第8話 桃園の杯

 この燕国は、扇型に似た形をした大陸の端にあるという。

 端っこなのはオレの故郷で、元はえんだった幽州ゆうしゅうと呼ばれたあの土地と変わらんが、国の形も大きさも違う。それに扇の四方は海で、ここは巨大な大陸らしい。そしてこの大陸にはいくつかの国がある。


「侵略してくるような異民族はいねぇのか?」

「さて、どうでしょう。国ごとに特色はありますので民族は異なっているかもしれませんが、侵略者は基本的におりません」


 その言葉に、オレは目を丸くした。

 ではこの大宴席にも多く見える兵士たちはどういうことだ? ここには武将だけでなくヒラの兵士の姿も多い。まあ、文官らしき姿や学者のような奴らもいるが。


「戦はねぇのか」


 オレは女の姿であることも忘れ、脚を開き立膝で杯を傾ける。重ねた衣があるから障りはねぇ。


「そうですね。他国との戦争は基本的にありません。……割に合わないのですよ」

「どういうことだ?」

「人同士で争いその領土を手に入れたとしても、今度は二倍三倍となる妖魔を抑えなくてはなりません。それがどうにも難しく、割に合わないのです」


 それが扇の大陸の理屈か。


「しかし二倍三倍とは……?」

「はい。では妖獣や妖魔のことから説明いたしましょう」


 ここには妖獣、妖魔と呼ばれる妖しい獣がいる。水盆に映し出されたその姿と行いは、おぞましいとしか言いようがなかった。


『白燕』をはじめとした妖獣は、人と共存できる獣らしい。しかし妖魔は違う。人を喰らい、残虐に弄ぶ。だがその反面、妖魔は貴重な資源でもあるという。

 人の手では創り出すことのできない魔の力を秘めたぎょく、魔を帯びた鱗や目玉、心臓に肝、血液。挙げればキリがない。


 そして、どの国にもほぼ等しく妖魔は湧き、人とは戦うことで均衡を保っている。


「不思議なことに、古来に引かれた国境、国土の広さならば守り切れるのです。ですが国境を破ってしまうと……何故だか妖魔が強くなる。諸説あるのですが、やはり守護仙の加護が関連しているのではとも言われています」


「守護仙……『燕人』みたいなものが他国にもいるのか」

「はい! その国ごとに宝具があり、守護仙さまの伝説がございます!」

「へぇ……」


 グビッと杯を煽って、思った。


 ああ、ここは本当にオレの知ってる燕でも、中華でもないんだな、と。


 ここにはもう、オレの敬愛する義兄たちはいない。

 いや、雲長うんちょうの兄貴はあちらでももう……だったな。


「……玄徳げんとくあにぃを一人残してしまったか」


 ずっと気になっていた、受け止めきれない思いに胸が締め付けられた。

 グッと唇を噛みしめたら、血に混ざって変な味がした。そのまま手で拭ったら、甲に赤い血と紅が付いて、ああそうだ、この味は口紅だったかと思った。


「燕人さま……? どうかされましたか? お加減でも……?」

「いや……」


 オレは口元だけで笑って顔を上げる。


 この宴はいい宴だ。

 武官も文官も、上下も性別もなく肩を並べ酒を酌み交わしている。


 果たしてオレの軍でこの光景が有り得ただろうか? 雲長あにぃのところでは? 丞相じょうしょうは兵たちに交ざって酒を飲んだか?


「ああ。だからオレは死んだんだよなぁ~……」


 それは部下に冷たかったから。酒に溺れ、気分で理不尽な仕打ちをしたから。

 何故だろう、もしかしたら心の奥にいる飛燕のおかげだろうか? 在りし日の自分を冷静に振り返ることができる。後悔を覚え、反省の気持ちが滲み出てくる。


「……なあ、皇帝陛下さんよ」

「はい!」


「いい国だな」

「はい。恥ずかしながら、それ程豊かでも大きな国でもありませんが、気のいい者が多い良い国です」


 単純で楽観的な者が多いとも言われますが! と言い、皇帝はハハハと笑う。

 いい国で、コイツはいい皇帝だ。下の人間を見りゃ分かる。


「おう、その酒器しゅきを貸してくれ」


 オレは給仕から酒がたっぷり入ったそれを奪うと、隣の皇帝の杯に酒を注いだ。


「俺のことは張飛ちょうひでも益徳えきとくでもいい。好きなほうで呼べ」


 どうやらこの国にはあざなはないようだ。ならばオレもそれに従おう。益徳でなく、張飛と呼ばれようが構わん。きっと、そのほうが――。


「それから……友になろう」

「ほ、本当ですか……!」


「ああ、それと『様』はナシだ、お前……あー……名は?」

「はい!  紀翔きしょうと申します!」


「そうか。では紀翔。オレに『燕人』としての役目があるのなら承ろう」

「はい……! どうか我が国の守護を! 将軍として全軍を率いてください……!」

「将軍か。それは妖魔と戦う軍か?」

「はい。実は……燕人さまが降臨される時、妖魔たちの動きが活発になるとの伝承がございます。実際、近頃は皇宮にも奇妙な噂がありまして……」

「奇妙な噂? なんだそりゃあ。まさか妖魔が出るのか?」


 すると紀翔は気まずげにそろりと目を逸らし、ぽそりと言う。


「いえ、その……幽鬼がですね。少々出るような噂がございまして……」

「なっ、なんだって!? お前、さっき滅多なことでは出ないと言っただろうが!」

「はい。どうやら燕人さまの降臨時には、妖魔だけでなく幽鬼どもも活発になるようですなぁ。これは伝承にはない発見です!」

「そうかよ……」


 オレはちょっとうんざり顔で手酌で杯を傾けた。

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