第5話、ヴァイス王子とアッシュ
噂をすれば影がさす、とはいうが、まあ王子様とその連れの来訪は、ループで散々経験している。
メイドのモニカが王子とその友人をお通しし、私の部屋へ。私がソファーから立てば、メアリーもそれに倣った。
彼女にとっては、間近で見る初めての王子様なのだ。
「アイリス」
「ようこそ、王子殿下。ご機嫌麗しゅう――」
「よせ。俺と君の仲だ。ここで杓子定規な挨拶はいらない」
ヴァイス王子はそう返した。
長身に、金髪碧眼の王子様。それがヴァイス・オルトリングという男だ。絵に描いたような美形。その美顔に、心ときめかない乙女がいるだろうか?
私? 私は、もう慣れた。見飽きるくらいに。
「む、来客か……?」
王子はメアリーに気づいた。表情が硬いのがデフォルト。とにかく真面目な王子であり、外見に似合わず、異性との付き合いの噂がほぼないという堅物だ。
黙っていると怒っている、というか不機嫌そうに見えなくもない。そこがとっつき難い点なのだが、付き合うと案外優しいところがあって、可愛いのだ。
「彼女はメアリー。新入生だけれど、私の従者でもあるのよ」
ここに平民の新入生がいる理由としては、ちょっと苦しいかもしれない。だが構わない。
何故なら、メアリーを一目見たヴァイスは、ここで彼女に惚れてしまうのだから。それこそ、周りの声が聞こえなくなるくらいに。
不思議なもので、メアリーと一定距離に近づくと、攻略対象男子は彼女に注目ないし、好意を抱くようになっている。
これもゲームの設定を引きずっているのかはしらないが、ヒロインはあっさり美形男子から好かれるようにできているらしい。
さっそく、ヴァイスの視線がメアリーに釘付けになっている。声を掛けるまでこのままだが、私はそのままにしておく。
二人をくっつけようとしているのである。野暮なことはしないのだ。
だから、そのまちぼうけ時間を、王子の隣にいる男子――アッシュ・カルド君を見つめることに使う。
長身男子だ。栗色の髪に、碧眼の持ち主である。瞳の色はヴァイスによく似ている。
こちらもまた美形ではあるが、我の強そうな王子と違い、ずいぶんと落ち着いた顔つきをしている。
これで王子と同い年なのだが、何も知らずに見比べたら、きっとアッシュのほうが年上だろうって人は思うでしょうね。
黙っていれば優男なのだけれど、中身はなかなか……。
本音を言うと、王子様より、私はこちらのほうが好みかな。とはいえ、これまでのループでも、挨拶程度で実はそれほど交流があったわけではないので、実のところはよく知らないのだけれど。
アッシュの視線が私に向いた。私は見つめ返す。
前回までは、この場面も含めてあまりじっと見つめたことがなかった。時々、今までやらなかったことをやって新鮮な反応を試すことがある。
さあ、アッシュ、あなたはどう反応する? 人の目を見て話せ、などとよく聞くけれど、人間って相手の目を注視できる時間ってそれほどでもないのよね。
「あ、あの……」
ささやくような小声を出したのは、メアリーだった。
どうやら王子様の熱視線に耐えられなかったようだ。イケメンに正面から直視される経験がないかしら……なんて、意地悪は言わないわ。
私だって、最初はそうだったもの。イケメンは存在自体が反則なのよ。主にこっちの心臓に悪い。
少女の夢見る王子様への憧れを玩んで――!
仕方ないので、私は咳払い。時を動かす。
「さあ、ヴァイス様。お茶とお菓子がありますわ。お座りになって」
「あ、ああ、いただこう」
ヴァイスは柄にもなく緊張していた。いつもなら『マークス家のお菓子は美味い』などと世辞のひとつでも言ってくださるのだけれど。……今はそれどころじゃないみたいね。
私たちはテーブルを挟んで向かい合う。私とメアリー、王子とアッシュと組み合わせだ。モニカがお茶を用意するまでの間、私は言った。
「それで、ヴァイス様のお連れの方は、ご紹介いただけるのかしら?」
私はループを通して知っているけど、本来ならここが初顔合わせなのだ。ヴァイスは隣に視線をやった。
「あぁ、そうだったな。俺のい……友人のアッシュ。アッシュ・カルドだ」
「お初にお目にかかります、アイリス・マークス嬢。アッシュ・カルドと申します」
「ハルドラ・マークス侯爵の娘、アイリスです」
「お噂はかねがね伺っております。以後お見知りおきを」
「よしなに」
初めて会うとそのように振る舞う。
これまではあまり積極的に絡んだことがなかったのだけれど、聞いたところによると、この人、『赤毛の聖女』内では隠しキャラらしい。私はそれを知らなかったで、彼のエピソードやプロフィールについては、まったく知らなかったりする。
ヴァイスが口を開いた。
「アッシュは最近まで外国に留学していたんだ。だがこの度、我が国に戻ってきたので、この学校に編入になった」
「まあ、そうでしたの。では、これからよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、アイリス様」
まるで臣下のように、恭しく礼をするアッシュ。
ゾクゾクっと背筋が痺れた。くぅっ、こういうのズルイと思う。顔のいい男はこうも簡単にこちらの心を揺さぶってくるんだから。
私は王子様の婚約者なのよ? なのに、こうムズムズときてしまうなんて、いけないわ。
背徳の香り。
というか、今回は前回までのループと違って、純真な気持ちのようなものを感じた。ここまで心のこもった礼は初めてだった。……何か今までと違うことをしてフラグを立てたかしら?
アッシュが首をかしげる。
「どうされました? ……お顔の色が」
「!? ……いえ、何でもありませんわ」
初見だった頃、私は彼に赤面してしまい、固まってしまったのを思い出した。これは恥ずかしい。何十とループしてきているはずなのに、いまだときめいてしまうなんて。
侯爵令嬢たる者、常に冷静に。かつ優雅に、美しく、よ!
さて、婚約者が他の男にソワソワしては、普通はお怒りになるものなのだけれど、当の王子様は、先ほどからメアリーが気になっているらしく、こちらへの注意が散漫だ。
……気になる相手が違うのはお互い様ね。皮肉よ、皮肉。
お茶とお菓子がテーブルに置かれ、ティータイムの始まり。ヴァイスは慣れたように用意されたクッキーをつまむ。
アッシュはそれを確認した後、それに倣った。彼の端正な顔に軽い、驚きが浮かぶ。
「これは、美味い!」
「だろう?」
何故か得意げになるヴァイス。
「アイリスの家で作られた菓子は、我が王国でも先進的かつ、美食家どもも唸るほどだ」
「まあ、お褒めにいただきありがとうございます」
……ちなみに、いまあなた達が食べているクッキーは、私の手作りなのだけれど。
転生前の知識万歳。我がマークス家の躍進は、現代知識チートの賜物よ!
「これは王子が食べたいというわけだ……」
「おいおい、それでは俺がただの食いしん坊みたいではないか!」
「違うのですか?」
真顔で突っ込むアッシュ。このあたり王子の友人というのも頷ける。普通なら不敬にも取られかねないのだから。
朗らかな笑いが起こる。緊張していたメアリーも肩の力が抜けてきた。
初顔合わせは、和やかな雰囲気で進行した。うーん、お紅茶が美味しいわ!
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