4・Good Night Good Contract

 「や、雇われる?」


 私は、身を乗り出してきた晴音との距離を取るように体を反らしながら言いました。


 「そう、私に雇われて、夢の世界の管理を手伝って欲しいの!」


 「ゆ、夢の国の管理?」


 「そうよ。夢の国の管理!雨音に頼みたいのは、みんなが寝てるうちに、夢の国がみんなの脳のなかに程よく入るように、そして、みんながいい夢を見れるようにすること!だから、『管理人さん』というよりは、『夢のお医者さん』って感じかしら。」


 晴音は顔をぐんぐん私に近づけてきます。体を反らすにもだいぶ苦しいところまで晴音が身を乗り出してきたので、私は朝焼けのようなノースリーブのワンピースからはみでた真っ白な晴音の肩を押して、ちょっと待って、と言いながら姿勢を戻させます。


 「つまり、夢のお医者さんの仕事っていうのは、要するに夢の国がこの世界に良い形で干渉できるようにするっていうことかしら?」


 小学生ほどの見た目の女の子に「雇われて」などと言われたら、普通は思考が交通止めに遭ってしまいそうですが、今の私は驚きを連続で浴び続けているので、思考はいたって快適な流れを見せています。


 「簡単にまとめればそんな感じね。でも、それだけじゃないのよ。最近は人の数も増えたからそもそも診て回ることが大変だし、寝る直前までゲームとかの刺激に触れてるひとも多いから、夢の国の干渉が上手く行かなくなってきてるの。」


 「そ、そうなのね……。なんだか、割と現実的な問題が山積してるのね。」


 夢の国というイメージとはだいぶかけ離れた、会社のサラリーマンが吐きそうなセリフです。


 「世界は夢の次元でも、その仕組みは現実的なんだから仕方ないのよ。それに、『不思議の国のアリス症候群』として不意に開いてしまった膜の穴をふさぐのも大事な仕事のひとつよ。」


 「え、そうなの?でも、私はずっと穴あきっぱなしだったような……。」


 「だ~か~ら~、治療が間に合わなくてそうなっちゃうのよ。それに、雨音ほど親和性が高かったら、どんなにふさいでもあなたから勝手に開けちゃうでしょ。そんなの、決壊したダムをガムテープで止めようとするのと同じくらい無意味だわ!」


 どうやら、わたしの親和性はダム並みのようです。私としては開いて欲しくない世界が勝手に漏れ出てくる、いや、無意識にこじ開けてしまっているのですから、迷惑な話です。


 「そ、そうなのね。まあ、だいたいの雰囲気は分かったわ。」


 私は、ずっと座って話していたのせいで少々固まってしまった脚を動かし、座り直しながらいいました。時間を確認しようと壁に目をやれば、依然そこには透明なコーティングがされたビッグ・ベンがあります。時計の針は一周して、晴音が最初ちょこんとその上にすわっていた位置にまで戻ってきています。


 「で、どう?納得したかしら?お願い、聞いてくれる?」


 晴音がまたも身を乗り出してきます。前傾姿勢となった薄く淡い氷山を思わせるワンピースを着た晴音の背は、スキー場のような急傾斜を成しています。


 「え、ええ、理解はしたけど……。」


 「何かまだ質問があるのかしら?」


 「いや、さっき晴音ちゃんは『雇われて』って言ってたから、その……なんと言うか、対価はあるのかなーって思って……。」


 小学生の女の子にこんなことを聞くのははばかられましたが、雇用契約の上で確認しとかなきゃいけない項目くらいは、当時高1だった私も心得ていました。それで悪い大人(この場合は子供だけど)に騙されては大変です。


 「た、対価ね……うん、対価……。」


 晴音は乗り出していた身を引いて、ぴょんと立てた人差し指をあごにあてながら考え始めました。何かいい報酬を考えてくれているのでしょうか。そして数秒経ったところで、晴音は「あっ」と声をあげながら目を見開くと、神妙な面持ちでこう言い放ちました。


 「雨音さん……この世には、ボランティアというものがあるわ。」


 今日、数々の驚きを経験しましたが、冗談を抜きにしても、この晴音の発言に最もあっけを取られたかもしれません。


 「ボランティア……って無償ってこと!?うーん。それはちょっと……何かないのかしら……?」


 私は(夢の国とはいえ夜中なので、小さな声で)抗議の声をあげました。危ない危ない。あのままでは本当に悪い子供(?)に騙されるところでした。


 「えー、やっぱり何か必要かぁ。えーと、じゃあ、お仕事を手伝ってくれた次の日は、雨音の見たい夢を見れるってことでどう?」


 「え、そんなことできるの!?」


 急にとても魅力的な(しかしどこかまかない的な何かを感じる)報酬を提案されて、今度は私が前のみりになります。


 「できるわよ。私は『夢の国の管理人』って言ったでしょ。そんなの容易いことよ!」


 晴音は、深紅に染まったワンピースに包まれた胸を張ります。それにしても、なんて魅力的な提案でしょうか。その魅力はどんなに綺麗なアクセサリーにも勝るでしょう。


 「それに、夢の国を上手く扱える人が増えれば、その分、『不思議の国のアリス症候群』で苦しむ子の数も減るわ。」


 私の決意を固めたのは、晴音のその一言でした。確かに、好きな夢を見たいというよこしまな気持ちもないことはなかったですが、私と同じような恐ろしい体験をする子を減らせるかもしれないという思いが、私の背中を強く強く押しました。


 そうして、私は「夢のお医者さん」になりました。それからというもの、今日までの5年あまり、楽しく愉快でそしてやはり少々大変な日々を過ごしてきました。


 そうそう、晴音と出会った日のその後を話していなかったですね。その日、契約を決めた私は晴音とよろしくの握手をしました。すると、再び「夢の世界」へ飛ばされた時と同じような光が重なった手の間から漏れ出し、気付けば私は元の現実世界に戻っていて、晴音も姿を消していました。


 次に私が晴音と会ったのは、私の「夢のお医者さん」としての初仕事の日でした。やはり、初仕事の思い出というのは、晴音と出会った日と同じように強く記憶に残っているものです。


 でも、その初仕事については、また今度、次の機会にお話しましょう。


 それでは、良い夢を。


 

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