27 ラシードの誘い

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ジェニファーはようやく意識を取り戻し、見知らぬ地下室に監禁されていることに気づく。ラシードが現れて好色な目を向け、ジェニファーを監禁したままにすると脅かす。


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 猛烈な空腹感をおぼえて、ジェニファーは目を覚ました。ぐっすり寝たという充足のため息をつきながら、ゆっくりと目をあける。ところが開いた目の先は、まるでもやがかかっているようだった。1度、2度とゆっくり瞬きした。それでもあいかわらず、なんだか薄布を通してものを見ているように、視野がふさがれている。そういえば、頭や背中がベッドに当たる感じも、ホテルで朝を迎えたときとはまったく違っている。

 両手の指先をまぶたにあてがい、そっと押してから手を離した。さっきより大きく目を開こうとして、目をぱちぱちさせた。すると、今度ははっきりと薄いカーテンが見えた。ジェニファーは驚いて、そろそろと身を起こした。ベッドというより寝台と呼ぶほうがふさわしい寝床のまわりに、淡いラベンダー色の薄衣がめぐらされている。寝台の上は色とりどりに何枚ものやわらかな織物が敷かれ、クッションで敷き詰められている。薄いカーテンをおそるおそる両手で開いてみると、見たことのない部屋にいた。ここはどこ?

 にぶい頭痛をこらえながら寝台からおりようとして、自分が裸足なのに気がついた。いや、靴だけでなくストッキングすらはいておらず、ゆったりとしたショーツから膝小僧が見えているのを見てぎょっとした――えっ、ショーツ? ブラウスも、ショーツとおそろいの生地でできたチュニックに代わっている。下着だけは朝、自分が選んだものだったのでほっとした。これはいったい、どういうこと? 

 ジェニファーは寝台からおりた。素足にやわらかな絨毯が触れた。小さなふた間続きの空間で隣室とはアーチ形にくり抜かれた壁で仕切られている。四方の壁はすべて彩色タイルで覆われ、しかも壁の上下で模様が異なっている。そして奇妙なことに、この部屋には窓がなかった。隣室で香が焚かれているのか、ほのかに甘い香りがする。

 ゆっくりとジェニファーの記憶が戻ってきた。宮殿を出たところで話しかけられ、なかば無理やり車に乗せられたのだった。乗り込んでみるとシャリファはおらず、国王陛下の指示だと言われてしまった。使いの者がていねいな物言いだったので、とりあえずおとなしく従うことにしたのだ。しばらく走ると豪華な屋敷の門をくぐった。玄関からホールに通されて、広間で待たされた。そう、噴水があって、天井の高い広間だった。それからベールで顔を隠した女の人が飲み物を持ってきた。あの女の人の目にはどこか見覚えがあった。あのいやな目つきには……そして……急に眠気をもよおした……。どう考えても自然な眠りではない。

 ここは国王陛下の王宮なのだろうか? なぜわたしを眠らせる必要があったのだろう。しかも着替えまで。

 ベッドのそばに小さな丸いテーブルと小ぶりのソファが置いてあり、背にジェニファーのスーツの上下がかけられていた。ソファには、きちんとたたまれたブラウスとストッキング、その横にバッグも置いてある。急いでバッグを取り上げ、携帯電話を探した。手になじんだいつもの電話機を探し当て、取り出してみると、しかし、無残にも壊されていた。ジェニファーはドアを探した。アーチの向こうにそれらしきものが見えた。おぼつかない足取りで駆け寄って、ノブに手をかける。ノブはかちかち音をさせて小さく動くだけで、ドアはびくともしなかった。

「まさか」ジェニファーはつぶやいた。閉じ込められている……。嫌な汗が背中をつたった。わたし拉致されたんだわ。

 ばらばらだったパズルのピースが一気に形を現わしはじめた。ラシードにちがいない。たぶん、わたしが耳にしてしまった電話の内容は、思い過ごしではなく、ほんとうのことだったのだ。そして、おそらくわたしがあわててエリックに伝えているのを、逆にラシードは耳にしてしまったに違いない……。

 自分のうかつさに、ジェニファーは歯がみした。

 たいへんだわ。ジェニファーははっとして手で口を覆った。それなら、ほんとうにラシードはユーセフ王子の誕生日に祝いの花火といつわり、建設中のプラントに爆薬を仕掛けようとしていることになる。

 ジェニファーは胸の前で両手をもみしだきながら、部屋のなかを歩きまわりはじめた。王子の誕生日まではまだ1カ月近くあると、シャリファから聞いている。とにかくなんとかしてここを抜け出し、真実を伝えなくては。エリックは無事だろうか。エリックはわたしがいなくなったことと電話の話を結びつけてくれるだろうか。落ち着くのよ、ジェニファー。気を落ち着かせようと手首のお守りを探ると、そこには何も無かった。

 あわててソファに戻り、バッグのなかを探す。何度探しても、ボルダーオパールのブレスレットは見つからなかった。どこでなくしたの? それとも、はずされてしまったのか。膝から力が抜け、その場に座り込んだ。そもそも、ここにいることが誰にもわからなければ、誰も助けに来ることなどできはしないだろう。


 呆然と座りこんでいると、ドアの向こうで鍵がまわる音がした。ジェニファーははっとして顔を上げた。ドアが静かにあき、入ってきたのは、やはりラシードだった。たっぷりと尻の下まで覆う丈の長い長袖の白いシャツに同じ素材のズボンをはいている。頭にはいつものようにカフィーヤをかぶり、無造作に背中に垂らしている。明かりのせいか、妙に顔が赤く見えた。

「これはこれは、ようこそ、マイレディ、わが家へお出でくださった」

 マイレディ? その言い方に不吉なものを感じ、ジェニファーは身がまえた。

 ラシードはいやな笑みを見せながらアーチをくぐり、ジェニファーのいるテーブルのそばまで歩いてくる。ジェニファーの素足がショーツの下からむきだしになっているのをめざとく見つけ、にやけた口の端がいっそう高く持ち上がった。

 ジェニファーはあわてて立ち上がると、ソファのうしろへまわり込んだ。

「自分の意思で来たわけじゃないわ。あなたが無理やり連れてきたんじゃないの。国王陛下の指示だなんて嘘をついて。卑怯者!」

「おや、たいそう威勢がいい」ラシードが眉をつり上げる。「だが、わたしは嘘をついた覚えはない。なにかの勘違いではないだろうか」

「あなたの言いつけでしょう、わたしを車に乗せたのは?」

 ジェニファーはこぶしを握りしめた。その時、急にあのいやな目つきの女の正体が頭に浮かんだ。

「イソベルね! わたしにおかしな薬を飲ませたのは! 許せない!」

 ジェニファーの目に怒りの炎が燃え上がった。

「証拠はあるのかね、ジェニファー」

 おやおや、この女は思ったより頭の回転がいいようだ。勘のいい女はだめだ。なおさら外に出すわけにはいかない。落ち着きはらった態度でラシードは考えた。

 ラシードに名前を呼ばれて、ジェニファーの背筋に寒気が走った。ラシードは一歩前に進むと、ソファの上からジェニファーのパンティストッキングをつまみ上げ、しげしげと眺めた。

「おまえがだれかにだまされてここに来たのだとしても、わたしがだましたという証拠はない。いずれにせよ、そんなことはどうでもいい。おまえがここから出られるという保証はないのだから。なにをどう言おうと、わたしのほかにそれを耳にする人間はいない」

 ラシードは愉快そうに声をあげて笑った。

「わたしをどうするつもりなの?」声が震えませんようにと祈りながら、ジェニファーは言った。「わたしをここに連れて来たのは、あなたにとってなにか不都合なことをわたしが知っているからかしら?」

「そうか、おまえはなにか知っていると言うのかね。じつは、是非とも尋ねてみたいことがあったのだが、どうやら今の言葉でその手間が省けたようだ」

 ジェニファーは唇をかんだ。罠にはまってはいけない。逆にもっとこの男から情報を引き出さなくては。そうすればそれを王子に伝えられる。無事にここを出たときに。負けてはだめよ、ジェニファー。絶対にここから出られると信じなさい。

「わたしが知っているのは、どうやらあなたがユーセフ王子の誕生日にお祝いの花火を上げようとしていることだけよ。それがなぜあなたにとって都合が悪いことなのか、さっぱりわからないわ、ラシード」

 ジェニファーは髪を軽く揺らしながら目を伏せてから、せいいっぱいあどけない表情をつくってラシードを見上げた。

 ラシードは、作戦を変更したジェニファーの顔を疑わしげに眺めた。それから、なめるような視線をゆっくりと胸から腰へ、腰から脚へとおろしていく。ジェニファーは震えが走りそうになるのを懸命にこらえた。

「女は、よけいなことはわからずにいるほうがいい。女は男の喜ばせかただけを知っていればいいのだからな。ところで、おまえをどうするつもりかという質問だがね、それにはふたつの選択肢がある。ひとつは、わたしに協力し、わたしの提案をのむことだ。そうすれば、おまえはふたたび外に出られるようになる。ただし、ユーセフ王子の誕生日を祝ってからだがな」

 ジェニファーがしゃべろうとすると、ラシードが口を引き結んで首を振った。

「男が話しているときは、黙って聞くものだ、ジェニファー。もうひとつの選択肢は、わたしへの協力を拒み、残りの人生をずっとこの地下室で暮らすというものだ。もちろん命を奪ったりなどはしない。だが、その美しい体はいつでもわたしの好きなときに味わわせてもらおう」

 ラシードは舌なめずりせんばかりにジェニファーをねっとりとした目で見つめた。

 ジェニファーは、思わすあとずさった。「それで、提案というのは?」

「おお、やはりそちらのほうが興味を引いたようだな。提案というのは、おまえがわたしの愛人になることだ」顔色を失ったジェニファーのことなど気にせず、ラシードは話しつづけた。「わたしに操を立て、わたしの妻たちと仲良く、ここで暮らしてもらおう。もちろん、イスラム教の教えに従って、ほかの男と接触することはあきらめてもらわなければならないが。すなおに協力を約束してくれれば、じきに外出も許可しよう」

 ジェニファーはまずショックで血が引く思いを味わい、次に怒りで頭に血がのぼった。なんといまわしい男だろう。どちらの選択肢も意味は同じだ。こんな男に抱かれるくらいなら死んだほうがましだ。

「まあ、ゆっくり考えることだ。時間はたっぷりある。おまえの世話は侍女のゼイナブに頼んである。朝食をここへ運ばせよう。しばらくゆっくり休むがいい」

 ラシードはジェニファーの答えを待たず、さっさとドアのほうへ歩いていった。

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