第10話 桃園の磔

蛇矛だぼう!!」


『宝具』として祀られている姿しか知らない奴らが目を丸くして、謁見の間で蛇矛とオレを見ていた奴らからはドォッとどよめきが上がった。

 まあそりゃそうだ。蛇矛は皇宮の、あの台座に預けてあったのだから。


 いつもなら宴だろうがなんだろうが、相棒であるコイツを手放すことはしねぇ。だが、でのコイツなら、どこに置いてあっても大丈夫だと思ったのだ。


「ははは! オレもすっかり妖術……いや仙術使いだな」


 大口を開けて笑い、そして並んだ方術使いや兵士たちの前へ出る。


「お前ら、安心してすっこんでな!」


 小さな黒点だった黒蛇は、今やすぐ側まで迫っていた。

 皇宮で働く者、後宮に妃たちだけでなく、皇都の住人たちの目にも恐怖として映っているだろう。


「オレは守護仙 “燕人”! 蛇も……すっこんでな!!!!!!」


 煌めくぎょくが散りばめられた履物の足を大きく前へ出し、ドンと地面を踏みしめる。腰を落とし、翡翠色の袖をヒラリと翻し蛇矛を振りかぶると……上空の黒蛇へ向けてぶん投げた。


「おりゃあっ!!」


 ブンッとくうを切る音がして、蛇矛が飛んで行く衝撃で周囲の人間が尻餅をついた。

 おお! 蛇矛が物凄い覇気をまとってるじゃねぇか!


「ぎゃーー!!」


 黒蛇がしゃがれた声で鳴き結界に迫る。

 再び口から火を噴き蛇矛を焼き尽くそうとしたが、蛇矛はぎゅるるんと速さを増しそのまま炎の中へ突っ込んでいった。そして――。


「ぎゃああああああああ!?!!!?」


 黒蛇が汚い悲鳴をまき散らした。


 炎を越え、黒蛇の口の中へ侵入した蛇矛は蛇の脳天を突き破り、勢いそのままに蛇の巨体を引き摺り飛んで、はるか向こうの城壁に突き刺さった。


 ……ドォォオオン……! 


 哀れ一撃ではりつけとなった黒蛇は、城壁の上から下まで、その体をだらんと垂らし絶命していた。


「お、丁度いいとこに壁があったな!」


 妖魔は脅威だが、同時に大事な資源でもあると聞いた。

 蛇皮や牙、目玉なんかはきっと良い素材になるのだろう。あの状態ならきっと剥ぎ取りやすい! うむ!


「おう、紀翔きしょう。蛇野郎を下ろす時は呼んでくれ。蛇矛を外すからよ!」


 ニカッと笑い後ろを振り向くと……。ドォオオッと歓声が上がった。

 初めて目の当たりにした “燕人”の力に、桃園中が湧いていた。


「ははっ! 悪くねぇ!」


 調子に乗ったオレは、卓に上がり天に向かって拳を突き上げた。

 上がる歓声の中、袖から見えた飛燕の腕は筋肉が凛々しいイイ女の腕だった。






「だが、アイツは黒蛇っていうより……龍だな、ありゃ」


 磔になっている哀れな妖魔を眺め、オレは新たな杯を傾ける。


「あ、はい。あれがもう少し成長すると黒邪龍こくじゃりゅうになるのです……」


「本当に、張飛殿がいらしてくれてよかった……!」

「はは! もしかしたらオレが来ちまったせいかもしれねぇぜ? 燕人が現れる時には妖魔も増えるんだろ?」

「ええ。ですが――あなたが、私の妃として降臨してくださった僥倖ぎょうこうに感謝いたします……」


 そっと手を握られた。おい、やめろ。


「だからお前の妃は後宮にわんさかいるだろうが……!」


 パンッと手を払ってやった。

 オレじゃねぇ飛燕には「強くなるまで待て」だなんて言われてあっさり手を引っ込めたくせに、燕人オレになった途端手を出すたぁいい度胸だ。


 腹が六つに割れてるような美女を馬鹿にするのはオレが許さん!


「ああ、張飛殿……! くっ……飛燕の本当の美しさに気付かなかった私が未熟でありました……!」

「……おう」


 オレはちょっと面倒な紀翔は見ない振りをして、桃の花弁が浮かぶ杯をまた煽る。


 ――しかし後宮か。

 絵の題材モデルにできそうな美女ばかりだったなぁ。オレは顔を真っ赤に染めた『おもしれー女』こう丹妃たんひを思い出して笑う。


 肉屋をやっていた若い頃、オレの趣味は美人画を描くことだった。あと料理もなかなか好きだ。

 だが、挙兵した兄貴にくっついて行ってからは、絵筆を取ることは少なくなり徐々に描かなくなった。今思えば妻の絵をもっと描けばよかったな。


 一目惚れで掻っ攫っ……いや、嫁に来てもらった夏侯かこう氏の娘である妻を思ったら、ふと自分の中に芽生えた『罪悪感』に気が付き戸惑った。

 もしかしたらこれは、文字通り『掻っ攫い娶った』妻だったことを知った、オレの中の飛燕の感情なのかもしれない。


 ……嫁にしない選択はできねぇが、せめて準備を整えるために数日の時間を与えるべきだったか。そんな風に初めて思った。


「あの、張飛殿? どうかなさいましたか?」

「ん? ああいや、ちょっと妻ってもののことを考えていてだな……」

「わ、私の妻……皇后に立ってくださると……!?」

「あん?」


 オレは戯言ざれごとを言っている紀翔の杯に酒をどぼどぼ注ぎ、飲め! と言ってやる。が、紀翔の耳には何故か甘い囁きにでも聞こえたようで、「喜んで!」とグイグイ杯を煽っている。

 コイツ、酔ってんな?


「しっかしなぁ……。意味があるんじゃねぇかと思うんだよなあ」


 どうしてオレは男ではなく、女としてここに降り立ったのか。

 紀翔の言うように、将軍として武勇を振るう為なら男のほうがよかっただろう。だというのに、オレは後宮の妃に降臨した。


 これは何か意味があるんじゃねぇか?

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