23 王女と元花嫁候補との口論
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シャリファに誘われた集まりで、またしてもイソベルに出くわして嫌味を言われてしまう。怒ったシャリファはイソベルと口論になる。仲裁に入ったマージから、イソベルがかつてユーセフの花嫁候補だったと聞かされる。
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翌日の夕方、早めに仕事を終えてホテルにもどったジェニファーは、あざやかなドレスに身をつつみ、シャリファから借りた大ぶりなアクセサリーを身につけた。鏡に映った自分は、プラントにいるときの地味な姿とはあまりにも違っていて落ち着かない感じがした。
「大丈夫、今日は女性だけの集まりだもの」
露出の多いドレスに気後れしながらも、そう自分に言い聞かせると大きなヒジャブで全身を覆い、地下の駐車場へと急いだ。シャリファの迎えの車はすでに到着していて、車の前にシャリファが立っていた。昨日とは違う白い車で、王家の紋章はついていなかった。
「今日は公用ではないのかしら?」
車を見たジェニファーが乗りこんでからたずねると、シャリファは肩をすくめた。
「小さな反抗ってところね」そう言って、もの問いたげなジェニファーのほうに向き直った。「もちろん護衛は乗っているし、前後も護衛の車だけど、私用で出かけるときは、せめて目立たないようにしたいのよ」そう言いきると大きく息を吐いて、憂鬱そうに座席に沈みこんだ。
なるほど、王女は反抗期でもあるようだ。
「あーあ、早く留学したいわ」もう一度ジェニファーを見る。「ねえ、でも買い物だけを楽しみにしているなんて思わないでね」
少しだけジェニファーは、シャリファは留学より遊学したいのではないかと思っていた。それを見透かされたような気がした。
「何かしたいことがあるのかしら?」
少しのあいだシャリファは考えるようにしていた。
「そうねえ、恋と友情ってところかしら」
「え……」
ストレートな言葉に、一瞬ジェニファーはとまどった。
「冗談よ」高らかにシャリファが笑う。「もちろんそれもあればいいけれど、どちらかと言えば学ぶことに集中したいわ」
「ここでは難しいのかしら?」
「できないことはないわ。でも、刺激的かつ集中できる環境とは言えないわね。残念ながら」
オックスフォードでは国際経済論を学ぶというシャリファは、王族らしく、この国の将来を支える一員でありたいと語った。
「もちろん、結婚相手によっても関わり方は変わってしまうのだけれど」
「お付き合いされている方は?」
「まさか」シャリファはあきれたような顔を向けて来た。「運が良ければ好きになれる人と結婚できるかもしれない。でも、あまり期待していないの。お父様は頭がかたいから、私の結婚相手は自分で選ぶつもりなのよ」
では、ユーセフの場合は? ジェニファーはのどまで出かかった言葉を飲みこんだ。
どこかで予期していたものの、着いてみると、そこは美容界の大物マージの邸宅だった。先日のイギリス大使公邸のパーティよりもはるかにゴージャスなドレス姿の女性が、会場となっている広間いっぱいにあふれていた。男性は1人もいない。向こうのほうにはファティマの姿も見える。
シャリファが言っていたとおり、彼女が会場に姿をあらわすと、あっという間に数多くの女性たちに囲まれてしまった。誰もがシャリファと少しでも近しくなろうと積極的に話しかけてくる。
シャリファからは先ほどまでの憂鬱そうな表情は消え、王族らしい鷹揚な笑みを浮かべて優雅に人をさばいている。その姿は、さすがとしか言いようがなかった。
シャリファに悪いとは思ったものの、ぐいぐい人波に押しのけられ、気づくとジェニファーは壁ぎわでひと息ついていた。ふいに強い視線を感じた。顔をあげて見ると、奥のほうにいたイソベルがジェニファーにするどい視線をぶつけてきた。
敵愾心むき出しの視線。その視線を真っ正面から受け止めて、ユーセフとは何も無いと否定したかった。だが、先日のパーティ以来、2度もユーセフとキスをして(自分のせいでないとは言え)、さらにはユーセフへの思いにも気づいてしまった。言い訳などする必要はないのに、なぜか気まずく、イソベルの視線を受け止めることができなかった。
そして、あの日からすっかり変わってしまった自分の心がうらめしかった。
「ジェニファー! 来ていたのね」
相変わらず人をなごませてくれる、明るい笑顔のナーヒードが話しかけてハグしてくれた。
「ナーヒード、久しぶり! 会えてうれしいわ」
ハグを返し、明るい友の顔にほっとする。
「あれからどう? 少しはこの国にも慣れて来たかしら?」
「ええ、体のほうはすっかり。あの時はお世話になりました」
「あら、医師として当然のことをしただけよ。人にも慣れたかしら?」
少しだけ意味深な表情で問いかけてきた。
ジェニファーは内心ではどきりとしながらも、平静をよそおって答えた。
「ええだいぶ、と言いたいところだけど、ほとんどプラントとホテルの往復だから、あまり人と知り合う機会はないのよ」
「あら、そうでもないんじゃない?」いつの間にかそばまで来ていたイソベルが、とげのある声で割り込んで来た。「アメリカ人は人に取り入るのがお得意のようだから」
今日もあでやかな赤と金糸のドレスに身をつつんだイソベルは、ジェニファーがシャリファに同行してきたことを言っているらしい。きつい視線を投げかけて来た。
「取り入るだなんて……」
悔しさに負けそうになりながらも、言葉を返そうとしたが、うまく言えそうにない。強引にシャリファに押し切られて、というと、いかにも自分が重要人物であるように見せかけているととられかねない。ジェニファーは言葉に窮した。
「あら、イソベル。ジェニファーには私がお願いして来てもらったのよ」
いつのまにか人波を抜けて近づいていたシャリファが、ジェニファーの腕をとる。
「そう、ならいいけれど、肌の白い女などあまり信用なさらないほうがいいのではないかしら」
「まあ、私にはあなたのほうが信用ならないけれど」
いきなり返された強い言い方に、イソベルの顔色が変わった。
「どういう意味なのかしら?」
相手が王女だということも忘れたように、けんか腰でイソベルが答えた。
「おおこわい、兄との結婚話があったころは天使のような姉として接してくださっていたのに」
シャリファの皮肉がとんだ。
「お忘れかしら。もちろん、今も話は進んでいるわ。でも、身内に正しい道を教えるのも姉としての義務でしょう」
氷のように冷たい声でイソベルが答えた。
「あら、あなたに正しい道を教えていただくつもりはないわ」
シャリファも引かない。
自分が原因なのに、なぜか両者が引くに引けなくなっていることにジェニファーは動揺した。
「あの……」
「あなたは黙っていて!」
「あなたには関係のないことよ」
その場をおさめようとしたとたん、2人に同時にかみつかれて、ジェニファーは黙るしかなかった。
「あらあらみなさん、楽しんでいらっしゃるかしら?」
ホストのマージがいさかいの気配を察して割り込んで来た。すぐにシャリファの手をとって優雅にお辞儀する。
「お越しいただいて光栄ですわ、シャリファ様。今日のお召し物が肌の色に映えて素晴らしいですわね。そういえば最近、最新の地中海式エステを取り入れましたの。お肌を磨き上げるのにぴったり。ぜひおいでくださいな。イソベル! あなた顔が赤いわよ。日に焼けたんじゃないかしら。北欧風の透明な肌を作る冷温エステを試しに来てね。予約はミーアにしておくといいわ。ミーア、ミーア! ちょっと来て、イソベルの予定を確認して予約しておいてちょうだい」
そういうと、シャリファとジェニファーの背にさっと手をのばし、メインのソファへと導いていった。
すぐにそばに来た部下のミーアとイソベルが取り残されたが、それはマージの友情でもあるのだろう。修復できないところまで王族とやりあわないようにしたのだ。そのあざやかな手並みにジェニファーは感心した。
ソファに落ち着いて甘い飲み物をすすめられ、相変わらず入れ替わり立ち代わりシャリファに話しかけて来る人たちの横に静かに座っていると、ナーヒードがその脇に座って来た。
「さっきは助けられなくてごめんなさい」小声で話しかける。「イソベルとシャリファは、結婚話とは別に、もともとそりが合わないのよ」
「そうなの?」
「イソベルは何でも仕切りたがるし、いつでも自分が一番になりたいタイプだから、小さいころからシャリファを子分あつかいしようとしてきたのよ」
「まあ」
そんなことができるのかしら?
「もちろん、身分は違うんだけれど、家の格から言うと、イソベルがユーセフの妻になるのはほぼ確実だと思われていたから、なおさらだったのね」
結婚相手は父が選ぶ――ふいにその言葉がよみがえり、ジェニファーの胸がずきんといたんだ。
「でも、ようやくユーセフにその気がないことがはっきりしてきて、国王も有能な息子に無理強いはさせたくないと思っているらしいのよ」
その言葉で肩の力が抜け、ジェニファーは自分がどれほどユーセフに本気なのかを思い知った。思い通りにならない運命を甘んじて受け入れようとしているシャリファに申し訳ないと思うと同時に、ユーセフが少なくとも意に染まない結婚をしないとわかっただけでも、うれしかった。
「ねえ2人とも」ほかの人たちの相手をしていたとばかり思っていたシャリファが、いきなり話しかけて来た。「うわさ話はもっと小さな声でするものよ」
ジェニファーが顔を赤くしている横で、ナーヒードが苦笑した。
「あら王女様、このくらいうわさ話にも入りませんわ。周知の事実というものですから」
「まあそうね。あなたたちには悪かったけれど、あの人にはずいぶんな思いをさせられたから、正直お兄さまが相手にしてくれなくて、ほっとしているの」
「そうなんですか」
なんだか、今日のジェニファーは自分の意見もはっきり言えない人間になったようでもどかしかった。だが、どうやら相づちを打つくらいしか出番はなさそうだ。
「嫌がらせをされたわけじゃないのよ」シャリファは肩をすくめた。「でも、服でもなんでもすべてグループでおそろいにさせられたり、買い物のたびに意見を押しつけられたりするのには、もううんざり。おまけにあの派手好みでしょう?」
率直な言い方に、ナーヒードもジェニファーも思わず笑ってしまった。
「ともかく、服と化粧の話だけで人生を埋めたくないのよ」
そういうと、再び話しかけて来た人のほうに向き直った。
結局、ジェニファーはシャリファとはほとんど話すタイミングもなく、ナーヒードに相手をしてもらっているうちに時間が過ぎていった。金曜夜の集まりは真夜中まで続くとのことだったが、シャリファが中座するのを機に、ジェニファーもホテルまで送り届けてもらうことにした。
「これにこりたりしないでね」
シャリファが帰りの車の中で言った。
「まあ」自分よりよほど疲れているだろうシャリファにそう言われて、胸が熱くなった。「そんなこと、少しもないわ。ナーヒードに久しぶりに会えて楽しかったし、何より女性が生き生きしている場所に行けて、うれしかったもの」
「本当に?」
身を起こしたシャリファがジェニファーの手をとった。
「ええ、本当よ。このところわからずやで女の言うことなんて聞くに値しない、っていう態度の男性ばかりに囲まれていたから、なおさら」
ジェニファーが冗談のつもりで言った言葉にシャリファの顔がくもった。
「ああ、そうだったわね。あなたったら、わからずやの兄やラシード、それにきっとプラントにいる男性たちとばかり仕事しているのだもの。きっと毎日つらい思いをしているのね」
「まあ、冗談のつもりだったのよ。このところ、だんだん上手に駆け引きできるようになってきたから。とても大きな声で独りごとを言って、簡単な用事なら強引に頼んでしまうというワザも身につけたの」
最初はジェニファーの存在を無視していた通訳兼技術者のサジクも、毎日誰よりも早く来て点検し、つねに的確な指示を出してくるジェニファーに、最近では一目置くようになっていた。そしてジェニファーの大きな独りごとを受けて、現場に指示を出してくれるようになった。彼としても女に指示されて面目をつぶされるわけにはいかない。だが、本当の意味で正しいものには従うべきだという柔軟さは持っていた。
「まあ」シャリファは大きく目を見開いてから、吹き出した。「イスラムの男たちがそうしている姿を思っただけでも、おかしいわ。あなたって、大人しく見えるけれど、本当はそうではないのね」
「ええ、もちろん。男ばかりの分野で生きて行くには、大人しいだけではだめなのよ」
いたずらっぽくジェニファーは返した。
「ありがとう、一緒に来てくれて」
「お気づかいなく。本当に無理な時には遠慮なく言うから大丈夫よ」
シャリファとのあいだにあった小さな垣根は取り払われた。どんどんこの国と、そこに住む人たちが好きになっていく。ジェニファーはそう感じていた。
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