第30話 変貌 その2


 目を覚まして二日後、俺とチーム・パルサーはガッバーナ池へと出発した。

アーリンはもう少し体力が回復してからと言ったが、悠長なことは言っていられない。

俺は杖にすがりながら必死になって道を歩く。

街から池まではおよそ半日の距離だけど、俺のスピードではたどり着くのは昼過ぎになるだろう。

魔物と遭遇しても戦闘には加われず、見ているしかない自分が腹立たしかった。


 太陽が空の真上にやってくるころになって、俺たちはガッバーナ池へと到着した。

目の前にはエメラルド色の水が日の光を浴びて神秘的に光っている。

水の透明度は高く、池を泳ぐ魚の群が銀色に輝いていた。


「きれいな水だなあ。泳ぎたくなるよ」


 汗を拭きながらメルトアが池を覗き込む。


「止めておいた方がいいぞ。ここにはスケベなサテュロスが住んでいる。絶対に裸を覗かれるからな」

「そう言えばそうだった。それがクラウスさんのお師匠さんなんですよね?」

「ああ、あそこら辺に住んでいる」


 俺は池のほとりにある巨大な岩山を指さす。

師匠の隠れ家はあの岩山をくりぬいて作られているのだ。


「池の畔に生息する魔物は少ないけど、さっさと行こう。おそらくもう俺たちの存在に気が付いているはずだ」


 日差しは強く、今日みたいな日に池で泳げばさぞや気持ちがいいだろう。

だが、あの師匠の前でそんなことはさせられない。

特に、アーリンの裸を見せるわけにはいかないのだ。



 岩山の前まで来た俺は大きな声で呼びかけた。


「バッハ、気が付いているんだろう? 俺だ、クラウスだ。開けてくれ!」


 山の岩陰からヤギの角を生やした老人の顔が現れた。

皮肉な眼で俺を見下ろし、口をへの字に曲げている。


「何が開けてくれだ、何年も姿を見せなかった不義理の弟子のくせに」

「俺も色々と忙しかったんだよ。ほら、土産に酒を買ってきたぞ。あんたの大好きなブランデーの逸品だ」


 サテュロスは酒好きとしても有名なのだ。


「ふん、礼儀は忘れていないようだな。かわいい女の子も連れているようだし、入れてやるわい」


 ガコンッ!


 大きな音を立てて岩山に亀裂が走り、内部へと至る通路が現れた。


「大丈夫だ、中に入ろう」


 俺はアーリン達を促して、岩山の中に入った。



 岩がむき出しになった通路を進むと、家具を配置した居間が見えてきた。

ここまでやってきて、俺は懐かしさに周囲を見回す。

チーム・ガルーダを追い出された後、森でうろつく俺を弟子にしてくれたのがサテュロスのバッハだった。


 当時の俺は投げやりな気持ちで毎日を送っていた。

その日も、ソロハンティングをしていたのにガッバーナ池で水浴びなんていう危ない真似をしていたのだ。

無防備になったところを魔物に襲われる可能性が高かったのだが、もうそれでもいい、そうなったらこのまま池で死んでしまおう、そんなことさえ考えていた。


 それを覗いていたのがバッハだ。

前も言ったがサテュロスっていうのは両刀遣いだ。

バッハは俺が泳ぐのを見て興奮していたらしい。

まあそこからすったもんだがあって、結局俺はバッハの弟子となり、魔導改造手術を学んだというわけだ。


「おぉ! でかい胸の娘だな。池で水浴びでもどうだ?」


 階段を下りてきた師匠がアーリンのところへ駆け寄った。

胸から数センチのところに顔面を持ってきて、つぶさに観察している。

サテュロスとはそういう生き物だとわかっていても腹が立つ。

アーリン達はぎこちなく師匠にあいさつしていた。


 俺は師匠の頭に拳骨をくらわす。


「彼女たちは俺の命の恩人だ。手を出したらぶっ殺すぞ」

「いてて……、相変わらず礼儀のなっていない弟子だ。酒だけ置いて帰れ!」


 師匠は手を開いて酒を要求する。


「好きに飲んでくれ。座らせてもらうぜ」


 ソファーに深々と腰を掛けると、すぐにアーリンが魔力回復薬を手渡してくれた。


「なんだ、ずいぶんと顔色が悪いじゃねーか? 性病でも患ったか?」

「そんな甘いものじゃないんだよ。だからわざわざここまで来たんだ」


 俺は左腕に巻き付けていた布をとり、変わり果てた自分の腕を見せた。


「また、けったいなモノを取りつけやがって。なんだ、その腕は?」

「アメミットだ」

「ほう……」


 師匠の眼がスッと細くなり、筋肉がむき出しになった俺の腕を凝視する。


「こいつを付けて体調が悪くなったんだな」

「好きで取り付けたわけじゃない。能力を開放していないにもかかわらず、魔力だけをどんどん消費するんだ」

「切り取ってゴブリンの腕にでも付け替えろよ」

「それができないってのは、アンタが教えてくれたことだろうが」


 一度取り付けた部位は、切り取って他のものに付け替えるのは不可能なのだ。

理由は定かではないが、拒否反応が起きてどうしても癒着しない。


「何とかならないかな?」


 師匠は気持ち悪そうにアメミットの腕をつつく。


「こりゃあ、どうにもならんぞ。そもそも、魔導改造自体を失敗しているじゃないか。これじゃあまるで悪魔の手だ。きちんとした魔導改造ができていれば、もう少し人間らしい手になっていただろうに」

「ちょっとしたトラブルがあってな……」


 改造魔法の効力範囲にウレタロが飛び込んできたせいだろう。

あんなことになるとは想像もしていなかった。


「このまんまじゃ俺は一生こいつを飲みながら暮らしていかなきゃならなくなる」


 俺は手に持った魔力回復薬の瓶を持ち上げる。


「そりゃあ金がかかって困りそうだ。だが……こいつは治療でどうにかなる代物でもない」 


 師匠は俺の腕を取り、入念に調べている。


「何とかならないか? 貯金が底をついてしまえば俺はおしまいだ」

「手がないわけじゃない」


 さすがは師匠である。

バッハは魔導医学だけでなくあらゆる学問に通じているのだ。


「どうすればいいんだ?」

「要するにアメミットの能力を封印しちまえばいいんだよ。そのための魔道具を作ればいいだけだ」

「できるのか?」

「材料さえあれば、作るのは簡単だ」


 問題はその材料なんだろうな。


「何が要る?」

「千年ドラゴンの皮だ」


 そうきたか……。

とんでもないレアアイテムの名前を聞いて俺はげんなりとしてしまう。

これは千年生きたドラゴンが脱皮したもので、滅多に発見されることはない。

運よく竜の巣でそれを見つけても、持ち帰れる賞金稼ぎはわずかである。

大抵はドラゴンに見つかって殺されてしまうのだ。


 また、王侯貴族はドラゴンの皮をあしらった服飾やアイテムを好む傾向にある。

独特の光沢が美しいからだ。

しかもアンチマジックシールドの材料になるので、とてつもない高額で取引される。

利用価値が高く、見た目も美しい。

そのせいで市場にはめったに出回らないときていた。


「やれやれ、探しているうちに俺が先にくたばりそうだ」

「私、千年ドラゴンの皮の話を聞きましたよ」


 声を上げたのはニナだった。


「それは、どこで?」

「ルークが言ってたんですよ」


 アメミット討伐の帰り道、俺が気を失っている間に二人は付き合いだしたそうだ。

ケガをしていたルークの面倒をニナがいろいろ見ていたのがきっかけらしい。

それはともかく、ルークは魔導改造がしたいから、しばしば素材を求めてオークション会場などに出入りしている。

千年ドラゴンの情報も、そういった経緯で仕入れたのだろう。

だが、あいつは偽物のサンダーバードの尾羽をつかまされた前科がある。

千年ドラゴンの皮のことも本当かどうかは怪しい。


「どこのオークションかは聞いているか?」

「ドン・カルバッジオの闇オークションだそうです……」


 よりにもよって一番危ないオークションか。

ドン・カルバッジオは裏社会のボスだ。

先代を殺してから、もう十年以上も街を裏から牛耳っている。

そんな奴が開くオークションでは表の世界には現れないアイテムが多数出品されるのは事実だ。


 もっとも、品物を巡る殺し合いは日常茶飯事だし、支払いが滞るととんでもないことになるしで、できることなら近づきたくないオークションでもあった。

だが、今度ばかりは甘えたことは言っていられない。

俺は師匠に向き直った。


「千年ドラゴンの皮を手に入れたらどうするんだ?」

「アメミットの手を封印するグローブを作ってやるよ。それで魔力が枯渇することはなくなるはずだ」

「対価は?」

「お前の尻の穴」


 師匠は本気の眼をしていた。


「他のにしてくれ」

「そこの姉ちゃんの処女」


 師匠はアーリンを指さす。


「殺すぞ」

「おまえは、相変わらず我がままだな」

「サテュロスはサテュロスらしくニンフでも相手にしておけよ」

「美味いからと言って、毎日ステーキを食っていたら飽きるだろう? それと同じだ。たまには人間を抱いてみたい! 男でも女でもどっちでもいいぞ。なんなら、そっちの姉ちゃん二人が同時に相手をしてくれるのでもかまわん」

「やかましい! 俺の仲間に手を出したらただじゃおかねえからな」


 師匠はニヤッと笑った。


「ほう、クラウス坊やが仲間とはね……。お前、なんか雰囲気が変わったな」

「その呼び方はやめろ。とにかく別の報酬にしてくれ」


 師匠はしばらく腕を組んで考えてから、ようやく口を開いた。


「まあ、報酬はあまった千年ドラゴンの皮でいいや。どうせとんでもないレアアイテムだし」

「本当にそれでいいのか?」

「ああ、お前には借りもあるからな」

「わかった、恩に着る」


 こうして、俺はルークに詳しい話を聞くために街へと引き返した。

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