12・True Tear, Believe Mom

 「涼葉さん。私たちと会った時点で、ここが夢の中だって気付いてるわよね?現実世界では、お母さんはもう他界しているんじゃないかしら?」


 晴音の言葉の途中で、それを直接涼葉さんに聞いてはいけないと肌で感じましたが、私はそんなにすぐに他の人の言葉を遮れるような反射の良い人間ではありませんでした。


 晴音は言葉使いは少々大人びていますが、その中身は見た目相当の小学校高学年くらいの少女です。今「そのこと」を直接涼葉さんに聞いてはいけないということは、恐らくまだ推し量ることができなかったのでしょう。


 「違うよ!生きてるって言ったじゃない!さっきも一緒にお昼ご飯一緒に食べたもん!」


 晴音の言葉を受けて、涼葉さんが絶叫しました。この瞬間に、この”悪夢”が”悪夢”であることが確定してしまった気がします。まだ中学生の娘を残して世を去った母とそれを受け入れられない子供。そしてそれ故に母がまだ生きている夢を見ているのです。


 晴音の検知は何も間違っていませんでした。涼葉さん本人にとっては幸せな夢かもしれませんが、これは”悪夢”に違いありません。


 私は目を潤ませる涼葉さんに、無意識にも同情と憐みの目線を送ってしまいます。私は幸いなことにまだ両親とも健康に生きていますが、私が涼葉さんと同じ年で親を失っていたら、同じように現実を受け入れられなかったと思います。


 しかし、今の私はもうなんとなくですが分かっています。身近な人との死別は悲しく、受け入れがたいものであるけれど、それは時間をかけて向き合い、乗り越えなくてはいけないものだということを、です。夢に現実を見て、心を捕らわれ続けてはいけません。


 私は年上として涼葉さんに立派なことを言える立場も資格もありません。ですが、私個人として、そしてなによりも「夢のお医者さん」として、涼葉さんの心をこの夢から醒まさせなくてはいけないと思いました。


 晴音は、突然大声を上げた涼葉さんに驚いて、夜に降る雷光を固め取ったような柄のワンピースごと硬直しています。私は出来るだけ優しい口調で切り出しました。


 「涼葉さん。」


 「何?」


 少々反骨的な声と目線が返ってきました。


 「涼葉さんのお母さんは、ここでは確かに生きているわ。でも、現実世界ではもう亡くなってしまったというのも、またひとつの事実だと思うの。」


 「だからなによ。ここで生きてるんだからいいじゃない。私のお母さんはまだ生きてるのよ。」


 荒波立つ声とは対照的に、その瞳にはみるみる涙が溜まり、眩しいくらいに丸い日の光を反射しています。


 「そうよ。ここで生きてる。涼葉さんのお母さんはここで生きてる。そして、ここは涼葉さんの夢の中よ。」


 「だから何よ!ここが夢だってことぐらい私だって分かってるわよ!あなたたちが来る前から!」


 涼葉さんは溶け行く氷河が織りなす運河のように、静かに、徐々に、それでいて激しく涙を零し始めました。


 「なんなのよあなたたち……!いいじゃない。私が見たい夢を見て何が悪いの!?夢の中でくらい、お母さんと会ったっていいじゃない……!」


 涼葉さんは頬を伝う涙を両手首の内側で拭いながら、心の声を吐露するように絞り出しました。ただ運河の流れはそれでは拭い切れるはずもなく、フローリングが涙に打たれてひたりひたりと鳴ります。


 私は横目に、そんな涼葉さんを見てうつむいている晴音を見ながら、ほぼ無意識に、泣きじゃくる涼葉さんを両腕で優しく抱きしめました。


 確かに、ここは涼葉さんの夢の中ですから、涼葉さんが見たい夢を見て、何も悪いことはありません。もちろん、お母さんと夢の中で再会することだって、本当は素敵なことです。


 でも、今の涼葉さんはそれではいけない、と強く思いました。夢に現実を見てしまっているからです。夢を夢と知りつつ、それから離れられないでいるからです。私は、両腕の中にいる涼葉さんに向かって、続けました。


 「そうよ。ここは夢の中。涼葉さんの夢の中なのよ。だから好きな夢を見るのも、お母さんと会うのも、全部自由にしていいこと。でも、それはちゃんとお母さんとお別れをできた後じゃなきゃ、いけないことだよね。」


 「うっ……うっ……。」


 腕の中から、嗚咽に挟み込むようなか弱い返事が聞こえます。


 「でね、ここは夢の中って言ったけど、夢ってどうやって見てるか知ってる?――夢っていうのはね、私たちが来た『夢の国』が現実世界で寝ている涼葉さんの脳と心に入り込んで見てるの。」


 「――うん……。」


 「でね、涼葉さんはその夢の中で生きてるお母さんと会った。夢の中でお母さんと会えたってことは、涼葉さんの心のなかでお母さんが生きてるってこと。お別れしても、それが全部のお別れじゃない。涼葉さんの心のなかで、お母さんはずっとずっと、生きてる。」


 「うん……うん……!」


 涼葉さんは何度も何度も確認するように、強く頷きました。もうせき止められない涙は肘やら服やらを濡らし、その悲しみを洗い流すように溢れます。


 「だから、一度、しっかりお別れをしましょう。」


 私が涼葉さんにかけた最後のその言葉に、返事はありませんでした。いや、返事はしていたのかもしれませんが、涙と嗚咽がそれをかき消してしまったのでしょう。


 でも、返事はなくても良いのです。私が強く抱きしめている涼葉さんからは、涙に洗い流され顕わになった、強く熱い意思がジンジンと痛いほどに伝わってきていました。私はその涼葉さんの意思を感じ、これで魔主、つまりはお母さんとお別れすることができるな、と思いました。


 魔主を倒すには夢を見ている本人の心に応じて作られる武器が必要です。ちょうど今、私の手は涼葉さんの背中に回っていますから、このまま背中から涼葉さんの心に手を入れて、武器を取り出してみようと思いました。


 ふと視線をずっと静かにしていた晴音の方に向けると、私の考えを読み取ったのか、「大丈夫よ。やってみなさい。」と言った顔で視線を返してくれました。私は晴音のその顔にある種の安心を覚えて、涼葉さんの背(心)にそっと手を差し込みました。

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