30 甘い宴

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ラシードは逮捕され、イソベルは他国へ嫁がされた。破壊工作は無事回避された。ユーセフはジェニファーにお礼だと晩餐に招く。


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 ラシードはジェニファーを拉致し監禁したかどで捕まった。また花火の一件でも、携帯電話の通話記録からエナジー・スターのライバル企業との結託が明らかになり、共謀者の自白もあったことから、こちらはもっとはるかに大きな罪である反逆罪とみなされた。

 だが、第1夫人の侍女の功績もあったことで、表向きは30年にわたる国王への忠心をかったという形で蟄居という形の引退となった。くわしい事情を知らなかったとはいえ、イソベルも加担したことになり、大あわての両親が謝罪におとずれ、イソベルはより戒律の厳しい国の末王子との縁談が急遽とりまとめられ、国から追い出される形となった。

 こうしてプラント建設プロジェクトへの破壊工作は無事に回避することができた。だが、長年ラシードを信頼し、重用してきたアブラハム国王は大きな衝撃を受け、忠臣の裏切り行為に深く傷ついた。ユーセフ王子はそんな父親を気づかい、ともに過ごす時間を増やしていた。ジェニファーはユーセフ王子のやさしさを知って、自分の心まで温まる思いがした。

 事件のほとぼりが冷めたころ、ユーセフは国家の大事業を陰謀から守ってくれたお礼だと言って、車を1台ジェニファーに贈った。砂漠を運転したいと願っていたジェニファーにも、これで頼もしい足ができ、シャスヒ王国での滞在はぐんと過ごしやすいものになった。実際、今度の騒ぎで本社側もジェニファーの駐在期間をひと月延ばしたので、車は実用的でありがたい贈り物だった。

しかし、ジェニファーをもっと喜ばせたのは、ユーセフが招待してくれた宮殿での私的な晩餐だった。


 宮殿のダイニングルームは大きすぎるとして、ユーセフ王子は2階の執務室とは異なる棟にあるテラス付きの部屋に食事を運ばせた。この部屋のテラスからは遠くに砂漠がのぞめた。むろん夜になってしまえばここからはなにも見えないが、日没前後の魔法の時間にこのテラスに立てるよう、王子は時間を設定した。

 宮殿内の部屋と同じく、この部屋も高いドーム形の天井と柱や壁に施された精緻な彫刻がすばらしい。ここはユーセフ王子の今は亡き祖母である前王妃が好んで使っていた部屋だ。

 食事は、辛みの効いたトマトのスープや温サラダ、羊肉の串焼きやクスクスといったなじみのあるものに加えて、めずらしいアラビア料理が何皿も並んだ。どれもとてもおいしく、ジェニファーはすっかりくつろいで王子と囲む食卓を楽しんだ。

「子どものころにはどんなことをしていたのですか?」

 メインのコースが終わって給仕係が皿を片づけると、ジェニファーは話題を振った。

「わたしは祖父が大好きで、よくいっしょに砂漠へ連れていってもらっては、鷹を仕込むのを手伝っていた」

 王子がナプキンで口を拭いながら言った。今日の王子はいつか見た生成りに茶色の模様の入ったカフィーヤをターバン風に軽く巻き、端を茶色いトーブの肩に垂らしている。どうやらこのかぶりかたが好きらしい。ジェニファーもこの巻きかたがとりわけ気に入っていた。

 ジェニファーは床まで届く丈の空色のシルクのスカートに胸のあいた白いキャミソールを着ていたが、上から薄手の上着をはおり、露出する首から胸もとは頭からかぶった大判のスカーフで覆っている。

「セナのほかにも、祖父から受け継いだ鷹の子孫や人からもらったものもいる。そういえば、この前、血統のいい子が1羽生まれた。まだおちびさんなのに戦闘意欲は満々なんだ。まだ名前がなくてベイビーと呼んでいたんだが……」王子は急に言葉を切って、小さく笑った。「ジェニファーと名づけることにしよう。きみの功績にあやかって」

 ユーセフがジェニファーににっこりほほ笑みかけた。


 西の地平線に夕日が沈みはじめるころ、ジェニファーはユーセフと並んで、テラスに立った。薄いオレンジ色の太陽が地平に顔を埋めていくにつれ、何色もの繊細な光の層を綾なす紅の織物を広げたようになった。

 今夕の落日はまた格別だった。

 ひとつには、テラスの手すりに置いた右手にユーセフ王子がそっと手を重ねているせいもある。大きな手の心地よい温もりが腕をつたってジェニファーの胸の奥深くまで染み入るようだった。ジェニファーは胸をどきどきさせながら、そっと王子の横顔を盗み見る。ジェニファーはユーセフの頬に触れてみたいという衝動を懸命にこらえた。触れてみたいのは、すっと伸びた上品な鼻筋、そしてくっきりと輪郭を描いている美しい唇にも……。

「そんなにわたしを見つめていると、日が沈む瞬間を見逃してしまうだろう」

 ジェニファーはユーセフの言葉にかっと頬が熱くなったが、視線をはずすのはいやだった。

 どうしたの。

 お守りがわたしを後押ししているのだろうか。

 ユーセフ王子といっしょにいられる一瞬、一瞬を思い残すことなく味わいたかった。やがて別れなければならない人だから……。

 夕日はほとんど沈み、今では大きな輪のてっぺんだけがわずかに顔をのぞかせている。紅の空は深みを増し、やがて最後の残光が消えると、地平線は濃い青の世界へと変わっていった。

「きみの瞳の色のようだ」ユーセフがつぶやくように言った。「寒くはないか?」

 ユーセフはジェニファーのほうに体を向けると、重ねていた手でジェニファーの手をとり、親指でブレスレットをやさしくなでた。革ひもからはずれてジェニファーの肌に直接、親指が触れ、ぞくぞくする快感がジェニファーの体に走った。

「寒いわ」

 そう言うと、驚いたことにジェニファーは自分からユーセフの温かな胸に身を寄せた。大胆な……それともユーセフがそっと彼女の手を引き寄せたからだろうか。気がつくと、ジェニファーは彼の長い腕に抱きしめられて体をすっぽりと覆われ、胸にぴたりと頬を押しつけていた。

 ユーセフの鼓動がジェニファーの耳に響き、それに共鳴するようにジェニファー自身の心臓が大きく打った。

「ああ、愛しい人……きみが行方不明になったと聞いたとき、わたしにとってきみがどんなに大切なのかを確信した」

 ユーセフはうめくように低くささやくと右腕をはずし、やさしくジェニファーの顎に手を添えて顔を上げさせた。左の腕にぐっと力がはいり、ジェニファーの体をさらに自分に惹き寄せる。

 黒曜石の目がきらめきを増し、じっとジェニファーを見つめた。

 まぶたがなかば伏せられ、唇がジェニファーの口もとのすぐそばまで迫った。

 やがてユーセフ王子の唇がジェニファーの唇をかすめ、ジェニファーの喉から知らず知らず甘いため息がもれた。それを待っていたかのようにユーセフは唇を重ねた。はじめは問いかけるように、そしてしだいに大胆に。舌の先で唇を軽くなぞられ、思わず薄く唇がひらいたとき、舌が差し入れられた。先ほどのためらいはいっさいなくなり、ときにじらすように、ときになぶるように、ユーセフは舌をからませ、ジェニファーの口づけをむさぼった。気がつくと、ジェニファーは両腕をユーセフの首にまわして同じくらい熱烈にキスを返していた。膝から力が抜けて体が滑りおちそうになると、ユーセフが腕に力をこめてジェニファーの腰を支えたので、ヒールが床から浮いた。

「ああ、ジェニファー、きみを離したくない」

 2人のからだは、これ以上ないくらいにぴたりとおさまっている。

「ユーセフ王子、わたしも――」

 唐突に、ユーセフ王子が体をもぎ離し、ジェニファーを床におろした。

「ユーセフと呼んでくれ」

「ユーセフ……」

 ユーセフの熱いまなざしとかすれたセクシーな声を浴びるまでもなく、ジェニファーの心はもうとっくに蜂蜜のように溶けている。背中にまわされていた彼の腕がなくなったのが寂しく、その温もりなしには片時もいられないほど体も高ぶっている。ジェニファーはなにも言わずにふたたびユーセフの胸に飛び込み、口づけを求めた。ユーセフはそれ以外の答えは望んでいないようだった。

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