18 ふたたび熱いくちづけを

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王子への想いを振り切るように、ジェニファーは馬を全速力で走らせた。しかし砂に隠れた溝に馬が足を滑らせ、ジェニファーは地面に投げ出されてしまう。真っ青になって駆けつけた王子は、ジェニファーがほぼ無傷であることを知り、思わずジェニファーに熱いキスをする。


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 クラブハウスへの帰途、ジェニファーはすっかり落ち着かない気持ちになっていた。王子に魅せられている気持ちが恋ではないかと気づいたからだ。頭ごなしに女性を保護しようとするような人に、これまで惹かれたことはない。自分では端正な王子の容姿に魅せられているだけだと思っていたが、言葉を重ねるたびに、どんどん惹かれている。

 だめだわ、こんなことでは。浮わついた人間そのものじゃないの。

“お手並み拝見と行こう”

 先日の王子の言葉を思い出して気を引き締めると、ジェニファーはだいぶ勘を取り戻した乗馬に集中してみようとした。

「だいぶ慣れて来たから、少し走らせてみるわ」

 後ろを振り向いて声をかけ、ジェニファーは馬の横腹をやや強く蹴った。行きに王子が全力で駆け回っていたあたりなら、少し速く走らせても大丈夫だろう。馬も走りたかったらしく、一気に加速した。

 護衛のほうに下がって話していたユーセフが気づいた時には、ジェニファーの姿は小さくなっていた。

「そっちはだめだ!」

 気づいたユーセフはジャミラに強く拍車をあてると、急いで追いかけた。だが、ジェニファーの姿はかなり先だ。しかも、ユーセフが競争をしかけたと勘ちがいしたのか、速度をあげている。

「そっちは検査溝があってあぶない! ジェニファー、戻るんだ!」大声で呼びかけたが、声は届かなかった。

 地理を熟知しているユーセフだからこそできた疾走だが、あまりにもやすやすと走ったために彼女に誤解を与えてしまった。もし間に合わず、ジェニファーになにかあったら、と思い、強く歯噛みした。

 追いつこうとするユーセフの姿をとらえて、ジェニファーは楽しく馬を走らせていた。こんな平地ならわたしでも大丈夫だわ。ジャミラにだって勝てるかも……。

 そう思った瞬間、馬が砂にかくれた溝のふちで足をすべらせ、ななめに滑った。ジェニファーも乾いた砂の上へと放り出される。

 ざざざざざーーーーーーっ、大きな砂ぼこりとともに、馬と人が地面に倒れた。

 間に合わなかった! ユーセフの心臓は止まりそうになった。馬が大きく傾いたのが見え、その向こうに滑るようにジェニファーの姿が見えなくなった。


 足場を確認しつつ急いで近づくと、ジェニファーは馬の背から離れた場所に投げ出され、馬のほうは起き上がろうとしていた。ユーセフは馬から飛び降りると、ジェニファーの元に駆けつけた。

「大丈夫か!」

 頭を打っているかもしれないので、ジェニファーの肩に手をあて、声をかけた。

「ええ、大丈夫」

 うれしいことにすぐに返事があった。

「馬は? 馬は大丈夫ですか?」

 自分のことよりも馬が気がかりらしい。

 馬のほうはうまく横滑りしたらしく、すでにしっかり立ち上がり、身ぶるいして砂を落としている。

「ああ、大丈夫だ。それより、どこか痛くないか? ぶつけたところは」

 それを聞いたジェニファーは、ようやくそろそろと目をあけ、身を起こしてみた。恐ろしいほど真剣なユーセフの顔が目の前にあった。手をつき、足を動かし、体のあちこちをさわってみる。

「ええ、大丈夫みたい。少し打ち身になっているかもしれないけれど。ちょうど砂地にうまく滑り込んだみたいです」

 ほっとして笑顔を浮かべようとしたジェニファーを、いきなりユーセフの体が包みこんだ。「無事で良かった」

 痛いくらいきつく抱きしめてくる。

「あ、あの、ユーセフ殿下」

 突然の抱擁にジェニファーの心臓が跳ね上がった。

 ちょうどその時、警備の馬が追いついて来る足音がした。するとユーセフはいきなりジェニファーを抱き上げた。

「きゃっ」

 問答無用とばかりにユーセフはジェニファーをジャミラに乗せると、ひらりとまたがり、自分の体で大切に包み込むようにした。

「すぐに医者の手配と、それから、馬を連れ帰って念のためチェックを。車も取りに行って、なるべく近くまで持って来てくれ」残りの護衛たちはシャリファの元に残っている。「わたしは彼女を連れていく」

 有無を言わせずユーセフは指示し、2人の護衛は走り去って行った。

 魔法のように美しい砂漠の夕暮れがおとずれていた。初めてシャスヒ王国をおとずれた時のように、目をみはる美しさだ。だが、うかつな行動で迷惑をかけてしまったことで、ジェニファーはすっかり気落ちしていた。少しでも信頼に足る人間だと思われたかったのに、これではまるで逆だ。

「申しわけありませんでした」いまにも消え入りそうな声でジェニファーはあやまった。だが返事はない。おそるおそる顔を見あげると、そこには厳しい顔があった。ユーセフは、どうやら猛烈に怒っているらしい。

「あの……王子」

「なにも言うな」

 厳しい声が返って来た。

「わたしのことなら、本当に大丈夫ですから……」

「大丈夫なことがあるかっ」

 その声に顔を上げると、馬を止めたユーセフの目に見覚えのある怒りが燃えていた。そして……。

 ユーセフは衝動を止められなかった。危険な目にあったはずのジェニファーが気丈に振る舞っている。そして、自分が彼女を守れないことなど二度とあってはならない……。そう思っただけでがまんできず、思わず唇を重ねていた。

 またしても突然の口づけに、一瞬頭が真っ白になった。だが、やわらかなユーセフの唇がうながすように動くと、ジェニファーも知らず知らず応えていた……。


 ほんの一瞬だったのかもしれない。遠くから車のエンジン音が聞こえてきて、ユーセフが身をはなした。もっと深くキスを味わいたい。ジェニファーの体の奥底から聞こえてきた渇望に、自分でも驚いてしまった。

 身をはなしたユーセフは言葉もなく、あいかわらず厳しい顔をしている。

「どうしてきみは……」

 顔を前方に向けたまま、言いかけた言葉をのみこんだ。

「すみません」

 いきなりキスしてきたのは王子なのに、どうして2度目もあやまっているのだろう。そう思いながらも、自分の軽卒な行動で大きな迷惑をかけそうになったことを思うと、ジェニファーにはあやまることしかできなかった。

 あいかわらず不機嫌そうな目を向けてきた王子だが、そのまま前を向いてしまった。


 じきに車が到着し、心配しながら戻って来てくれたシャリファに車内に迎え入れられると、そのままユーセフと言葉をかわすこともできず、ジェニファーはクラブハウスへと向かった。

 落馬のショックでおとなしいのだと勘ちがいしたシャリファ王女は、何かと気づかいながらもジェニファーをそっとしておいてくれた。クラブハウスに来た医者は、驚くほどジェニファーは無傷で、肘の小さなすり傷と足の軽い打ち身以外は何事もないと請け合ってくれた。

 おかげで、すぐにホテルへと戻れることになった。王宮で来客があるというユーセフはそのまま去ったため、帰りはシャリファが送ってくれた。

「ご心配をかけてしてしまって、本当にごめんなさい」

 ジェニファーが身の置きどころもなくあやまると、シャリファは軽やかに笑った。

「砂漠で馬に乗るのって、案外むずかしいものなのよ。兄は幼いころから砂漠の民たちと交流していて足場が悪いのもなれているけど、わたしにはとても無理。兄を見ていると、宮殿にいるより砂漠のほうが居心地がいいんじゃないかしらって思うこともあるわ」

「わたし、子どものころから馬には乗っていたから、油断もあったんです。仕事のために来ているのに、こんなところで怪我でもしたら、なんのために来ているかわからなくなるところだった」

ジェニファーは深いため息をついた。

「あら、でもわたしは興味深いものが見られて良かったけれど」

ふふっ、と笑いながらシャリファが言った。

「え?」

もしかして、あのキスを見られた? ジェニファーの頬に血がのぼった。

「めったに感情をおもてに出さないお兄さまが、あんなにあわてたのは初めて見たわ」そういうと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。「きっとあなたのことが気に入っているのね」

「そんなことはないと思います」

ジェニファーはきっぱり答えた。

「あら、どうして?」

「どちらかというと、迷惑ばかりかけていますし」

そう言いながらも、2度目のキスの意味ばかり考えてしまう。

「そうかしら。兄は気に入らない人間を近くに置くことはないの。好き嫌いという意味だけでなく、人を見る目に長けているから」シャリファはそういうと、ジェニファーに向きなおった。「しかも、女性に対しては見方が厳しいから、わたしとしてはなおさら興味深いのよ」

 それは、わたしが失敗ばかりしている外国人だからよ……。そう言いかけたときに、車はホテルに着いた。

「ゆっくり体を休めてね」

シャリファが見送りながら笑顔で言う。

「ええ、ありがとうございます」

「たぶん、またじきにお目にかかれると思うわ」

そういうと、意味深なウインクをよこして、シャリファは去って行った。

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