第4話 うほっ。蛇矛!

 四妃筆頭のせつ囀妃てんひか。 


 黒髪だらけのこの中でその色の薄い金髪は目立つし、物憂げに伏せられた蒼い瞳と揺蕩たゆたうような物腰。これは庇護欲をそそる美女だ。周囲の侍女も美女揃いで独特な雰囲気がある。


「ふむう」


 どうにも気になったが、兵士に「お早く願います」と急かせれて、オレはその雪のような女から視線を外し後宮を抜けていった。





「『燕人えんひと』さま……? 翼妃よくひさまが、本当に……?」


 せつ囀妃てんひの愁うようなその呟きは、飛燕となったオレには勿論届いていなかった。



 ◆



 そうして連れていかれた場所は、皇宮の一室。

 数段上がった場所には、あのシャラシャラ音がしそうな冠をかぶった男が座っていた。


 ここは謁見の間か。そしてあの男がこの『燕国』の皇帝。

 まだ若いな。二十代半ばくらいか? ここも戦乱の世かなのかは分からんが、虎を飼うくらいだし肝は据わっていそうだ。うん。なまっちょろい感じはしねぇし、目つきも悪くねぇ。


「お待ちしておりました!」

「お初にお目にかかる」


 オレは未だ状況を掴み切れないまま、女の作法は分からんのでいつも通りに拱手きょうしゅし高く掲げた。挨拶の仕方はそれしか知らねぇから仕方がない。

 しかし皇帝は何も気にした様子はなくニコリと笑う。


 随分と気さくな皇帝だな? 色男なのがちょっと気に食わんが……悪い奴ではなさそうだ。


「早速ではございますが、こちらをご覧いただけますか」


 皇帝だというくせにやけに丁寧な言葉だ。だが、扉が開かれ運び入れられたを見たオレは、皇帝の言葉遣いなんか一気にどうでもよくなった。


 そこにあったのは、台座に固定されたひと振りのほこ


「こちらは我が燕国に伝わる宝具ほうぐでございます。伝えられている名は『蛇矛だぼう』と申します」

「――ああ、知っている」


 オレはニヤリと笑った。……まあ、今の外見は胸のデカい女のようなので、どんな笑顔に見えているのかは分からんが。


「どうかお手に取ってみてくださいませんか」

「いいのか!」


 オレは浮き立つ気持ちを抑えきれず、礼も何も忘れてその柄を手で掴む。


 ああ、この手触りだ。の手よりも小さく華奢なこの手では、握った感触まで同じにはならないが、しかし不思議なことにしっくり手に馴染む。


「蛇矛」


 蛇のように波打った刀身。小まめに手入れをしていたからこその輝きも、柄の傷も、付けてあるその飾り房も。どこをどう見てもオレの相棒、蛇矛だ。


「ああ、よかった」


 オレはその柄をギュッと掴み呟いた。

 実は正直、ちょっと心細かったのだ。体は女になってるし、知ってる人間はいねぇし武器もねぇ。だから今ここで、愛矛を手にできて嬉しくて堪らない。


 オレは台座から蛇矛をヒョイと持ち上げて、喜びのままにブンッとひと振りした。


 すると皇帝はおろか、周囲で見守っていた文官武官どもからワッと声が上がった。何事かと思いぐるりと見回すと、またもや訳が分からねぇが、全員がキラキラした目でオレを見てやがる。


「『燕人えんひと』さま……私は、この国は、あなた様をずっと待っておりました……!」


 皇帝のその言葉を引き金に、オレ以外の全員がその場に平伏した。


「ん!?」

「燕人さま……!」


 皇帝が椅子から立ち、段を降りてオレの目の前にひざまずく。


 まてまてまて。

 当たり前だが皇帝は国の頂点に立つ者、そんなことは頭の悪いオレだって知っている。そんな男が、姿は後宮のいち妃である飛燕オレの前に跪いてる……だと!?


「何故、あなたが首を垂れるのだ」

「当然でございます。あなた様は『燕人』さま。この宝具、蛇矛は『燕人』の他には誰も振るえないのです。いいえ、振るうどころか持つことすら誰にもできないのです」

「は?」


 なんだそれは。

 確かに軽いものじゃあねぇが、手に持つことくらいはできるはずだ。


「試して見せるのがよろしいでしょう。燕人さま、どの者かに蛇矛をお渡ししてみていただけますでしょうか」

「おう。それでは……その者に試してもらおうか」


 オレは一人の武将を指名した。見たところ、この中では一番体が大きくデキそうな奴だと思ったからだ。


 が、しかし。オレのそんな予想に反し、男は蛇矛を持つどころか触れることすらできなかった。


 その手に蛇矛を渡した瞬間、パンッ! と何かが破裂したような乾いた音が響き、蛇矛が消えた。さすがのオレも目を見開き驚いたが、瞬きをする間にもっと驚くことが起こっていた。


 オレのすぐ隣、運び込まれた時に収められていた台座に蛇矛の姿があったのだ。


「なんだと?」

「ああ、やはりですな。万に一つでもこの手で蛇矛に触れられたら……思ったのですが、やはり燕人さまでなければ無理なようです」


「燕人さま、蛇矛とはこのような不思議な宝具なのです」

「ほうぐ……」


「正当な使い手である燕人さまでなければ、これには指一本触れることはできません」


 だがオレの蛇矛は持ち主を選んだり、ひとりでに台座に戻ったりする妖しげなもんじゃなかったはずだが? 一体、燕国はどこで、オレは一体どうなったんだ?


 オレの首筋にヒヤリとしたあの刃の感触が甦り、腹の底からぞわりと凍えが上る。


「……なあ、皇帝陛下」

「はい」


「俺は……『燕人』とは一体何なのだ」

「『燕人』とは我が国の守護者、いつか降臨すると伝えられし守護仙しゅごせんにございます!」


 降臨? 守護仙……?? はぁ????


「なんだそりゃ!?」


 オレは男じゃねぇどころか、人でもねぇのか!?

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