29 愛する人を守る

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地下室には誰もいなかった。砂漠に、ジェニファーを人質に逃亡しようとするラシードを見つけた。ユーセフは鷹を放つ。


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 階段をかけおりて鍵のかかっていたドアを思い切り蹴破ると、地下室はすでにもぬけの殻だった。だが、そこに落ちていた靴の片方はあきらかにジェニファーのものだ。ユーセフは上階に駆け上がり、ふたたび侍女に問いただした。

「ラシードはいないぞ!」

 おびえる侍女は首を横に振るばかりだ。

「わたくしには、これ以上のことはわかりません」

 騒ぎに気づいて逃げたのかもしれない。その時、あとから指示して追いかけて来た上空のヘリコプターから携帯に連絡が入った。

「交信願います」

「了解。どうした」

「屋敷裏から人が2人出て来ました。まだ遠くてよくわかりませんが、たぶん男女で、1人はしばられているのか、片方に抱え上げられてジープに乗せられています。裏手から砂漠方面に逃走する気かもしれません」

「よしっ! 見失わないようにしろ。攻撃はくわえるな。人質の無事な保護が最優先だ」

「了解しました!」

 ユーセフたちは大急ぎで表の車に戻ると、屋敷の後ろへと向かった。すでにはるか彼方にオープンのジープが遠ざかるのが見える。ジェニファーの金色の髪がちらりと光った。

 ユーセフたちの車では、あちらの砂丘に乗り入れても、すぐにはジープに追いつけない。ヘリで行方は追いかけられるが、追い詰められたラシードがジェニファーに危害を加えないとも限らない。

「ユーセフ王子、いかがなさいますか?」

 部下たちも同様の懸念を顔に浮かべている。その時、セナの鋭い鳴き声がした。自分の出番だというように。そして、砂丘を越えようとしている車から一瞬立ち上がろうとしたジェニファーの後ろ姿に、あのスカーフの色が見えたような気がした。

 いちかばちか、賭けてみよう。

 ユーセフは防具ごとセナを腕にとり、指示をささやいた。

「行けっ!」

 ユーセフが大きく腕を空に差し出すと、鷹は一気に空を駆け上がり、大きく旋回したあと、獲物を見つけたかのように、一直線に飛んで行った。


 焦る気持ちのまま、ラシードは車を駆っていた。くそう、こんな女さえいなければ、計画がばれることなどないのに。欲深く愛人にしようとしていたことなどすっかり忘れ、ジェニファーを砂漠で亡き者にしてしまおうと、いまのラシードは考えていた。うまくやれば二度とみつかることはない。

 こちらをちらちら見るラシードの視線は、先ほどまでのいやらしいものではなく、恐ろしいほどの冷たさだった。ジェニファーは、このままではまずいと思い、大きく揺れる車の座席に身をたおしつつ時機をうかがった。さいわい、しばられた手の結び目はじょじょにゆるんできている。ジェニファーはラシードに気づかれないよう、じりじりと結ばれた手をはずしていった。

 いきなり、黒いかたまりにラシードは視界をはばまれた。

 大きな何かが鋭いかぎ爪とくちばしで攻撃をしかけてきたのだ。驚いたラシードはやみくもに腕を振り回し、座席から立ち上がりかけた。いまだ! ジェニファーは体ごとラシードにぶつかっていった。

「な、なにを! うわああああ」

 ラシードは車から転がり落ちた。うまく腕がほどけたジェニファーは、すばやく運転席に移動すると、安全な距離をとろうと車を走らせた。

 焦らないのよ、ジェニファー。砂漠で運転したことなどないのだから、ゆっくりゆっくり……。

 先ほど襲って来たのは鷹だった。かなりはなれた砂丘に着いて、街のほうへと方向転換すると、車から転がり落ちたラシードの上に鷹がとまり、動こうとすると威嚇しているのが見えた。

セナだわ。

ジェニファーの胸に熱いものがこみ上げて来た。

 見ると、砂漠の向こうから2台の車がこちらめがけて疾走してきている。

 ユーセフの目に、砂漠にラシードらしき人物がたおれ、セナが甲高い声をあげているのが見えた。だが、いまはジェニファーが優先だ。

 心得ているもう1台の部下たちは、すぐにラシードのところに車を向けて飛び降り、銃を向けた。「動くな!」

 ラシードは鷹に乗りかかられたまま、あきらめたように動かなくなった。


「ジェニファー、無事か!」

 車に乗ったまま待っていると、ユーセフの車が追いつき、声をかけた。

「無事です、王子」

 ユーセフは車から走り出てジェニファーに大股に近寄ると、周囲の目も気にせず、車からジェニファーを抱き上げて無事を確かめるように抱きしめた。そして、はっとしたようにその腕をゆるめ、ジェニファーの全身を軽く叩いてケガはないか確かめていった。そして、ようやく無事を確信すると、もう一度ジェニファーをしっかりと抱きしめた。

「よかった、ほんとうになにごともなくてよかった。もう二度とこんな危険な目に遭わせたりはしない。今度こそ本当にきみを守れなかったらと思ったら生きた心地がしなかった」

 ユーセフはそこでちょっと言葉を切り、体を引き離してジェニファーの顔を見た。

 ジェニファーの顔は真っ赤だ。

「また迷惑をかけてしまったわ、ごめんなさい」

「迷惑などではない。まったく、あいかわらず美しく強情な女だ。だが頼む、これからは気づいたことがあれば、真っ先にわたしに言って欲しい」

「はい」

ジェニファーは顔を赤くしながらも答えた。


 ラシードは、引き起こされて後ろ手にしばられてひざまずかされ、ユーセフ王子と4人の部下に取り囲まれた。鷹は防具ごと部下の手にあずけられ、ラシードに鋭い目をむけている。ジェニファーはその後ろに隠れていた。

 ラシードがうなるような声をもらした。

「ラシード、なんというばかなまねをしでかしたのだ?」

「ばかなことをされているのはどちらでしょう、殿下。この女は災いのもとです。こんな女を信じてはいけません」

「殿下、ラシードは花火に見せかけ、プラントを爆破しようとしています」

ジェニファーが叫んだ。

「黙れ、この!」

動きがとれないながらも、ラシードは抵抗しようとした。

「ラシード、おまえが陰謀をたくらんでいたことはわかっている。観念したらどうだ」

「なにをおっしゃるんです殿下、証拠もないのに。30年間、王国のために働いてきたわたしの言うことよりも、この女の話を信じるのですか。いくら美しいからといって、王子たるもの女の色香に惑わされてはいけません」

「ラシード、色香に迷っているのはおまえのほうだ。頭を冷やせ。いい年をしてみっともない。いい加減、目を覚ましたらどうだ」

 ラシードの顔が興奮で真っ赤になった。大きく胸をふくらませ、腕がぶるぶる震えている。

 部下の隙をとらえ、ユーセフへと突進しかけたが、あっさりとユーセフに喉を締め付けられながら引き倒された。一国の王子とは思えない、あまりにも素早い動きにジェニファーはあっけにとられた。護衛の者達も手を出そうとはしない。

「ご無事でしたか」

護衛のひとりに声をかけられたジェニファーは抗議した。

「王子が心配じゃないの?」

「ああ、心配なのはラシードのほうですよ。王子は幼い頃からありとあらゆる格闘技を身につけていますからね。わたしたちでも、うかつには挑みません」

 目を丸くしているうちに、ラシードはすっかり観念するしかない状況となっていた。

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