13・Dead or Get Out
「な、なに!?」
「とにかく、エレベーターに戻りましょう。早く80階に行ってしまえば――」
――バキン!!――
またです。暗闇の中にいる”何か”が、鉄格子にタックルしてきました。鉄格子はさらにひしゃげます。
マズい。直観的にそう思いました。あと少なくとも4,5回、悪ければ2回くらいで鉄格子は壊れてしまうでしょう。
鉄格子に背を向けて、一目散にエレベーターに逃げ込みます。
――ガキン!!――
さらにもう一回。
「晴音さん!ボタンを!」
「はい!」
先に逃げ戻った私が、紀久君に言われるがままボタンを押します。もう連打、強打の連打です。古臭いエレベーターの老体に気を遣う余裕はありません。エレベーターの格子状の扉が、キュルキュルとのんびり閉まっていきます。紀久君は、閉まり始める扉のあいだから、滑り込んできます。
良かった、無事に紀久君が乗れた。そう思った、まさにその時です。
――ガチィイン!!――
今までで一番大きな音が、明らかに鉄格子がどうにかなってしまったのだと分かる音が聞こえました。見れば、正面の鉄格子はどこかに消え去り、その奥には”何か”の巨体が見えます。ぱっと見は大きな熊のようで、でも顔のあたりには大きく伸びた牙が見え、目も2つではありません。
――早く、早く閉まって!早く動いて!――
こころの中で、そう叫びます。恐怖で声は出ません。手は止まらず、ボタンをガタガタと押し続けています。もはや自分の意志で連打しているのか、恐怖で手が震えているのか、判別なんてつきません。そんな私をさておいて、扉は我関せずといった様子でのんびりとキュルキュルしています。1センチ、2センチとだんだん閉まっていくこの時間が、永遠にも思えます。
――早く閉まって!あと1センチ!――
扉が今にも閉まり切ろうとしたそのときです。
――ガキイィインン!!――
鉄格子の外にいた”何か”が、突然、現実の生物にはあり得ない速度で、まるでなにかに吹っ飛ばされてきたかのように、エレベーターの扉の格子にタックルしてきました。
「きゃああああ!」
「うわああああ!」
自分でもわけの分からないくらいの自分の喉から飛び出た悲鳴が、聞いたことも無いくらいの男性の叫びが、鼓膜に撃ち込まれます。
目の前には、真っ黒の、それが毛深いのかなんなのか、輪郭のはっきりしない巨大な熊のような生物が、眼前に迫っているのです。長い牙は扉の格子からはみ出てエレベーターの中で暴れ、5つか6つかある目はギラギラと赤い光沢を放ち、私たちを見つめています。
これにはさすがの紀久君も平静でない表情で、エレベーターの隅で震えています。
悪夢です。これは間違いなく悪夢です。
どうしてこんなにボロい格子がこのバケモノのタックルに耐えられたのか不明ですが、もう一度でもタックルをかまされれば、私たちもろともバラバラでしょう。既に扉の格子は閉まっていますが、80階のボタンを押し続けます。
――早く、早く動いて!早く上がって!!――
”クロノスタシス”を知っている方なら、それが一番この状況を言い表していると言えば伝わるでしょう。いつもならもう動き始めているはずのエレベーターが、なぜか今回ばかりは止まってしまって動かないような、そんな錯覚と恐怖に駆られています。
――早く!早く!――
バケモノがいったん扉から少しだけ離れます。でも、これは恐怖でしかありません。2度目のタックルの予備動作にしか思えません。
――ああ、もうだめだ!――
もう無事でいることを諦めたその時です。ようやく、永遠とも思える時間止まっていたエレベーターが動き始めました。そして、みるみるうちにバケモノは視界の下に消えていきます。
助かりました。多分、助かったのだと思います。下からバケモノが追いかけてくることは無いと、なんとなく直感で分かりました。たった数十秒にも満たない激闘が終わりました。
キュルキュルとエレベーターのロープが巻かれていく音、自分の乱れた呼吸音と心音、紀久君の呼吸音。そして、どこか遠くから聞こえる、違和感を感じるほどに規則正しいコトコトという歯車の回る音。
少し平静を取り戻すと、安心感で脚の力が抜け、ペタッとその場に座り込んでしまいました。紀久君も、隅に逃げていたその恰好のまま、壁に寄りかかるようにしてズルズルと床に座り込みます。
「はっ、はあぁぁ~。た、助かったぁ~。」
なんとも情けない声ですが、仕方ありません。こんな姿を他人に、しかも先輩の異性に見られるというのは恥ずかしくて仕方ないですが、それは紀久君も一緒でしょう。あまりにも、緊急事態すぎました。
「ほ、ほんとですね……。今回ばかりは、焦りました。もうだめだと思いましたよ。」
「ええ、良かったわ……。私、まだ心臓がバクバクしてる……。」
「ははっ、僕もです。呼吸が整いません。」
吊り橋効果、というには吊り橋が高すぎ&脆すぎ&長すぎだった気もしますが、このアクシデントのおかげか、少しばかり彼の硬派さがゆるんだ気もします。
一気に溢れ出た、ふたりの安堵感がエレベーター内に充満しています。エレベーターはそんな雰囲気なんて我知らずといった様子で、コトコトとゆっくり80階を目指して昇っていきます。そののんびりとした音が、より私たちを安心させます。
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