第29話 変貌 その1


 どれくらい眠っていたかはわからない。

気が付くと俺は自分の部屋のベッドに寝ていた。

窓は開けられて、カーテンを揺らしながら爽やかな風が吹き込んでいる。

外から明るい光が差し込んでいるところをみると、今は昼間のようだ。

ベッドサイドのテーブルには小さな花瓶があって、スミレの花が何本か活けてあった。

果たしてこれは現実だろうか?


 なんだかとても心配になる。

だって俺は森の中の野営地にいたはずだ。

そこで自分に魔導改造を施して、気を失ったんだ。


 ……魔導改造?


 俺は恐る恐る自分の左腕を確かめた。

そして、大きな落胆を覚える。

そこにあったのは禍々しいアメミットの腕だったから。

改造は上手くいったようで、腕は人間サイズになっていたが、恐ろしい赤と黒の筋肉がむき出しになっていて、先端の爪は黒く鋭い。


 アーリンはこれを見たら気持ち悪がるだろうな……。

そんな心配が頭をよぎる。

そうだ、アーリンだ! 

彼女はどうしているだろう?


「クラウス……さん……?」


 戸口のところにアーリンが立っていて、こちらを見つめて呆然としていた。


「クラウスさん!」


 アーリンが泣きながら走り寄り、俺に抱きついてきた。

俺は人間の姿が残る右腕でアーリンを抱きとめる。

この左腕を使う気にはなれない。


「アーリン……」


 泣きじゃくるアーリンを抱きしめていると、生き残ったありがたみが徐々に湧いてくる。

だが俺は、不意にめまいを覚えてアーリンにもたれかかってしまった。


「クラウスさん、お加減が!?」

「大丈夫だ、ちょっとめまいがするだけだから……」


 アーリンはサイドテーブルに置かれていた薬瓶を俺に差し出してきた。


「これは?」

魔力回復薬マジックポーションです」

「なんだってそんな物を?」

「クラウスさんの魔力はどんどん消費されているんですよ。寝ている間も一日につき六本から八本飲んでもらっていたんです」


 言われて初めて気が付いた。

どうやら、アメミットの腕が俺の魔力をどんどん使っているようだ。

特に能力を開放しているわけじゃない。

それなのにこいつは、ただそこにあるだけで魔力を吸い上げていく。


「街に戻ってきてすぐ、クラウスさんを治癒師に診てもらったんです。そうしたら魔力欠乏症を起こしているって」


 魔力欠乏症は体内の魔力が著しく低下する症状だ。

普通は、睡眠などの休息を取りさえすれば魔力は回復するのだが、俺の場合はこの左腕がそれを邪魔しているようだ。

魔力欠乏状態が続くと体が動かなくなり、周囲を認識できない意識障害に陥る。


「俺は何日寝ていた?」

「十日間です」


 よく死ななかったものだ。


「その間は、ライフポーションとマジックポーションを飲ませ続けたんです」

「つきっきりで俺を看てくれていたんだな。ありがとう、何と礼を言っていいかわからないよ」

「そんなのはどうでもいいんです。良かった、クラウスさんの意識が戻って」


 アーリンは俺の胸に顔をうずめて、ごしごしと涙を拭いた。


「俺が意識を失った後、何が起こったのかを教えてくれ」

「はい」


 アーリンはベッドサイドに座り直し、これまでのことを語ってくれた。


 まず、ニナとメルトアは無事に街に戻り、今も元気にしているそうだ。

それを聞いて一安心だ。

だが、気になることはある。


「ウレタロはどうなった?」

「あの人は死にました……」


 ウレタロは強引に改造魔法領域に立ち入り、自分も改造手術をしようとした。

だが、ずさんな準備と改造の苦痛に耐えきれず息を引き取ったそうだ。


「確認しましたが、もう心臓が動いていませんでした」

「そうか……」


 考えてみれば、奴も可哀そうだった。

人より魔力が低く、左目は白内障というハンデを抱えていたのだ。

子どもからさえウスノロとバカにされていたから、その心の内では常に怒りが燃えていたと思う。


 アメミットを倒したら、特別報酬として目の移植手術をしてやるつもりでいた。

だが、下手な期待はさせない方がいいと思って言わずにいたのだ。

はっきりとそう伝えておけば、こんな事態にはならなかったかもしれない。

そう考えると、死んだウレタロが哀れだった。


「広場にいた賞金稼ぎたちはどうなった?」

「半数以上が死にました」


 かなりの犠牲者が出たそうだ。

死者たちは埋葬もされずに森へ打ち捨てられたそうだが、それも致し方ないことだろう。


「そうそう、クラウスさんが治療されたルークさん、あの人も無事ですよ」

「ルークが? そうか……それは良かった」


 ルークは杖を突きながら、何とか自力で戻ってきたそうだ。


「俺はどうやって運ばれたんだ?」

「チーム・パルサーが担架を作って交代で運びました」

「本当に迷惑をかけてしまった」

「そんなことありません! 私もニナもメルトアも、みんなクラウスさんに感謝しています。だって、ようやく……アメミットを討ち取れたんですから」


 これで、みんなの家族の魂は天に召されるだろう。

それはやっぱり、喜ばしいことだ。


 俺は一息ついて飲みかけのマジックポーションに口を付けた。

香りは甘い薬草の匂いなのだが、独特の苦さがあって飲みにくい。


「そう言えば、このポーションはどうやって買ったんだ? 金は……」


 マジックポーションはものすごく高価だ。

一本あたりの値段が8万クラウンは下らない。

一日八本飲んだとしたら64万クラウンじゃないか! 

とてもじゃないがアーリンにそんな金はないはずだ。


「お金はアメミット討伐の報奨金が出ました。討伐の証はクラウスさんの左手でしたから……」


 皮肉なものだが、それで金が手に入ったのなら幸いだった。


「だがこの金はみんなの……」

「そんなことはどうでもいいですから、今は回復することだけを考えてください」

「いや、これでも金だけはあるんだ。報奨金はきちんとみんなで分けよう」


 だが、いつまでもこのままではまともに生活することはかなわない。

今の俺は高額なマジックポーションを飲み続けなければ死んでしまう金食い虫だ。

魔導改造を一日に何件こなしても消費が大きく上回る。

貯金だって数カ月で底をつくはずだ。


「アーリン、少し手伝ってほしいことがある」

「なんですか?」

「俺はこの状態を何とかしなきゃならない。そこで師匠に会いに行こうと思う」

「クラウスさんのお師匠様?」

「ああ、俺に改造魔法と医術を叩き込んでくれた人……というか、存在だ」

「存在ですか……。で、その方はどちらに?」


 それが問題である。

師匠は街の南にあるガッバーナ池のほとりに住んでいるのだが、そこは魔物がうようよしている場所なのだ。

だが、今の俺ではまともに戦うこともできないし、信用のおけない連中に師匠の居場所を教えることもできない。


「これは俺からチーム・パルサーへの正式な依頼だ。俺をガッバーナ池まで連れていってほしい」


 俺が信頼できるのはアーリンとその仲間だけだ。

師匠のことがあるからアーリン達を連れていくのは気が引けるのだが、状況は差し迫っている。


「わかりました。私が必ずクラウスさんをお師匠様のところへ連れていきます。ニナとメルトアだってきっと力になってくれますよ」


 アーリンの笑顔に俺は罪悪感を覚える。


「えーとな、アーリン……」

「どうしましたか?」

「師匠のことなんだけど……、かなりスケベなんだ……」

「はっ?」

「師匠は人間じゃなくてサテュロスなんだよ」

「ええっ!? サテュロスって、あの妖精の?」


 サテュロスは半人半獣の妖精である。

下半身はヤギで上半身は人間の姿をしている。

顔は人間とヤギが見事に融合し、ヤギの耳と角、立派なあごひげを蓄えている。

総じて酒好きで好色、美女だけでなく美少年も性的な対象になるそうだ。


「ああ、だからその、アーリンのこともそういう目で見ると思う。あ、でも、いきなり襲ってくるようなことはないから安心してほしい」


 かわいくて、美人で、スタイルが抜群なアーリンは、師匠の好みのど真ん中だろう。


「はあ……」

「スケベな目つきと発言が多いとは思うが、なんとか許してやってくれ」

「わかりました。クラウスさんのために我慢します」

「すまない」


 俺が頭を下げると、アーリンはにっこりと笑った。


「そんなに気にしなくても心配はいりませんよ。それよりご飯にしましょう。魔力だけじゃなくて体力も回復させなくてはダメですからね」


 アーリンは元気よく立ち上がり、おかゆを作りにキッチンへと行った。

俺はその背中にまた同じことをつぶやく。

「すまない」と。

何度謝っても謝り足りないような気持だった。


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