26 ジェニファーを捜せ!

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翌朝。ユーセフのもとにエリックから緊急の電話がかかってきた。報告会の後、ジェニファーが行方不明になったというのだ。エリックはさらに、ラシードが不審な電話をしていたこと、プラントに破壊工作が仕掛けられているかもしれないことを告げる。


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 ユーセフ皇太子の執務室は南向きに大きな窓があり、小さな屋根のあるテラスに出ることができる。テラスからは手入れの行き届いた庭園と、その向こうの丘の下に広がるディルムンの街をのぞむことができた。高い天井アーチの一部はステンドグラス風の明かり取りの窓がはめこまれ、朝と午後とで異なる方角からたっぷりと日が差し込む。午前8時。ユーセフは執務机に向かっていた。

 昨日は実り多い一日だった。朝いちばんでアメリカ駐在の大使から国際電話が入り、急ぎの要件を片づけなければならなかった。そのあと午後にはプラント工事の報告があった。幸い、建設工事は余裕をもってスケジュールをクリアできるほどのペースで進んでいた。エリックとジェニファーが提案した改良点は非常に建設的かつ効果的な内容だったし、エナジー・スター本社での検証の結果を待ってから新たに計画に取り込むことで合意した。

 ジェニファーとは、仕事の話しかできなかったが、またあらためて乗馬に誘おうとユーセフは考えていた。2人のあいだにあるものが、こちらの一方的なものなのか、それとも先へとつながるものなのか、今一度たしかめたかった。今日は早めに執務を終えてプラントに行こう。昨日の報告点を確認し、そしてジェニファーを週末の乗馬に誘おう。

 昨日はミーティングのあとに、各省の閣僚たちとのミーティングが立て続けに入っていた。そういえば、ラシードに落ち着きがなかったが、なにかあったのだろうか。父の時代から忠臣として骨身を惜しまず働いてきた有能な男だ。だが女関係に弱く、すでに第4夫人まで養っている。宰相とはいえ、4人の妻と子供たちを養いながら決して質素とはいえない暮らしを維持するのはたいへんなはずだが、夫人のなかに仕事をしている者もあり、どうにかやりくりしているらしい。それにしても、今日のラシードはいつにも増して、そわそわしているように見えた。頻繁に携帯を調べては、別室に移動してなにやら話し込んだり薄笑いを浮かべたり……。近いうちに彼の状況を確認する必要があるかもしれない。

 ふたたび書類に向かったところ、携帯電話が鳴った。ユーセフの番号を知るのはごく一部の人間に限られている。不審に思いながら発信者名を見ると、エリック・ラスティンだった。エリックには〝緊急連絡用〟としてこの番号を教えてあった。ということはプラントで事故でもあったのか……。急いで通話ボタンを押した。

「ユーセフだ」

「あ、エリックです。突然、お電話してもうしわけありません。じつは昨日の午後、ジェニファーと別れてから、まったく連絡が取れないんです。殿下ならなにかご存じではないかと、思いあまってお電話しているしだいです」

「ジェニファー……ジェニファーになにかあったのか?」

 緊張したエリックの声にユーセフも身がまえた。

「昨日は進捗状況を報告したあと、ぼくといっしょに建設現場へ戻ることになっていたんですが、駐車場で突然、使いの者から声をかけられました。ジェニファーだけ別の車に乗るようにと一方的に告げて、有無を言わさず連れ去ったんです。前回と同じく、てっきりシャリファ様のご用事かと思ったんですが、いまだになんの連絡もありません。携帯もつながらないようです。こちらからシャリファ様に連絡しようにも、直接の連絡先を知らないし、ちょっと召使いの様子も強引すぎた感じもして、どうにも気になって……。シャリファ様はジェニファーにどんなご用事だったのでしょう? ジェニファーが今どこかご存じありませんか?」

 興奮気味に早口でしゃべるエリックの声に耳を傾けるうち、ユーセフの顔から血の気が引いていった。シャリファなら昨日の午前中に執務室に顔を出していた。そして、これから母と一緒に郊外にある叔母の家に泊まりがけで向かうと言っていた。夜に合流しないかと言われたが、仕事が重なっていて行けないと伝えた。だからジェニファーが一緒にいるはずはない。いやな予感がした。

「その使いの男はたしかにシャリファが呼んでいると言ったのか?」

「いえ、はっきりとは。なので、あとからよけいに気になったんです」

「どんな人間だった?」

「今まで会ったことのない男でした。白いトーブにカフィーヤをかぶっていて、顔はひげで覆われているうえに、サングラスをしていたので、残念ながら顔の特徴はよくわかりません」

「どんな車だったのか?」

 両親や妹の車ならすべて把握している。

「ニッサンの〈パトロール〉です。まだ新しい印象でした」

 ユーセフははっとした。この車の話をどこかで聞かなかっただろうか。フルスピードで記憶を巻きもどした。あれはたしか……。

 そのとき、エリックがおずおずと別の話を切り出した。

「じつは、気になることがあるんです。失礼ですが、今おひとりですか? もしどなたかいらっしゃるようでしたら、お人払いを願いたいのですが」

 エリックの声にただならぬ緊張を聞きとって、ユーセフは思わず背筋を伸ばし、開け放たれたままのドアを閉めに行った。

「だいじょうぶだ。執務室にはわたしひとりだ。今、ドアも閉めた。だれにも聞かれることはない」

「ありがとうございます。じつは昨日、建設工事の報告にうかがったときのことです。殿下を待っているあいだ、ジェニファーが回廊に出たところ、宰相が電話で話しているのをたまたま耳にして、その内容があまりにも奇妙だったので、思わず立ち聞きしたというんです」

 宰相という言葉で、ユーセフの記憶の歯車がカチリと音を立てた。つい最近、ラシードはまだ中東で発表されたばかりの新車を特別ルートで手に入れたと自慢していた。あれは、そういえばパトロールといった。

「ジェニファーが顔色を変えてぼくのところへやってきました。プラントの建設プロジェクトに対して破壊工作が企てられているというんです。宰相が電話で、殿下の誕生日に間に合わせろと相手に念を押し、プラントに花火を仕掛けるとか、破壊の加減がむずかしいといっていたと言うんです。ぼくは想像しすぎだと言って相手にしませんでした。しかし、今考えるとジェニファーは本当のことを言っていたのかもしれません」

 いやな汗が背筋をつたった。ユーセフは、落ち着きなく部屋のなかを行き来した。

「なんということだ。エリック、シャリファがジェニファーと一緒にいることはない。シャリファは母と泊まりがけで出かけているからだ。だが、ラシードならいろいろとつじつまが合う。たしかに、わたしの誕生日に花火を上げようという話は出ていた。つまり、その時にプラントに爆薬を仕掛ける可能性もあるということだ。ジェニファーが連れ去られたのもラシードの差し金かもしれない。だが、なぜだ? 電話を聞かれたことに気づいたのか?」

「ジェニファーがぼくに電話の内容を伝えているところを聞かれたのかもしれません」

「とにかく、ラシードに会って問いただしてみよう。きみはそちらで待機していてくれ。どんなかたちにしろ、ジェニファーからなにか連絡が入ったら、すぐにこの携帯に電話してほしい」

「わかりました。ジェニファーが見つかったら、ぼくにもご連絡いただけますか?」

「もちろんだ。とにかく、あとでまた連絡する」

 ジェニファーが行方不明になった。犯人はあの女好きのラシードかもしれない。

 ユーセフは荒くなった息づかいを静めようと大きく深呼吸し、知らずに握りしめていたこぶしにさらにぐっと力を入れた。それからふっと力を抜く。興奮で思考を乱してはいけない。冷静に対処しなければ。ラシードは、会議がなければ、いつもこの時間にはまだ家にいるはずだ。まずはラシードの屋敷にまっすぐ踏み込んでみよう。部下には武器を持たせたほうがよさそうだ。相手がなにを考えているのかわからない以上、乱闘になる可能性もある。

 ジェニファー。どうか無事でいてくれ。今度こそ、守れないということなど、決してないように。

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