第5話 友愛クラブ
「ふっ、んっ、ふんっ、ふっ」
都心の高層ビルの12階、ひとりの少女がおでこから汗を流しながら、短剣を振るっていた。
十字に象られた短剣は、刀身が細く短く、ほとんどナイフのようだった。
鍔には繊細かつ宗教的な装飾が施されていて、武器というよりは芸術品を思わせる。
「ヤヨイ様、タオルです」
「ありがとう、ウィルバー」
規定の回数の素振りをこなした少女は、タオルで顔をふく。
生えぎわのまんなかで分けられた髪は胸のあたりの長さの三つ編みにされ、おでこが目立っている。
その左右対称な髪型だけでも、生真面目そうな性格が見て取れた。
白いタオルの下から出てきた顔は、細く整った眉と美しく澄んだ猫のように大きな目が目立っていた。
彼女をはじめて見た人の印象は、美しいが近寄り難い、そんな意見でほとんどだった。
「何か、変わったことはあったかしら?」
「街に特段変化はありませんが、昨日一人の女性が駆け込んで来ました。なんでもバッグを盗まれたそうで」
「物盗り? 警察の仕事ではなくて?」
「それが、女性によると、バッグを盗んだ犯人は人間離れした跳躍力で、階段を一足飛びに逃走したそうです。おそらく悪魔憑きであると思われます」
「そう。じゃあ私はどこに向かえばいいの?」
「いえ、ただの物盗りなので、よほど低級な悪魔憑きであると思われます。ヤヨイ様がお手をわずらわせる必要はございません」
「………」
夜宵の無表情は変わらなかったが、どこか不満足そうだった。
「現地にはBクラス職員を派遣し、
夜宵は短剣を小ぶりな鞘に収めて、腰丈のグラステーブルに置いた。
「……私が仕留め損なった、グラシャ=ラボラスの可能性は?」
「ほぼないかと。ソロモン級の悪魔憑きが、いまさらバッグの窃盗で小金を稼いでいるとは考えにくいですね」
「………」
夜宵は黙って考え込む。
会話の途中でも急に黙り込み、自身の考えにのめり込むのは夜宵の癖だった。
「まぁたいした問題ではないはずです。こちらで解決しておきます」
「ウィルバー」
「その事件が起こった場所ってどこかしら?」
「葦原町の高架下ですが」
ウィルバーと呼ばれた青年は前髪を下ろした金髪で、その端整な顔には疑問の表情が浮かんでいた。
「グラシャ=ラボラスを逃がした地点から、かなり近いわね」
「祓われそうになった悪魔が、まず女性の鞄を狙うとは思えませんけどね」
「………」
「それでは、A級職員を現場に派遣することにします」
夜宵の癖を知っているウィルバーは、迅速に解決策を提案した。
「また何か動きがあれば、お伝えに参ります」
ウィルバーはキャソックの裾を翻して、訓練所を後にしようとする。
「ウィルバー」
その声にウィルバーは動きを止める。
「その件、あなたに任せてもいいかしら?」
「はい?」
ウィルバーの整った顔が困惑に歪んでいた。
「私が……ですか?」
「なんだか嫌な感じがするから、あなたに頼みたいの」
「過剰な戦力の投下だと――自負してもよろしいですか?」
ふっ、と夜宵が張りつめた表情を崩し、薄い――大河にインクを一滴垂らしたほどに薄い、ほほ笑みを浮かべた。
「ええ、《鉄槌》のウィルバー、お願いできるかしら?」
「はい。《神託》のヤヨイ、見つけしだい悪魔を排除。ただちに戻ります」
「ありがとう、ウィルバー。いつも助かってます」
そう言う夜宵の表情は、短剣を振るっていたときよりも14歳の少女らしかった。
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