは半身を捻ってウナギの歯をかわし、振り上げた十字架でわたしの左腕をもぎ取った。

「ウナギ、腕っ!」

「は?」

 わたしの右腕からまっ黒な奔流がほとばしってウィルバーの巨軀を吹き飛ばし、踊り場の壁に打ちつけた。

「――クッ」

 宙を舞ったわたしの腕が二階の廊下にべたりと落ちる。

 ウナギとウィルバーは同時に、同じ疑問を口にした。

「「痛くないのか?」」

 うるさい。

 めちゃくちゃ痛いに決まってるだろ。

 左腕のつけ根は焼きごてを押しつけられるような痛みで、その痛みがわたしを極度にいら立たせる。

 わたしに痛みをあたえる人間は、たとえイケメンでも許さない。

 わたしはウナギの力で脚力を増強し、二階の廊下まで一足飛びに戻り、廊下を駆け出した。

「ねぇウナギ、もっと技とかないの?」

「おい! 無茶するんじゃねぇよ! 腕はなんとか生やせるが、祝福を受けた十字架でやられた傷は、死ぬほど痛ぇだろ?」

 死ぬほど痛いけど、まだ死んじゃいない。

「こんなとこで、死んでたまるか……!」

 せっかく命の半分を使って悪魔と契約したのに、ここで死んだらすべてが終わりだ。

 わたしはまだ、何も手にしていない。

 廊下のどん詰まりの部屋に飛び込む。

 そこは書架室で、背の高い本棚がいくつか並び、いい具合に視界を遮ってくれている。

「ここで決める」

「冬子、落ちつけ。一瞬だけ隙をつくってくれりゃいい。あとはオレの力で逃げ切る」

「………? 何言ってんの?」

「おい、冬子まさか」

「わたしははじめから殺すつもりだよ」

「マジかよ……」

 ウナギが絶句する。

「悪魔と契約したばっかの小娘が。友愛クラブの第四位を殺す……?」

「殺さなきゃ、殺されるんでしょ? じゃあ殺すしかないじゃん」

「とんでもねぇやつと契約しちまったよ……」

 わたしは本棚の陰に身を潜めて機をうかがう。

「ウナギ、考えがあるから聞いて」

「もうどうにでもなれだ」

 ウナギがわたしの口元に顔を寄せてくる。

「悪魔の血で体がつくれるなら、わたしの体から悪魔の血を切り離して動かすこともできる?」


「僕に一撃入れるとは……失礼しました。どうやら評価を改めないといけないようだ」

 黒革のブーツでコツコツと廊下を鳴らしながら、ウィルバーが近づいてくる。

「少なくともA級職員が対応するべき悪魔ではあると考えます。やはり、ヤヨイ様は流石ですね」

 ウィルバーが書架室の扉を開ける。

「しかし、A級職員が対応できる悪魔であれば、僕が出るほどではなかったことになる。僕とヤヨイ様の読みは五分といったところでしょうか」

 ウィルバーは書架によって区切られた細い通路を一本ずつ眺めていく。

 わたしは、本棚の側面の板に張りついて身を隠す。

「あまり施設に傷をつけたくはないので、大人しく出てきてくれませんかね」

 ウィルバーは書架でできた通路の一本に踏み入る。

 わたしはウィルバーに見つからないように、ウィルバーが通る通路とは別の通路を、すれ違うように歩いていく。

「逃げ場がないのは分かります。何人もこの十字架から逃れられる者はいません。だから、大人しく出てきてくれませんかね」

 目線でウナギに合図を出す。

 わたしは悪魔の力で強化された両脚で本棚を蹴り倒した。

 ドミノのように本棚が倒れ、ウィルバーの通路の本棚も傾く。

「小賢しい」

 ウィルバーが強靭な筋肉で書棚を蹴り返した。

 その刹那、わたしは悪魔の脚力でウィルバーのいる通路を走り抜けてウナギの牙を翻す。

「甘いッ!」

 ウィルバーは狭い通路で扇を描くように十字架を振り、わたしの右胸に大きな穴を開けた。

「あがあぁあああぁぁあぁああぁあああああぁあああっ!!」

 わたしの胸から悪魔の黒い血流があふれ出して本棚に飛沫が散る。

 その瞬間、通路の逆方向からわたしが駆け寄る。

「囮……!」

 十字架を振るってがら空きになったウィルバーの脇腹目がけて、ウナギの歯を走らせる。

「だが……まだ甘いッ!」

 ウィルバーは強靭な筋肉の力で、わたしの胸に穴を開けた十字架を、もう一度反対側に弧を描くように振り下ろした。

 十字架の先端がわたしのお腹を貫いてコンクリートの床に突き立った。

「惜しかったな」

「そうだな。そっちが偽物だ」

 胸を引き裂かれたわたしは、十字架を振り抜いて完全にがら空きになったウィルバーの脇腹に、ウナギの歯を突き立てた。

「は?」

 ウナギの歯がキャソックごとウィルバーの脇腹を食い千切る。

 ウィルバーは眉間に深いしわを刻みながら脇腹を押さえて倒れる。

「あああぁああぁあぁあぁぁぁあああぁぁああぁあああっ‼」

 わたしも、あまりの胸の痛みに大声をあげて通路に倒れ込んだ。

「当たり前だろ。悪魔の力で再生できても、内蔵を潰された痛みはほんものだ。分身のフリして祝福された十字架の一撃を受けるなんて、正気の沙汰じゃねぇ」

 ウナギの言葉も耳に入らない。

 大穴を開けられた胸が燃えるように痛む。

 口から垂れるよだれが止まらず、痛みをまぎらわすためにわたしはコンクリートの床に頭を打ちつける。

「ウナギっ!」

 わたしは掠れるような叫び声をあげる。

「ちゃんと説明しといてっ!」

「オレは死ぬほど痛ぇって言ったじゃねぇかよ」

 たしかに言われた。

「こんなに痛いなんて聞いてないっ!」

「ったりめぇだ。生きたまま内蔵を裂かれる痛みだけが残るんだぞ。一発もらって死んだフリしてた精神力のがこえぇよ」

 わたしはまだ痛む胸の上からパーカーを握り締めながら、両脚で立ち上がる。

「ウナギ、こいつ殺すよ」

 涙でにじむ視界で、よだれをふくこともなく、座り込むウィルバーの前に立つ。

「……そいつは勧めらんねぇな」

「ウナギっ!」

 今度こそ怒ってウナギの名前を叫ぶ。

「今度という今度は殺すっ! こいつ生かしてると、またわたしを殺しに来るんでしょっ!? だったら、殺すしかなくないっ!?」

 あまりの胸の痛みに視界が傾いて回りだす。

 わたしに痛みをあたえてくるやつは、敵だ。

「友愛クラブの第四位を殺すってことは、エクソシスト教会と全面戦争するってことだ。そうなったら殲滅戦になる」

「もうなってんじゃんっ! こいつは! 私を! 殺そうとしたんだよっ!」

 脂汗がおでこから流れ、床に落ちて弾ける。

 やっば。

 ぜんぜん痛み引かないでやんの。

「僕を逃がしたところで、友愛クラブは君を逃さない。エクソシスト教会の使命は、悪魔を絶滅することだ」

「ほらっ! あいつも言ってんじゃん! 殺すしかないんだって!」

「エクソシスト教会は悪魔を殺す。オレもエクソシストを殺す。ちげぇねぇよ。だが、冬子。おめぇは違う。あいつを殺したら、二度と戻れなくなる」

「わからずやだなぁ……。もう戻れないんだって。悪魔と契約したときから。命の半分をウナギにあげたときから。世界のすべてを手に入れるまで、殺しつづけるしかないんだって……」

 わたしはかすれた喉から声を絞り出す。

 目の前がかすんで、世界が回転する。

「でも冬子は、まだ殺してない。ここで殺したら、ほんとうに悪魔として生きるってことだぜ」

「わたしはウナギと契約したときから、人間じゃないんだって。この世界のすべてを手に入れるために、魂を売った悪魔なんだって」

「でも、まだ殺してない」

「はぁーーー……………」

 わたしは大きなため息をついて、手で顔を覆って、天井を見た。

「うっざ。ウナギきらい」

「………」

 わたしはウィルバーに背を向けて、壁に手をつき、体を支えながら部屋の出口まで歩いていく。

「トウコ……名前覚えたぞ」

 ウィルバーが前髪の奥から鋭い視線でわたしをにらんでいた。

「脇腹えぐれてんのに、元気だねぇ……わたしも筋肉鍛えよっかなぁ」

 わたしは胸を押さえながら、2階の窓に足をかけた。

 みんな、みんなきらいだ。

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