第4話、ヒロインを下僕にする侯爵令嬢


 貴族寮の私の部屋。ソファーにゆったりと紅茶をいただく私。いつ如何なる時も淑女たれ。


 なおテーブルを挟んで、緊張しているのは、メアリーだ。まだ状況がわかっていないのだろう。無理もない。私はそれを責めない。何故なら経験済みだから。いちいち目くじらを立てない。


「紅茶、冷めてしまうわよ」

「あ……はい」

「ごめんなさいね。あの場を穏便に済ませるためとはいえ、女の子に魔法とはいえ腹パンはよくないわ」

「は、腹パン……」


 メアリーが微妙な表情を浮かべた。ちなみに、この世界の人間に『腹パン』という言葉は通じない。わからない、という反応をされないということは、転生者とみていいだろう。


 もっとも――


「驚いているのでしょう? 見たことも聞いたこともない貴族娘が現れて、シナリオにない展開になったのだから」

「シナリオ……?」

「乙女ゲームはお好き?」


 私の発言に、メアリーはハッとする。


「『赤毛の聖女』、私もプレイしたのだけれど、あなたもプレイ済かしら?」

「あ、あなたも転生者っ……だったり……?」


 恐る恐るといった感じでメアリーは尋ねた。


「ええ、そうよ。私はかつては日本人だった。会社務めだったのだけれど……あなたは?」

「わ、私は学生です。買い物帰りに、その、歩道に車が突っ込んできて……そのまま死んだみたいで」


 なんとまあ――私は思わず口元に手を当てた。それは不運だったわね。


「では軽く自己紹介しましょうか。私はアイリス・マークス。マークス侯爵家の娘。……入学式で新入生歓迎の挨拶をしたのだけれど。印象に残っているかしら?」

「も、もちろんです。とても綺麗で、素敵なスピーチでした」

「ふふ、お世辞でも嬉しいわ。あの時点では、あなたにとっては、私はモブだったのだけど、覚えてもらえてなによりだわ」


 乙女ゲーム『赤毛の聖女』では描写されないキャラクターだものね。


「おそらくあなたは、この学校にきて、あのゲームの舞台に転生したと確信したと思うけれど、あのペルダン少年のイベントはすぐわかったわよね?」

「はい、あまりにゲームの展開そのものだったので……」


 苦笑しながら、メアリーは紅茶をすする。


「でも、イベント通りだったとはいえ、あなたは介入しないという選択肢もあったと思うのだけれど」


 実際にもめ事があった時、周囲に人がいる場合、誰かが何とかするだろう、という思考が働いて、見て見ぬ振りをすることも珍しくない。


 たとえメアリーの中の人間が、これはイベントだとわかっていても、誰も助けてくれないとわかっていたのだから、出て行かないという道を選べた。


「そうなんですけど……。何か嫌だったんですよね」


 考え深げにメアリーは言った。


「あれって、ペルダンに屈するとバッドエンドになっちゃうじゃないですか。だったら、あのままにしていたら、あの子が不幸になっちゃうんじゃないかって思って……」


 お優しい娘だこと。でも、そういう娘なら、私も助けてあげたいと思うわ。


「イベント通り介入したのはよかったわ。ちなみにだけど、あそこであなたが介入しない場合、攻略対象が誰ともあなたと接触しなくて、寂しい学生生活を送ることになっていたわよ」

「そうだったんですか?」


 メアリーは驚いた。ゲームでは介入しないの選択肢がないので、わからないだろうが、私のループ歴の中には、勇気が出せずに見て見ぬ振りをしたメアリーがいた。その末路が、攻略対象と接点が発生しないという道だった。


 どうもあの不可避イベントで、貴族生に立ち向かったという事実が、攻略対象男子と接触するフラグになっていたのだと思う。


「あと、屈する選択肢は最悪だった。後日、執拗ないじめにさらされた上に、あいつに性的暴行までされてしまう……。まさにバッドエンドだったから」


 当然のごとく、メアリーは青ざめた。ゲームならあっさりテキストで流されてしまっても、ここでは実際に悲惨な目にあってしまうのだから、震えもするだろう。


「あの、アイリス様?」

「何かしら?」

「……アイリス様も転生者なんですよね? その、未来が見えるのですか? 先のことを明確に断言しているようですが」

「そのことね」


 私は、カップをソーサーに置いた。


「この世界は、『赤毛の聖女』に似た世界で、その出来事もあのゲームのイベントに沿って行動すれば、同じような未来を迎える。ここまではよろしい?」

「はい」

「もちろん、それだけで正確な未来を断言はできない。イベントに沿わなければ、未来も変わるのだから。でも私は、その違う未来も大体のところは把握している。何故なら、ループしているから」

「ループ?」

「そう。『赤毛の聖女』のエンディング手前から、スタート地点を延々とね」


 私は、これまでのループをかいつまんで説明した。何度も繰り返していれば、経験が重なり、いつ何が起こるのか大体理解できるようになる。


「でも、ここで大きな違いがある。まずは私、アイリス・マークスという存在。そしてもうひとつは、ゲームのプレイヤーであるメアリー・ロウウィン、その中の人間」

「わ、わたし、ですか?」

「そう。私は何十回とループに囚われているけれど、不思議なことに、あなた――正確にはメアリー・ロウウィンの中身が変化していること」

「……?」

「あなたは自分が学生と言ったわね。そして今回、私に会うのが初めてよね? でも私のループの中のメアリー・ロウウィンは、社会人だったり、引きこもりだったり、年齢にもバラつきがあるの。中には、私と同じく数回ループを経験した子もいたわ」

「ループを経験した子も……?」

「ええ、昼間、私があなたを助けたでしょう? ループした子は、すぐに私の元にきて、前回ループの話をするのよ。それでああだこうだと、次はどう進めるべきかと話し合うの」


 ただ――


「毎回そうじゃないのよね。私は延々とループしているけれど、あなたの中身の子は消えてしまう」

「き、消える?」

「そう、理由はわからないけれどね。あまりよい結果じゃなかった場合や、ループに萎えてしまった場合が特にそうなるみたい。私と違ってループから脱出できたのならいいけれど、そうは思えないのよね……」


 メアリーはうつむいた。怖がらせてしまったが、事実として伝えねばならない。私はソファーから腰を上げると、向かいのメアリーの隣に移動した。


「大丈夫よ。学校生活は、あなたにとっては中々ハードではあるのだけれど、私ができるだけ助けるわ」

「アイリス様……」

「まだループを抜けられる保証はないけれど、もし抜けられた時にハッピーエンドが迎えられるように、あなたにも幸せになってもらわないとね」

「ありがとうございます! ……でも」

「でも……?」

「わたし、アイリス様の下僕なんですよね……?」

「建前上はね。私がああ宣言しておけば、貴族生もあなたに下手に嫌がらせもできないわ」

「そのための下僕なのですか?」


 驚いた顔をするメアリー。私は微笑した。


「ええ、できるだけ、私のそばにいられるように、ね。……ちなみに、あなた、ヴァイス王子をどう思う?」

「素敵な人だと思います。ゲームの話ですけど、わたし、金髪王子様が大好物なので」


 照れ笑いを浮かべるメアリー。うん、ゲームパッケージのメインだものね、あのイケメン王子。


「ならよかった。王子は私の婚約者ということになっているから、私のそばにいれば自然と接点ができるわ。あなたが王子とハッピーエンドを迎えられるように手伝ってあげる」


 考えようによっては寝取られになるのかしら? まあ、ゲームでは、そんな表現をした人いなかったから大したことではない。


「それに、もうそろそろよ」

「何がですか?」

「噂の王子様が、この部屋に来るのよ」


 ちなみにやってくるのは王子様だけでなく、もうひとりイケメン君と来るのだけれど。

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