15 パーティ会場で王子に助けられる
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ユーセフも大使公邸のパーティにやってきた。大勢の人がいてもジェニファーの後ろ姿はすぐに見つかった。酔った男性にしつこく絡まれて困っている。ジェニファーを救い出したユーセフは、さっさと離れていった。
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父アブラハム国王とのミーティングを終えたあと、ユーセフは30分ほど遅れて大使公邸に到着した。あまり目立ちたくはなかったので、あえてスーツを選んだ。グレイのスーツにうっすらピンクがかかったシャツを着て、ブルー系のタイを結んだ。今夜はカフィーヤもかぶらなかった。イギリス留学時代はそうしていたのだから、友人たちにもそのほうが違和感がないだろう。
華やかな広間に足を踏み入れ、ユーセフは友人の顔を探しながらゆっくりと人のあいだを縫っていった。
皇太子の顔を認めてはっと驚く反応があちこちで起こったが、男たちはたいてい気を利かせ、とくに親しい場合をのぞけば、黙って会釈するだけで寄ってはこない。やっかいなのは女たちだった。真っ先に近づいてきたのはパーティのホステス役である大使夫人で、大使夫人のうしろから、どこそこの令嬢やら、だれそれの友人やらが大使夫人に紹介してもらおうと次々に現われて、あっというまに取り巻かれてしまった。
「今回は、ありがとうございます」ユーセフは大使夫人に礼を言った。
「いいえ、こちらこそ殿下がいらっしゃってくださるなんて、めったにないことですから、いい機会ですわ」
鮮やかなドレスに身を包んだ、年齢よりもかなり若作りの大使夫人が上機嫌で応じた。英国と王族の縁が深いことを強調できるため、喜んでパーティを開いてくれたのだ。
ましてユーセフは、ずば抜けて人目を引く顔立ちの独身の王位継承者だ。しかも国民だけでなく、海外のセレブたちにも人気が高い。ユーセフは儀礼上の笑顔で挨拶をすませると、友人を探していることを口実にその場を辞し、ふたたび人の波にまぎれ込んだ。
やがて飲み物のカウンターのそばに立っているジェイムズたちとシャリファをようやく見つけ出し、ほっとして近づいていった。
「やあ、ジェイムズ、久しぶりだな」
「ユーセフ! 会えてうれしいよ」
2人はしっかりと握手した。ようやくユーセフに心からの笑顔が浮かんだ。
「お兄様、遅いわよ」
先日の下見で手に入れたオートクチュールのドレスに身を包んだシャリファが、にこやかに言った。
エスコート役をジェイムズに頼んであったので、ひと足先に到着していたのだ。兄の友人がお目付役だとは言え、のびのびと振る舞えることに代わりはない。
その時、シャンデリアの光を受けてつややかに輝く金色の髪と、上品なブルーのドレスが視界に飛び込んで来た。ジェニファーだ。金髪をすっきりと結い上げ、かぼそい首筋を惜しげもなく見せている。体の線を忠実に描くスリムなドレスは飾り気のないすっきりとしたデザインで、ジェニファーにとても似合っていた。清楚なその姿は、まるで砂漠でオアシスに出会ったようでもある。
思っていたより元気そうだ。その姿にユーセフはほっとした。シャスヒに到着して以来、あまりにもハードに働きすぎているジェニファーがどうしても気にかかり、あの日、ユーセフは理由をつけてプラントの視察に訪れていた。
ちょうどエリックのオフィスに向かうところで、ジェニファーを見かけた。声をかけようとしたが様子がおかしい。ふらふらしていて、あやうく倒れそうになったところを駆け寄ったユーセフが抱きとめられたのは、幸運な偶然だった。そのまま倒れていたら、かたい床に頭を打ちつけていただろう。
ふいに、気を失ったジェニファーのからだを抱きとめたときの感触がよみがえった。華奢なからだは抱きしめると折れてしまいそうなほど軽く、女らしいやわらかさに満ちていて、おどろくほどしっくりとユーセフの腕の中におさまった。
いま、ジェニファーはユーセフにほとんど背を向けているので、表情がわからない。だが、今夜の彼女は肩の力が抜けていて、女らしさが漂っていた。突然、ユーセフの体のなかを熱いものが駆け抜けた。あのままこの腕に抱きしめていたら……。体の奥から強く熱い波が湧きあがった。
見ていると、ジェニファーは皿を手に、隅にあるソファに女性とともに腰掛けた。腰を落ち着けて食事でもするのだろう。
そのとき、ユーセフは眉をひそめた。ジェニファーに目をつけた男たちが次々と近づき、挨拶したり相席を求めたりしはじめたからだ。たいていの者は夫人同伴でこの国に来ているので、みるからに若く独身らしい、生き生きとしたジェニファーの姿は男たちの目を惹いていた。
男たちはあまりにも馴れ馴れしすぎる。あれでは彼女が食事をとることもできないではないか。しかもジェニファーは愛想よく笑顔でこたえている。ユーセフは、なぜかいらだちをおぼえていた。
「お兄様?」
「ユーセフ?」
妹とジェイムズが同時に声をかけた。
「あ、ああ、すまない、何の話だったかな」すっかりジェニファーに気をとられていたユーセフは、あわてて話の輪に戻ったが、視界の片すみではジェニファーをとらえたままだった。
シャスヒ王国に来てまだ少ししか経っていないのに、なじみのある欧風料理の数々はジェニファーの食欲と同時に心を満たした。隅のソファにうつり、小さなテーブルに料理の皿をおいて、食事をとりながらナーヒードと話をしていると、彼女の知り合いらしい男性が次々に挨拶に近づいてきた。
「ええ、そうなんです。プラントの仕事で……そう、暑さにはなかなか慣れませんわ……お誘いありがとうございます。でも、まだとてもそんな余裕はありませんから」
せっかくの食事をとるひまもなく、ジェニファーは何人もの夕食やドライブへの誘いをことわるのに苦労していた。どの男性もジェニファーに興味たっぷりでなかなか引き下がらないが、ナーヒードがさりげなく、ジェニファーの体調を理由にして遠ざけてくれた。
「まったく、男はみんな美人に弱いのよね」苦笑まじりにナーヒードが言う。
「わたしのような年齢の女性があまりいないからよ」ジェニファーが答える。
「気をつけてね、ジェニファー。国をはなれている男たちは、すきあらばアバンチュールを楽しもうとするものよ」
「まあ」その言い方がおかしくて、ジェニファーは笑った。「わたし、そんなタイプに見えるのかしら」
「あら、あなたとんでもなく美人だもの」ナーヒードがまじめな顔で言った。「独身で美人とくれば、みんな目をつけるのよ。イスラム圏ということで、家族を置いて来ている人も多いしね」
その時、また男性が話しかけてきた。
「ナーヒード!」
「ブラウン、お久しぶりね」
ナーヒードは、話しかけて来た茶色い髪に片えくぼを浮かべた小太りの男性に挨拶した。
「このあいだは助かったよ」
男性はすでにかなりアルコールが入っている気配だ。
「あら、困っている時はお互いさま。またいつでも声をかけてね」
「ああ、たかがブリッジでも、それなりに人数がいなくちゃ盛り上がらないからな。大使夫人もご満悦だったよ」そう言うと、ジェニファーに目をむけた。「それにしても、今日は大した美人と一緒だな」男性は上から下まで、ぶしつけな視線を向けて来た。
「ああ、ご紹介するわね。こちらジェニファーよ。例のアメリカのプラントの建設会社の設計技師なの」
ひゅーっ、と小さく口笛を吹くと男性は、ジェニファーに握手を求めて来た。
「よろしく、ブラウン・キンケイドだ。この国で貿易をやってる」
男性の手がジェニファーの手をぎゅっと握った。そしてそのまま手をはなさずに、ジェニファーの横にことわりもなく腰をおろした。
「技師だなんて、冗談だろ?」
握手の手をはなすと、ブラウンはなれなれしく椅子の背に手をおき、すきあらばジェニファーの肩や腰に手をまわしてきそうな勢いで身を寄せてきた。息が酒くさかった。
「いいえ、冗談ではないんです。今回はプラントの進行状況をチェックするために派遣されてきているので」ジェニファーはソファーから背中をはなし、男から少しでも距離を置こうとした。
その時、向こうのほうからナーヒードを呼ぶ声がした。
「あら! ごめんなさい、院長夫人も来ていたのね。ちょっと挨拶してくるわ」
そういうと、申し訳なさそうな顔でナーヒードが席をはなれていった。なれなれしい男はナーヒードがはなれて行くと、さらに酔った息のまま、ジェニファーに顔を近づけて来た。
「こんな、何もないところに来るなんて、退屈でしょうがないだろ?」声を低くして話しかける。
「そんな! プラントの建設がじかに見られて、しかもそれに直接関われるなんて、毎日うれしくてしょうがないわ」
「いやー、この国には夜だってろくに出歩く場所もないしな」ブラウンはジェニファーの話などまるで聞かず、なめるような視線を向けてくる。「どうかな、僕でよければ食事やドライブにいつでもお供するよ」そういうと、ジェニファーの手に手を重ねようとしてきたので、ジェニファーはグラスを持つふりをして、さっと手をどけた。
すると男はその手を後ろにまわし、腰のあたりにぶしつけに手をかけてきた。
もう耐えられない! ぞっとしたジェニファーが抗議の声をあげようと男のほうに向き直ったその時──どすん! と反対側の隣に思い切り腰をおろしてきた人物がいた。
「こんばんは、ジェニファー」
深い声に包み込まれて、ふいに背筋にふるえが走った。
「こっ、これはこれは、ユーセフ王子」
先ほどまでのなれなれしい態度がいっぺんに消え去り、首まで赤くなったブラウンが、しどろもどろに挨拶している。
「エナジー・スター社の優秀な設計技師に話しかけるとは、きみも目が高い。ヘッドハンティングでもするつもりかな」
わざとゆっくり、鷹揚な態度でユーセフが言う。
「い、いえいえ、そんなことは……。女性が過ごすにはいくぶん退屈かと思って、街の案内でもしてやろうかと申し出ていたところで……」
裏返った声でブラウンが言い訳しようとした。
「退屈? この国はきみにとって退屈なのかな?」
ごくり、とブラウンがつばを飲み込む音がした。アルコールの酔いなどいっぺんに吹き飛んだようだ。
「たたた、退屈なんてことは、もちろんありませんよ。ああ、ジェニファー、困ったことがあったら、いつでも声をかけてくれたまえ。では王子、わたしは向こうに人を待たせているもので」
挨拶もそこそこに、ブラウンはネズミが逃げ去る勢いでそそくさと人ごみの中に消えていった。
ジェニファーはその変わり身の早さに、ぽかんと小さく口をあけて見送った。そして、はっと気づくと居ずまいをただし、王子のほうに向き直った。
きゃっ、近すぎだわ! ジェニファーはあわてて1人分横にずれた。ゆったりとスーツ姿でくつろぎ、ジェニファーのほうに体を向けて座っている王子の端正な顔がすぐ目の前にあったからだ。
くらくらしながらも、あらためて王子のほうにしっかりと顔をむける。
「殿下」
「ユーセフと呼んでくれ」どこか不機嫌そうな表情で王子が答えた。
「え、ええとユーセフ殿下、いえ、王子」ユーセフはととのった顔の片眉だけを軽くあげ、先をうながした。「ありがとうございました」
「礼にはおよばない」あいかわらず不機嫌そうに王子が答えた。「大切な仕事をしてくれているきみに、見舞いの花は当然のことだ」
「あ、いえ、ええと、もちろん、美しいお花をありがとうございました。そうではなくて、いま、あの方から助けてくださって」
「きみは喜んで相手をしているのかと思ったが」むっつりと答える。
「まあ」
「男は美しい花を愛でるものだ。もちろん、きみはそういった扱いにはなれているのかもしれないが」
ジェニファーはかちんと来た。
「ユーセフ王子」
「なにかな」わざとゆっくり答えているようだ。
「あなたはそう思われたのかもしれませんが、女性というだけで、何でも言うことをきくように思われて、軽く扱われるのは不本意です」
「ほう」
ユーセフの不機嫌な表情の下から、面白がるような目の光が感じとれた。
「まして、酔っぱらいになれなれしくされるような隙を見せていたつもりもありませんでしたから」
「だが、実際にはそうではなかった」
冷たいまなざしのまま、ユーセフが言う。
ジェニファーはぐっと言葉に詰まった。「あの方は少しよけいに酔っていたからだと思いますわ」
「では、わたしの助けは必要なかったと?」
「ええ、そうよ」ジェニファーの瞳に怒りの炎がともった。「無礼な男にはどうすればいいかくらいは心得ています」
「なるほど」王子の表情は変わらない。
ああ、もう! 言いたいのは心からのお礼だけなのに。うまく言えないもどかしさが募った。それに……なんだかユーセフ王子も少し突っかかってきているみたい。
「ジェニファー、待たせてすまなかった」
そのとき、ようやく戻ってきたエリックがジェニファーを見つけ出して声をかけてきた。
「ユーセフ王子!」
王子が隣にいることに驚きながら軽く会釈し、脇にあった椅子に腰をおろした。
「連れが戻って来たようだな」ユーセフは言うと、腰をあげた。「では、そろそろ友人のところに戻るとしよう」
声をかけるひまもなくユーセフが立ち上がると、エリックもあわてて立ち上がろうとした。
「いや、そのままで。ここは非公式な場でもあるのでね」
ユーセフは押しとどめると、来たときと同じようにさっと去って行った。
「驚いたな。いつのまに王子と親しくなったんだい?」
戻って来たエリックは、ジェニファーに起きていた出来事を知らない。
「親しくなんかないわ」
軽い女と思われたに違いない。ジェニファーは声にいらだちをにじませた。
「さすがに美人は得だな」
ぎゅっときつい視線をエリックに向けたが、何の事情も知らないエリックはのんきなものだ。
ふいに怒っていることがばかばかしく思えた。
「ユーセフ王子は、酔っぱらいにからまれていたわたしを助けてくれたのよ。でも結局、隙の多い女だと思われただけかもしれないわね」ため息まじりに言う。
ようやく事情を察したエリックが、気の毒そうな目を向けた。
「そうか、なまじ美人であるばっかりに損することもあるんだな。おれが強引に誘われたり酔っぱらいにからまれたりすることはないけど、きみなら誰が見てもガールフレンド候補ナンバーワンって感じだものな」
なぐさめるように、ぽんと軽くジェニファーの肩を叩いた。
「気にするなよ。王子と近しくなるって作戦はうまくいかなかったかもしれないけど、このパーティにはそれなりに面白いやつだっているんだぜ」
それからジェニファーをうながして席を立たせると、招待客のなかから知人を見つけては、精力的に交友関係を広げてくれようとした。だが、病み上がりだった上に先ほどの件や何人もに話しかけられたことあり、ジェニファーはしばらくするとすっかり人いきれに疲れてしまった。
「エリック、少し夜風に当たってくるわね」
「大丈夫かいジェニファー。体調が悪かったらいつでも言ってくれ。もちろんボディガードが必要なときにも」
「ありがとう、でも大丈夫よ」
エリックにことわり、新鮮な空気を吸いに、ひとりで小さなバルコニーに出た。
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