21 鷹と王子
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買い物は思いがけず楽しかった。シャリファに連れられてジェニファーは王族の自宅に行く。鷹が夕方の空を舞う姿に見とれていると、ユーセフ王子が声をかけてくる。
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シャリファ行きつけの高級ブティックは色の洪水だった。こんなにも豊かな色彩と手触りがあるのかと、次々に色あざやかなドレスをあてられながらジェニファーは考えていた。ユーセフもこういった服を好むのだろうか。ユーセフのことを思い出し、頬が赤らむのを感じた。
「スタイルがいいから、どのドレスも似合うわね」
シャリファはすっかりコーディネーター気分でジェニファーの服を選んでいる。
「似合っているのかどうか、よくわからないんですが」
日ごろ着ることのない露出の多い服に、ジェニファーはとまどっていた。
「あら、すばらしく似合っているわよ。あとはアクセサリーね」
「こんなに豪華な服に合うようなアクセサリーは持っていないわ」
「もちろん、お貸しするわ。あとで選びましょう」
2時間ほどかけて、ようやく太陽のように華やかなイエローにゴールドのアクセントがふんだんに使われたホルターネック風のドレスに決まると、サイズなおしを頼んでシャリファは店をあとにした。あとで届けてくれるという。
「あの、お支払いは?」
聞かれたことの意味がわからなかったようで、シャリファはきょとんと見つめ返した。
「ああ、服の? いいのよ、おつきあいいただくお礼だから」
笑いながらシャリファはこたえた。
「そんなわけにはいきません。高価なものですし」
シャリファはまるでとりあわず、結局ジェニファーは押し切られる形となった。王女だから、財布を持って買い物などしたことがないということなのだろうか。
「さあ、あとはジュエリーを選びましょう」
王宮とは別にある、小高い丘の上にある王族の自宅のほうに車は向かっていた。
「お茶を飲んでいるうちにドレスは届くと思うわ」
驚くほど豪奢な邸宅の門の前に車が止まった。こちらは宮殿とはちがってモダンな作りだ。
「両親は古くからの王宮のほうが落ち着くっていって、2人ともあまりこちらには来ないんだけど、快適なのは断然こっちよ」
どのくらい広いのか見当もつかない距離を門から車で走り、砂漠の国とは思えない豊かな緑の庭を抜けてジェニファーは邸宅の前に降り立った。
シャリファの部屋……というか、入り口の応接スペースだけでアメリカのジェニファーの部屋の数倍はある一角に通されて、美味しいお菓子とミントティーをすすめられた。
「こうして、ゆっくりお話できる友人ができてうれしいわ」シャリファは心からうれしそうだ。
「そんな、友人と言っていただけるなんて……」
「身分にこだわる必要なんてないって言っても、この国にいるあいだはそうはいかないもの」
どさりとソファに身をあずけたシャリファはそう言った。
「そうなんですか?」
「ええ、明日の集まりに行くとよくわかるわよ。取り入ろうとする人はまだましなほう。機会があれば、すぐに自分の親族を結婚相手に押しつけようとするし、そうでなければお金を引き出そうとあの手この手の売り込みばかり」
ちらりと切なそうな目をジェニファーに向けた。
「意外に思うかもしれないけれど、あなたのように損得に関係なく一緒にいられる人って、ほとんどいないのよ」
多くの人にかしずかれ、巨万の富を得ていても、王族とは案外孤独なのかもしれない。ジェニファーはそう思った。
お茶を飲んでいるうちに、サイズなおしが済んたドレスが届いた。ジェニファーがさっそく試着させられて確認すると、さすがにぴったり合っていた。
「いいわね」シャリファは納得したようだ。「ちょっと待っててね、アクセサリーをみつくろってくるから。少しだけそのままでいてね」
そう言うと、ジェニファーを残して部屋を出て行った。
ぽつんと広い居間に残され、ジェニファーは落ち着かなかった。あまりにも急な展開で、なんだかついていけていない。今日は何より大切な報告会があったはずなのに、まるで遠い日のことのようにも感じられた。
少し頭をしゃっきりさせようと、ヒジャブがわりの大判のスカーフで髪を覆うと、大きく開かれた窓口からベランダに出てみた。
驚いたことに、邸宅の裏側には見渡す限り砂漠が広がっていた。ただ、果てしなく広がっているわけではないようだ。かなり向こうのほうに、軍事施設のようなものが見えている。王族を万が一の外敵から守るのだろう。だが、その先に続く広大な土地は砂漠だ。そして長かった一日を象徴するかのごとく、大きな太陽が西に消えかかっている。
魔法の時間だわ。
ジェニファーは夕焼けに見とれた。その時、するどく空を切り裂くものが視界をさえぎった。あれは、鷹? そのまま視線を向けると、鷹らしき大きな鳥はゆったりと旋回し、シルエットになっている人影にふわりと着地した。
ユーセフ王子なの? ジェニファーの心臓が跳ね上がった。あの日に見たのも彼だったのだろうか。前回よりも近くにいるその姿は見間違いようがなかった。そして、ジェニファーの視線を感じたのか、ゆっくりとユーセフが振り返った。
ふたたび2人の視線が絡み合い、そして時間が止まった。
あの時感じた絆は、ただの偶然だったのかもしれない。だが、この瞬間ジェニファーは悟ってしまった。少なくとも自分にとってユーセフはもうすでに仕事相手でも、一国のあととりでもない。自分にとってただ1人、この世界で愛する人になってしまったことを。
そう気づいた瞬間、かなうはずのない王子への想いに血の気が引いた。なんということだろう。どうにか視線を引きはがそうとしたが、できなかった。
「鷹がめずらしいのか」
良く通る声でユーセフが中庭の向こうから声をかけてきた。
声をかけられたジェニファーは我に返った。
「ええ、いえ、その……腕にとまるのを見るのは」ジェニファーは意を決して言ってみた。「近くで見ることもできるのかしら」
「ああ、できる。触れるのは危険だが」
「近くに行ってもいい?」
「こちらは歓迎だが、できればもう少し服を着るといい」
面白そうなユーセフの物言いに、はっとしてジェニファーは自分を見下ろした。
しまった! ほとんど裸も同然のドレスを試着していたんだった! 顔が一気に赤くなる。
「あ、あの、少し待ってください」
ジェニファーの顔が一気に赤くなったのが、遠目からもわかった。その様子がとても好ましい。ユーセフは、どうしてこんなにもジェニファーが気になってしょうがないのだろうかと、自分の胸に問いかけていた。
あわてて中にもどり、スーツの上着をしっかりはおってからスカーフを首に巻くと、バルコニーから砂地へと続く中庭を抜けた。息をきらしながらユーセフの元にかけつける。軽くはずませた息と、好奇心にきらきらと輝く瞳からユーセフは目がはなせなかった。
「そんなにあわてなくても、セナは逃げない」
これまで見たこともない優しい笑みを浮かべてユーセフが言った。
「そうなんですか?」
ジェニファーは、生まれて初めて間近に見る、鋭い爪とくちばしを持つ美しい生き物にすっかり心を奪われていた。
「ああ、訓練が行き届いているから、わたしの指示に従うんだ」
「さわるのは危険なのね」
ユーセフは目をあげた。
「ああ、残念ながらそういったことはできない。彼は闘うために訓練されているから、わたしと訓練者以外の人間がふれることはできない」
「そうなの」
少し落胆してジェニファーは答えた。あの美しい羽にそっと触れてみたかった。
「だが、きみのことを識別することはできる」
「識別?」
けげんそうにたずねた。
「これを」
そう言うとユーセフはジェニファーがやわらかく首に巻いてきたスカーフをさっと手にとった。
それを鷹に良く見せて、何言か聞き慣れない言葉で指示を出した。
「鷹は目で判断する。これを見せておいて、覚えさせた。だからきみが向こうのほうに行けば、わたしの指示でそのスカーフ……つまり、スカーフをしたきみは狩られることになる」
「狩られるですって!」
「もちろん、別の指示を出せばきみの横に立つ人間を狩ることもできるが」
そう言うとユーセフはセナを空に放った。
先ほどのスカーフのことを思い、ジェニファーは身を固くした。それに気づいたユーセフが声をかけた。
「大丈夫だ。今は行って戻ってくるだけだから」
その言葉どおり、一気にはるか彼方まで飛び去ったセナは、気持ち良さそうに大きく旋回すると、間もなくユーセフの腕に戻って来た。
「いい子だ」優しく声をかけると、ジェニファーに顔を向けた。「もう少し訓練の様子を見せたいところだが、セナに褒美の食事を与える時間になってしまった」
あまりにも美しいユーセフと鷹の立ち姿に見とれていたジェニファーは、魔法がとけたような気がした。
「あ、ありがとうございました」
見とれていたことに気づかれただろうか。少しどぎまぎしながら言うと、ふいにバルコニーのほうから呼びかけられた。
「ジェニファー、お待たせしてしまってごめんなさい」
見るとシャリファが手を振っている。
「いいえ、いま鷹を……」
そういって振り返ると、すでにユーセフは立ち去って行くところだった。
名残惜しそうに視線を送ると、ジェニファーは部屋へと戻って行った。
部屋にもどるとシャリファが衣装に合わせてあれこれと、豪華な宝石を選んでくれた。だが、先ほどよりかなりおとなしくなっているジェニファーの様子に、心配そうな表情を浮かべた。
「すっかり連れ回してしまったから、疲れてしまったかしら」
「あ、いえ、でもたしかに少し疲れたかもしれません」
「そう、夕食もご一緒したかったけれど、それなら早めにホテルに送るわね」
「ありがとうございます。あの……先ほどお兄さまと鷹を見たんですが」
ジェニファーはおそるおそる切り出した。
シャリファは気にするほどのこともないという様子で答えた。
「ああ、そうなのよ。兄は幼いころから、母の出身である砂漠の民の一族のもとで過ごすことが多かったの。その部族は鷹狩りと、それを戦闘にも使うことで有名なのよ。そして素晴らしい馬の乗り手でもあるわ」
そう言うと、小さく肩をすくめた。
「でも、女には関係ないって言われて、わたしが行ったことがあるのは幼いころだけね」
「鷹狩りの鷹だったんですね、あれは」
「長老に教わったとおりに仕込んであるから、兄の命令しかきかないのよ。だからこそ、日ごろの訓練が大切なんですって。どんなに忙しくても、一日のどこかでは必ず訓練しているみたいね」
そうだったのか。では、初めて見たあの日は訓練していたのだろうか。
王家の車に送られてホテルに向かう途中、深まる夕暮れの空を見ながら、ジェニファーは目に焼きついている、砂漠にとけ込むようにたたずんでいたユーセフの姿を思い出し、小さくため息をついた。
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