14・Brave Bereavement

 私と晴音は、リビングへと出た涼葉さんの様子を、少しだけ開けたドアの隙間からコソリと覗き見ます。頭を上下に並べて目だけその隙間にあてがう私たちふたりの姿は、泥棒やはたまた敵地で任務中のスパイのようです。


 「ねえ、お母さん。」


 涼葉さんが、リビングでおやつに合うお茶を用意していたお母さんに話しかけます。


 「どうしたの?涼葉。」


 我が娘を見るその目は普段と変わらないであろう、優しい目です。


 「あのね、お母さん。ありがとう。」


 「どうしたの?いきなり。」


 「ありがとうお母さん。私、お母さん大好きだよ。」


 「本当にどうしたの?でもありがとう。私も涼葉のこと大好きよ。」


 娘が母に感謝と愛を伝える、なんとも美しく微笑ましい光景です。これが学校の「親に日ごろの感謝を伝える」とかいう宿題の一貫だったら、なんて心が軽かったことでしょうか。


 「あのね、お母さん。私お母さんのこと大好きなんだ。だから、だからお母さんのこと忘れられなくてね、それでこうやってお母さんのこと夢に見ちゃってね、それで、それでね……」


 涼葉さんが、本当は言いたくはないであろう、でも言わなくてはならないお別れを、その大粒の涙と共に話していきます。涼葉さんは止めることのできない嗚咽をとめず、その溢れ出る涙を拭いもせず、まっすぐに、その心のままにお母さんに語りかけます。


 「でね、本当はね、私お母さんのこと大好きだから、いつまでも一緒にいたいんだよ……」


 「本当にどうしちゃったの涼葉?夢とか、なんとか、大丈夫よ。私はまだここにいるじゃない。」


 涼葉さんの心が作り出したお母さんが、涼葉さんにどこまでも優しい、そうであってほしい言葉を投げかけます。でも今は、その言葉は涼葉さんの決意を揺るがす方に働いてしまうものばかりです。


 それでも、今一番お母さんに言ってほしい言葉をそのお母さんから受けても、涼葉さんの決意は未だ崩れることはなく、少しずつですが、言葉をこぼします。


 「一緒にいたい、いたいよ…………でもね、でもね、お母さんとは、ちゃんとお別れしなきゃいけないと思うの。だって、今お母さんとお別れしても、私の心の中でお母さんは生きてるから!私は、お母さんのこと、お母さんと一緒に過ごした時間も、お母さんがくれた優しさも、なにも、絶対に、絶対に忘れないから!」


 涼葉さんの口からそう言葉が溢れ出た瞬間、目を疑うことが起こりました。いや、正確に言うなら私は、一瞬目を反射的につむったのです。それは、その瞬間、お母さんの胸のあたりから白と黄色を混ぜたような光がフラッシュしたからです。


 そして私が再び目を開くと、お母さんの全身がほんのりと発光しているではありませんか。さらには先ほどフラッシュした胸のあたりが、うっすらと赤い光に染まっています。しかし、涼葉さんはそんなことには気も留めずに心の吐露を続けます。


 「……だからね、お母さん。今までありがとう。私は、私はもう夢とはさよならするんだ。ちゃんと、ちゃんとお母さんと会うためにも。だから……だから……


 

 ――大好きだよ、お母さん。さようなら――」


 涼葉さんがそう告げた途端です。お母さんの全身が、そして胸の赤光が眩いほどに煌々と輝き始めました。言葉を振り絞り切った涼葉さんは、光り輝くお母さんを、じっと、優しい目で見つめています。涙が飽和するその瞳は、何を映しているのでしょうか。


 そして、光り輝くお母さんはゆっくり涼葉さんに歩み寄ると、涼葉さんをぎゅっと抱きしめました。眩しくて良く見えませんが、お母さんの目元にもうっすらと涙がこぼれるのは見えます。母の腕に抱かれた涼葉さんは、もう何も言わずに、ただただ枯れんばかりの涙で母の胸を濡らし、ぎゅっと母の背を鷲掴みにしています。


 それから、お母さんが一言、何かを言ったのが見えました。でもそれはあまりにも小声で、私は聞き取ることは出来ませんでした。そして、それと同時にお母さんを包んでいた光がより一層眩しく光り輝き始めました。


 「お母さん!!」


 涼葉さんが、今一度そう叫びました。その叫び声に同調するかの如くにお母さんの全身が一気にフラッシュしました。私は、いや、私だけではないでしょう。そこにいた涼葉さんも晴音も、その光ゆえに目をつぶりました。


 瞼の奥に感じる光が収まり、ゆっくりと、辺りを疑い見るように目を開けると、そこにはもうお母さんの姿はありませんでした。そして、リビングにはひとり、悲しみと喪失感に暮れた、それでいて何物にも勝る強さを宿した背中をこちらに向けた涼葉さんが、立ち尽くしていました。


 私はゆっくりとドアを開けて、リビングに出ました。とは言っても、見るも壮絶な別れを目の前にして、なんて話しかけたら良いか、分かりませんでした。


 「涼葉……さん……。」


 私は、ゆっくりと涼葉さんの名を呼びました。涼葉さんの肩は呼吸に任せて自然に上下しています。寂しさや強さと共に、どこか良い意味での解放感を感じさせる後ろ姿に、私も晴音もグッと言葉を飲み下してしまします。


 私が涼葉さんの名前を呼んでからどれくらい経ったでしょうか。なんと言っても、その時は、教会や神殿に流れるような、澄み渡っていてそれでいて重厚な空気がその場を支配していましたから、時間の感覚が少し曖昧になっていました。


 それからふと、涼葉さんはゆっくりと振り返りました。そして、未だ流れ続ける涙を頬に輝かせ、満面の、それはもうお庭に咲き誇る花すらもかすむほどの笑顔で、こう、言いました。


 「うん!ありがとう!」

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