17 砂漠を馬で疾走する
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砂漠での乗馬の日がやってきた。王子だけでなく、妹のシャリファ王女も一緒に砂漠の馬術センターに到着した。石油や天然ガスが数十年後には枯渇することを考え、王子はリゾート開発にも力を入れているという。王子とともに砂漠の新たな姿を見たい……ジェニファーは王子への想いに気づく。
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落ち着かない気持ちで土曜日を過ごした翌日。日曜日の午後、約束どおりユーセフ王子の迎えの車が2時にホテルに到着した。
さすがに乗馬服までは用意して来なかったジェニファーは、カジュアルなパンツにやわらかな長袖のシャツを合わせ、フード付きのパーカーをバッグに入れた。乗馬のことをエリックに話すべきかどうか考えたが、うまく説明できそうになかったので、とりあえず月曜に報告することにして、今日のところは流れに身をまかせることにした。
宮殿からは王子が運転するランドクルーザーに乗り、初対面とは思えないほど感じのいいシャリファ王女と楽しく会話しながら、国立の馬場へと向かった。シャリファ王女は好奇心たっぷりの生き生きとした女性で、ジェニファーがスタンフォード出身だと知ると、いろいろと学校での様子をたずねてきた。
市街地を抜けて30分ほど走ると、砂漠のなかに突然、なつめ椰子の緑で囲まれた広大な区画が見えてきた。
「シャスヒの国立馬術センターよ」
シャリファが前方を指差して言った。大きな屋根のある室内馬場らしき建物と、その近くに、オレンジとグリーンのシャスヒの国旗を模した洒落たデザインのクラブハウスが見えた。その横に厩舎が見える。まわりには整地された砂を、柵で囲んだ馬場がいくつも並んでいた。
「まあ、すごい! ここはオアシスなのかしら?」
「昔はそうだったんだが、干上がってしまってね。今は水を引いている」
王子がバックミラーにちらりと目をやり、説明した。
「地下水路を引いて人工的に水の湧く水場をいくつかつくってある。今はまだ一部の国民が乗馬を楽しむための施設だが、ゆくゆくは宿泊設備も備えて、アラブ馬を愛好する海外からの客も呼び寄せたいと考えている」
「地下水路を縦横にめぐらせて人工の街をつくるのね?」
ジェニファーの瞳が輝いた。王子もまた、にわかに頬を上気させたジェニファーをバックミラーのなかにとらえていた。
「そう、ゆくゆくは馬だけでなく、砂漠という環境を活かしたリゾート地にしたいと考えている」
最新の設備で整えられたクラブハウスに入り、装備一式を借りて身につけて厩舎に向かうと、すでに王室専用の立派な厩舎の前に、3頭が馬装をすませて並んでいた。いちばん大きな白い馬が王子の姿を認めて大きく首を振った。きっとあれがジャミラなのだろう。昨晩の会話を思い出し、ジェニファーの頬がほんのり染まった。
王子は笑みをたたえて白馬に近寄り、首筋を軽くたたいた。
「これが、ジャミラだ。ジャミラ、ジェニファーだよ、おまえと同じ色白だ」
王子がいままでになくくつろいだ笑顔で紹介した。ジェニファーは馬をおびえさせないようさりげなく近づき、首筋をなでた。ジャミラが大きく鼻息を吐いた。まるで、フンと言っているようで、3人は思わず声を立てて笑った。
シャリファの馬は漆黒の美しいアラブ馬だった。
「アドハムっていうの。黒という意味よ。きれいな子でしょ?」
そしてジェニファーには栗毛でたてがみと尾の黒い馬が用意されていた。
「バシールはとても賢い馬だ。おとなしいから安心して乗れるだろう。このあたりの土地も天気もよくわかっているから、万一、はぐれるようなことがあってもバシールなら間違いなくここに連れ帰ってくれるだろう」
だがそんな心配はなさそうだった。相変わらず護衛が同行するからだ。
ジェニファーは厩舎係の手を借りて馬の背にまたがった。久しぶりの乗馬だ。急に視点が高くなり気持ちよかった。
「さあ、行こう。40分ほど走ったら休む場所がある」
王子を先頭に6頭の馬が砂丘に向かって進みはじめた。はじめは速歩(トロット)で砂の上での乗馬の感覚をつかむ。それからゆっくりとした駆け足に入った。午後4時をまわったところだが、日没が7時ごろであるため、陽射しはまだ強い。それでも真昼に比べれば、かなりしのぎやすかった。
大きくゆるやかに揺れるバシールの背に全身を預け、ジェニファーは優雅な気分に浸っていた。目の前をジャミラにまたがった王子が行く。ジェニファーのうしろではシャリファがみごとな手綱さばきで、まだ若いアドハムをあやつっていた。右手にも左手にもなだらかな砂丘が広がっている。まるで異次元へと迷い込んだようだった。
先頭のジャミラがギャロップをしたがっているらしい。王子の力強い腕と拳がぎゅっと手綱をつかみ、たくましい脚が白馬の腹を抑え込んでいるのがわかった。
「どうか、走ってきて」ジェニファーが風に負けないように大きく声を張り上げた。「ジャミラに思いきり走らせてあげて。わたしはゆっくりと駆けていますから」
王子は片手を上げてジェニファーに答えると、ジャミラに2、3歩足踏みさせたあと、突然、矢のように急発進した。ジャミラの白い馬体に王子の白いカフィーヤ姿が覆いかぶさり、一体となって砂漠を疾走する。ジェニファーはバシールの速度をゆるめ、魅せられたようにその光景に見入った。気がつくと、シャリファが横に馬を並べていた。
「すてきでしょ、お兄様。あれを見たら、だれだって恋してしまうわ」
そう言って、ジェニファーにウインクする。ジェニファーの頬が熱くなった。シャリファはそれを見て、にっこりとうなずくと、ふたたび走り去った。
思う存分走ってすっかり汗をかいたころ、王子とジャミラが戻ってきて、ジェニファーと王女を左のほうへと誘導した。岩がちの砂丘をくだると、そこには小さな天幕が設営され、絨毯が敷かれていた。3人はその横で馬を降りた。
絨毯の上にはクッションのほかに小さな低いテーブルが置かれ、お茶のポットと菓子のトレイが並べてあった。
「ミントティーとコーヒーとどちらがいいかな?」
テーブルの向こう側に腰を落ち着けた王子が女性ふたりにきいた。
「わたしはミントティー」即座にシャリファが答えて、クッションに腰をおろした。
「わたしもミントティーを」ジェニファーもその横に座りながら言った。
王子は銀色のティーポットを高くかかげると、器用な手つきでグラスに注ぎ、きれいに泡立てた。きらめく琥珀のお茶の向こうにユーセフの集中した顔が見える。ジェニファーはその手ぎわにみとれているのか、ユーセフの端正な顔にみとれているのか、自分でもよくわからなくなっていた。
「あざやかね」シャリファが手をたたいた。「お兄様、腕を上げたわ」
王子が照れたように小さく笑った。ミントティーの甘さとさっぱりとした後味が、砂漠で飲むのにぴったりだった。
「さあ、アラブのお菓子を召し上がれ。この鳥の巣みたいなのは“ナイチンゲールの巣”というの。なかにピスタチオが入っていて、わたしのお気に入り。それからこっちはチーズ入りのパイ。その隣にあるのはデーツ(ナツメヤシの実)が入ったクッキー。もちろん、デーツもあるわ」
シャリファはナイチンゲールの巣を小皿に取りながら、説明した。
「わあ、迷ってしまうわ」
久しぶりに心地よい汗をかいて運動したせいで、甘いものが食べたかった。ジェニファーは小さく歓声を上げると、シャリファと同じく鳥の巣のような小さなケーキを皿に取り、ひと口、口に運んだ。
「甘くておいしい」思わず、声に出した。
「でしょう?」シャリファが眉を上げ、大きな目でジェニファーを見つめてうなずいた。
「さっきのリゾートの話、くわしくきかせていただけますか?」
ジェニファーが問いかけるとユーセフの目がきらめいた。
「まだ構想を練りはじめたばかりだが、そもそもは街づくりが前提となる」熱い口調で語りはじめる。
すると、シャリファがミントティーのグラスを持って腰を上げた。
「わたし、あちらのテントに顔を出してくるわ。お菓子をつくってくれたマヒラが来ているはずだから、話をしたいの」
王子がうなずくと、シャリファはさっと天幕を出ていった。
「気をきかせたつもりなんだろう」ユーセフは口の端をかすかに持ち上げた。「きみとゆっくり話ができるようにとね」
急に空気が濃くなったような気がして、ジェニファーはどぎまぎした。王子との距離も近すぎない?
「ええ、わたしもこういう話にはすぐ夢中になってしまうし」
「この国の未来の話だ。そう、100年くらい先の、わたしがもうこの世にいなくなってからのこの国の姿をわたしは思い描いている」
「100年も?」
「そう、この国で石油を採掘できるのは長くてあと40年、天然ガスは60年ほどだろう」
ジェニファーは黙ってうなずいた。
「今回のプラント建設を急ぐのもそのためだ。そして液化することで、よりクリーンなエネルギーに変えられる」
これにもジェニファーは黙ってうなずいた。
「だが、あのプラントも、シャスヒにとっては時間稼ぎにすぎない。これからはさらに先のエネルギーを開発していかなくてはならない」
王子の言葉には熱がこもっていた。ジェニファーは王子のひたむきな思いが手に取るようにわかった。王族に生まれ、国民の命を預かる立場にある者のひとりとして、王子は真剣に未来を見つめている。
「さっき、オアシスが干上がってしまったと言っていましたが、このあたりにもうオアシスはないのかしら?」ふと気になって尋ねた。
「いや、あちこちに点在しているが、この近くにはない。馬だと3時間以上かかるな」
「プラントのあとは、砂漠に街をつくるプロジェクトね」
王子は遠くを見るような目で砂漠を眺めた。
「そうだ。さらに大がかりなプロジェクトになるだろう。太陽と風を利用する砂漠の街だ」
王子はふっと視線を戻すと、まっすぐにジェニファーを見た。
「きみは手伝ってくれるだろうか」
ジェニファーの体の奥から、熱い思いがあふれ出た。手伝いたかった。この人のそばにいて、砂漠に街が生まれる姿をずっと、見届けたいと思った。
「ええ、喜んで」
かすれる声で、ジェニファーは答えた。
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