第15話、アイリスとアッシュ


 平穏無事な数日が経過した。ケーニライヒ王都学校は学び舎であるから、学生の本分である勉学に励む。


 ……なんてね。卒業までの授業は、もううんざりするほど繰り返しているから、私はやってるフリで通している。わざとヘマをしない限り、卒業の頃には『ミス・パーフェクト』の異名をもらうことになるわ。


「急に成績がよくなった?」


 アッシュが言うから、私は口を尖らせた。


「失礼ね。それまでだって成績上位でしたァ」


 なお、パーフェクトなのはループで繰り返している分だけなので、それ以前の成績については完璧ではない。優等生と言われる程度にはよかったんだけれど。


「君って、昔から忘れ物が多いの?」

「最近、忘れ物をする率が増えたわね」


 素知らぬ顔を決め込みながら、彼の見えないところで舌を出す。


 ヴァイス王子とメアリーの二人のお邪魔をしないために、気をきかせているのよ。


 というわけで、例によって二人が私の部屋で親睦を深める時間を余所で過ごすために、私はただいま学校の図書館に来ています。


 何故、部屋の主である私が追い出されているような格好になるのか――平たく言えば、周囲の目よね。


 未来の王である王子が将来の妻である婚約者のもとを訪れるのは、さほど不思議ではないが、新入生である平民生女子の部屋を訪ねるのは目立つし、あらぬ噂を立てられてしまうことになりかねない。


 一般的には、王子は私を訪ねているのであって、そこに私のペットであるメアリーが、たまたまいるだけ、という風になっているのだ。


「あなたも律儀よね」

「王子が、君をひとりにするなっていうからさ」


 私の忘れ物に、アッシュはいちいち付き合ってくれる。ヴァイスがそう指示するからだ。


「婚約者想いのいい人じゃないか」

「どうだか。イチャイチャの時間を少しでも長くとるために、私の足止めを命じられているんじゃないの?」

「……そんなわけないだろ」

「どうしてそこで視線を逸らすのかしら?」

「なんで見てもないのにわか――」


 アッシュは黙る。私が首を動かして振り向いていたことに気づいたのだ。咳払いする彼。イケメンは何をやってもさまになるから困るわ。


「私は、殿下の企みに乗ってあげてるんだから、いい女でしょ? 男を立たせてあげてるんだから」

「わからないな」


 アッシュが私のそばにきて、本棚を眺める。


「外国書籍?」

「いまはこの棚を制圧中」


 私は本棚に向き直る。多数の蔵書が収められているケーニライヒ王都学校。しかし規模に対して、生徒たちの利用者数はさほど多くない。


 つまり、静かだということだ。


「この図書館の本は、七割方読んでしまったわ」

「君がそんなに本の虫だとは思わなかった」


 アッシュは素直に驚いた。


「在学期間を考えても、一日一冊ペースだと卒業までに読み切れないんじゃないか」

「そうなるわね」


 このままループを続ければ、『卒業まで』に全部読めるかもしれない。正直、願い下げだけれど。


「あなたは本はお読みになる?」

「少し」


 アッシュは適当に、異国の風土の書かれた本を開いた。優男がページをめくりながら読書する姿って、絵になると思う。


「何?」

「あなたが本を読む姿に見とれていたの」

「ただ眺めているだけだ」

「周りから見たら、そうは見えないこともあるのよ。私は好きよ」

「それって中身を見ていないってことじゃないか? 印象だけで」

「あなたもその本を流し見ただけで、中身を読んでいたわけじゃないでしょ?」

「それとこれとは――」

「話は別。ええ、そうね。でもうまいこと言ったと思わない?」

「どうしたら、そんな自信過剰でいられるんだか……」


 アッシュは閉じた。


「君は眩しいな。いつも自信に満ちていて」

「褒めても何もでないわよ」


 私は本棚に向きを変えた。真顔で返されると、胸の奥が疼いてくる。


「侯爵令嬢として、いつも胸を張っておかないとね」

「見栄ってやつか」


 ちら、とアッシュが私の胸を見た。


「あ、いま、嫌らしい目で見た」

「べ、別に嫌らしくはないさ。胸を張るとか言ったのは君だぞ」


 アッシュは顔を逸らした。動揺しちゃって、可愛い。こちらのペースに戻ってきたので、からかいモード!


「やっぱり、あなたも女性の胸に興味があるのかしら?」

「……別に」

「ない? 私、そこそこ育っていると思うんだけどなぁ。傷つくわ」

「……君の胸は――」

「私の胸は?」


 言いかけて、口を閉ざすアッシュに、私は一歩接近。背丈はあるから、彼の見下ろしアングルの中に私の胸も視界に入るでしょ……?


「何でもない」

「えー、そこは言ってよ。落ち込むじゃない!」


 困らせるようなことを言っている自覚はある。意地悪な私。


「いいかい、アイリス嬢。淑女とは、みだりに下着をちらつかせるものじゃない、って言葉がある」

「下着は見せていないわ」


 そういう意味ではないのはわかっていて、敢えて私はそう言った。


「嫁入り前の女性が、みだりに異性を誘惑するものじゃないってこと」

「誘惑……?」


 私は意外そうに振る舞う。


「私、あなたのちょっとした仕草に誘惑されているのだけれど……それについてはどう思う?」

「……それは問題だな」


 アッシュは自身の顎に手を当て、真面目に考え込む。その顔、素敵。


 でもそうね。そこまで真剣な顔をされてしまうと、困るわね。私もからかい過ぎたわ……。


「いっそ、付き合ってしまうか?」


 真顔でアッシュはそんなことを言った。これには私がビックリさせられた。


 大丈夫? 私、一応、王子様の婚約者なのよ? いくら王子様とメアリーがくっつくのが理想と言ったとはいえ、世間的には不倫、じゃなくて、寝取るとか、そういう――。


「……」


 あ、この男、いま私をからかったわね。目が笑ってるわ。ふん、そっちがその気なら――


「あら、まだ付き合っていないつもりだったの?」


 私はドレスの裾をつまんだ。


「私、あなたを図書館デートにお誘いしたのに、気づいてなかった……?」

「忘れ物じゃなかったのかい?」

「何を忘れたのか、忘れてしまったわ」


 冗談を飛ばしながら、楽しい時間は過ぎていく。

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