初仕事の夢

5・Raining Walking and Flying with You

 みなさん、こんにちは。「夢のお医者さん」こと佐藤雨音あまねです。さて、以前お話ししたとおり、私は晴音はるねとの契約によって夢の国を管理する立場となったわけです。そんな私の「夢のお医者さん」としての初仕事は梅雨が明ける頃、晴音と契約を結んでから10日ほど経った日の夜でした。


 契約を結んだ夜以降、私は全く晴音と会いませんでした。私の初仕事はいつになるのだろうかと気長に待っていたのですが、晴音は現れませんでした。でも、その日、晴音は突如として私の前に姿を見せたのです。


 その日は梅雨が明ける頃ということもあって、気温は夜になっても高く、それでいてしとしとと雨の降りしきる夜でした。私はいつも通りベッドに入り、薄いかけ布団を体に掛けて横になりました。そして、天井を仰ぎ、目を閉じようとしました。


 しかし、私の視界に映ったのは天井のライトではなく私の顔を覗き込んでいる晴音の顔でした。晴音は私をまたいで仁王立ちになり、その顔を鼻と鼻がくっついてしまいそうなほどに私に近づけていました。視界の隅に映るワンピースは墨よりも闇よりも黒い漆黒です。


 「久しぶりね雨音。初出勤よ。」


 「ひ、久しぶり晴音。か、顔が近い……。」


 晴音は折っていた腰を伸ばし、文字通りの仁王立ちになると、私の手を握ってきました。


 「じゃあ、行くわよ!レッツ夢の国!」


 「え、今から!?もう!?わわわ、ちょっと待っ……」


 晴音に握られた私の手と晴音の手の間から、再び白と黄の逢いまったまばゆい光が溢れでます。私の制止の声は聞き届けられることなく、私は再びの夢の国へと入り込んだわけです。


 「さあ、今日は雨音の初出勤だから、私も一緒についていくわね。今日の患者さんは、隣町に住む小学5年生の男の子よ。まったく、ゲームのやりすぎで悪夢を見るなんてホントに男子ってアホね。」


 晴音が珍しく見た目年齢相応のセリフを言いました。しかし、今から隣町に行くとなると、だいぶ手段が限られます。


 「隣町ってことは電車に乗るの?もう終電が近いから、今から駅に向かっても多分間に合わないと思うけど……。」


 「電車?そんなもの使わないわ。さっさと飛んでいけばいいのよ。」


 晴音はあたかも当たり前といった表情で私をみつめます。私の薄いかけ布団のシワはその大きさが伸縮し、グランドキャニオンに負けず劣らずの絶景を成しています。


 「と、飛んで?」


 「そうよ。飛んで。まあ、実際は飛んでというよりは飛ぶ”ような”感じであって飛ぶわけではないけどね。前にも言ったけど、大事なのはイメージ。今すぐこの寝室を飛び出して、隣町までひとっ飛びするイメージを持って。」


 晴音はそう言うと、まだ困惑している私と手を再び繋ぎ、さあ、行くわよと言いました。もうやるしかないようです。大事なのはイメージ……確かに前回も言われたことですが、腕や脚がもげないか心配です。


 「せーのっ!!」


 晴音が掛け声をかけると同時に、私たちふたりの足はベッドから離れ、宙に浮きます。するとそれに感動する間もなく、私たちは部屋の壁に突き進んで行きます。


 「きゃああああ!ぶつかるぅぅぅ!」


 「大丈夫よ雨音!壁をすり抜けるイメージ!」


 私は言われたとおり(にする他なく)、咄嗟に壁をすり抜けるイメージをして、目をつむりました。声にならない悲鳴が喉の奥で響きます。


 すると、突然体全体を撫でる風を感じました。私が目を開けると、私は私の家を家の外から眺めていました。そう、私は浮遊しながら壁のすり抜けに成功してしまったのです。


 「う、うわっ。」


 変な感嘆が私の口からこぼれます。


「流石ね雨音。じゃあ、このまま患者さんのところまで行くわよ。さあ、私と一緒に飛ぶわよ!」


 そういうと晴音は私の手をグングン引いて飛んでいきます。私も(なぜそれができるのかはわかりませんでしたが)晴音と一緒に、透明な膜にコーティングされた街並みを見下ろしながら、雨の夜空を心地よく飛んでいきました。


 それから、私たちは数分のうちに隣町に到着し、晴音が「あそこよ」と指さした可愛いげのある一軒家に屋根から(というよりも屋根を通り抜けて)お邪魔しました。屋根からするりと屋内に入ると、そこは今夜の患者さんらしき男の子の寝室でした。


 「じゃあ、さっそく夢の中に入るわよ。」


 晴音がピッと男の子を指さしながら言いました。


 「え、夢の中に?入れるの?」


 「そうよ。悪夢の治療は本人の夢の中でしかできないわ。さ、いくわよ。」


 晴音はそう言うと、依然つないだままの私の手を再度強く握りしめ、男の子の方を指さした指に何やら意気を込めました。


 すると男の子の頭のあたりで透明な膜がぐにゃりとひしゃげ、それが渦巻となって私たちを飲み込み始めました。


 「は、晴音!?これはっ!?」


 「こうやって夢の中に入るのよ。透明な膜は夢の国と現実世界を隔てる膜だからね。その膜をひしゃげて、その隙間、つまり夢の中に入るの!」


 晴音が説明をしているそばから、私たちの体は滝つぼに呑まれる落ち葉のごとく、渦の中心である男の子の頭(夢の中へ?)に吸い込まれていきます。もちろん、私は悲鳴をあげましたが、その悲鳴ごと渦の中に吸い込まれてしまいました。


 吸い込まれる感覚が消え、恐怖で瞑っていた目を開けると、私たちは広大な草原に立っていました。柔らかく、それでいてつんつんした草の感触が足の裏から伝わってきます。空は晴れ渡り、心地よい風は晴音の黄を基調にした花柄のワンピースを揺らしています。


 「うん。ちゃんと夢の中に入れたわね。」


 いつの間にか私の手を離していた晴音は、両手を腰に当てながらそう言い、私の方を振り返りました。


 すると、その時です。どこからか大きな、なにか獣のような足音と、少年の悲鳴が聞こえてきました。その方をパッと振り返ると、先ほどのベッドで寝ていた少年が、巨大な巨大な象よりも2回りほど大きな犬に追いかけられて、私たちの方へ逃げてくるではありませんか。


 私は、今夜の仕事が面倒なものになると、その光景を見て少しばかり察したのです。


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