第3話 ははは!おもしれー女だ!

 だが、その中でただ一人。

 濃い赤色の衣装を纏った女が変わらぬ視線でオレを睨んでいた。


「……四妃二位のこう丹妃たんひさまです」


 侍女がそっと耳打ちする。


「二位か。飛燕ひえんよりも上の妃だな」


 しかし丹妃たんひやら尾妃びひやら、聞いたことのない階級だ。いや、後宮なんざ全くよく知らんから、オレが無知なだけかもしれんが。


 そういえば飛燕は『翼妃よくひ』と呼ばれていた。となると、この国が『燕』という字を使っていることから、もしかしたら鳥にちなんだ呼び方なのかもしれないなと思い至る。


 燕で考えると、丹妃たんひは喉の赤色、翼妃よくひは翼、尾妃びひはあの長い尻尾。きっと頭のほうから見てその順位も決まっているのだろう。

 となると四妃最上位はくちばしか?


 オレがそんな風に考えていると、こう丹妃たんひはツカツカとかいだんを下りてきてオレの前に立つ。


「おお、艶やかだな!」


 他の女たちもなかなか筆が乗りそうな美人だが、こう丹妃たんひは一段上だろう。気の強そうオレ好みの美人で、キツく睨んでいるがその瞳は澄んでいる。益々いい!


「あなた、一体何をしましたの? また何やら庭を荒らしたと聞きましたわ!」

「はっはは! また、か」


 笑い事じゃございませんのよ! こう丹妃たんひはツンと顎を上げ尚も言う。


 ――うん。さっきから気になってる妙な気配はこいつじゃねぇな。

 オレはぎょろりと周囲を見回して、そう内心で頷いた。


 どうにもこの後宮には、『妙な気配』としか言えない妖しげな気配が漂っている。

 それはとても微かな匂いで、僅かな違和感。きっと小さな何かが結果を変える、命のやりとりをしてきた者にしか察せられないものだろう。


 直接的な敵意や殺意なら分かりやすいが、この、足首までヒタヒタとよどみを漂わせているような、ほのかなこの気配の正体はオレには分からねぇ。


 ――こりゃ、さすが後宮ってことかな。


 後宮って場所は、あの宦官も真っ青な泥沼の世界だって聞いてるが……?

 そんな風に思考を巡らせていたら、こう丹妃たんひが目の前で通せんぼをしていた。


「あなた、しかも『燕人えんひと』さまをかたるだなんて! 図々しいにもほどがありますわ!」

「ほぉ。……なあ? こいつは飛燕の好敵手なのか? 随分仲が良さそうだが」

「仲良くなんかありませんわ!」


 オレが傍らの侍女にこそっと訪ねると、こう丹妃たんひが瞬時に反論した。


「はい。飛燕ひえんさまでは全く……好敵手には程遠く……」

「飛燕さまはその……鍛錬にしか興味がなく、その……」


 二人の侍女が言い難そうに言葉を重ねる。


「おう、分かった」


 どうにも飛燕は、本当に後宮妃らしくない女なのだなと理解した。

 しかしこの女、ジャレついてきたのかと思っていたが、素直にオレ様に喧嘩売ってんのか。いい度胸だ。


丹妃たんひさま、飛燕さまは陛下に呼ばれているのです。どうかそこをお譲りください」

「陛下に……? あなた! 本当ですの!?」


 こう丹妃たんひは大きな目でギッとオレを睨み上げる。本当にいい度胸をしている。


「ははは! おもしれー女だ!」


 オレは片手でドンッ! と、丹妃たんひを回廊の柱に押し付け笑った。そして驚きに目を見開いている丹妃たんひの頬をそろりと撫ぜる。


「っ! ぶ、無礼ですわ!」


 こう丹妃たんひは気丈に吠えるが、周囲はどうだろう。赤い衣の侍女たちは息を呑み、その他の女たちも口を結び――ああ、これは『ドン引き』ってやつだな? こんな顔はよくよく知っている。


 だが、これだから悪ノリは面白れぇ。

 オレは頬に添えていたその指で、丹妃たんひの首筋をなぞる。


「なっ、何をしますの!?」

「まぁまぁ」


 そして飛燕の白い指が、これまた白い丹妃たんひの鎖骨に至り、肩、腕、腰を撫ぜる。するとその度に、丹妃たんひは分かりやすく震え頬を染めていく。


 後宮妃だっていうのに随分と初心うぶな反応だな? ここの皇帝は女に興味がないんだろうか? 全く勿体ねぇ。

 この、ほっそりしているが丸みのある柔らかな肢体、艶やかな黒髪に気の強そうな黒曜の瞳。


「なあ、あんたを絵を描かせてくれねぇか? 娘娘にゃんにゃん

「にっ……!」

「オレは美人画を描くのが趣味なんだ」


 ニヤリと笑って耳元で言うと、丹妃たんひの赤い唇がわなわなと震えた。


 飛燕の声は女にしては低く、ひそやかに囁く声はなかなかに色っぽい。悪くねぇな、と思うが残念ながらオレ自身なんだよな……。ちょっと抜けてるとこも好みだってのにがっかりだ。


「なあ、こう丹妃たんひ。お前の可愛い姿を描いてやるから、今度オレの室へ来い」


 いいな? と駄目押して、オレはサッと体を離し「おう、行くぞ」と先導の兵士へ言った。



 そしてオレの背後では、こう丹妃たんひが柱にもたれながらズルズルと床に崩れ落ちていた。


「はっ、はぁ!? な、なんですの!? あの翼妃よくひが……お、おかしいですわよ!?」


 丹妃たんひの顔は衣装とお揃いの真っ赤に染まっていて、その声はひっくり返り震えている。間近に控えていいた侍女たちも同様、頬を朱に染め「姐姐お姉様……!」などという声も混じり狼狽うろたえていた。


「わ、わたくし……おかしいですわ……っ!?」






 ――そんな騒ぎの中、オレは反対側の二階からの静かな視線に気付き、チラリと目を向ける。

 そこにいたのは、雪のように白い肌と輝く金の髪を持った女。


「おう、あの女は誰だ」


「え? あ。あのお方はせつ囀妃てんひさまです」

「上級四妃の筆頭で、誰にでもお優しく、『さえずる』の名に相応しく詩歌がお得意なお方です」

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