12 新しい友人

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入院中のジェニファーの元に、王子から見舞いの花が届く。なんと気絶したジェニファーを抱きかかえて運んでくれたのは、王子だという。そして、女医ナーヒードは専門家として働く数少ない女性で、ジェニファーはようやく話し相手を見つられたとよろこぶ。


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「おはよう、ジェニファー、気分はいかが?」

 翌朝、病室にやってきたナーヒード医師が声をかけた。今朝のナーヒードは髪を覆っていなかった。黒髪を後ろで束ね、軽くひねってシンプルに結い上げている。体温計を差し出し、ジェニファーが受けとると点滴の速度を確認した。

「おはよう、ナーヒード。おかげさまで頭痛はなくなったし、体に力が入るようになったみたい」

「そうね、声もしっかりしているし、点滴ももうこれが落ちたら終わりにしましょう。食欲はある?」

「ええ、さっきからおなかが鳴ってるわ」

「さすがに若い人は快復が早いわね」

 ナーヒードは声をあげて笑いながら、病室の窓のカーテンを開け放った。砂漠に近いこのあたりは朝晩の気温差が大きい。夜は一気に下がるが、陽が昇るにつれてぐんぐん上がっていく。もっとも病室に直射日光は入らないように設計されていて、窓の外は小さな中庭になっている。

 ジェニファーから体温計を受けとり、ちらりと数字を見る。

「熱も平熱だわ。今日は消化のよいものを選んで普通食にするから、しっかり食べてね。このクリニック内なら歩きまわってもいいわよ。ただし、まだ外には出ないこと」

「あら、中庭もだめ?」ジェニファーは尋ねた。

「そうね、夕方になったら出てもいいわ。このクリニックは古い貴族の館に手を入れたものだから、関心があるかもしれないわね。でも、それよりもっと気になるものがあるわよ」

 ナーヒードは急に目を大きく見開き、意味ありげな笑みを浮かべた。

「右のテーブルを見てごらんなさい」

 ジェニファーは言われたとおりに視線を移した。そこには驚くほど美しい花が飾られている。

「まあ、きれいな花。あなたが生けてくれたの?」

「花瓶にさしたのはわたしだけど、その豪華な花束、だれからだと思う?」

「えっ? だれって言われてもエリックくらいしか思い当たらないけど」

「カードも付いていたのよ。花瓶の横に置いてあるわ」

 ジェニファーは体を起こしてカードを手に取った。おもてに美しい筆跡で「ジェニファーへ」と書かれている。そしてユーセフ王子の署名があった。

 ナーヒードが笑みを浮かべ、びっくりした顔のジェニファーを眺めている。

「皇太子に抱き上げられただけじゃなく花束まで届くなんて、あなたなかなかの大物なのね」

「えっ? なんのこと?」ジェニファーはあわててたずねた。「抱き上げられたっていったい……」

「あら、知らなかったの?」ナーヒードは面白がるような口調で続けた。「ちょうどユーセフ王子がプラントの視察におとずれていて、エリックのオフィスに向かっている時に、ふらふらして倒れかけているあなたに気づいたそうよ。エリックが戻ったときには王子の腕の中にあなたが抱き上げられていて、すぐにオフィスのドアを開けさせられて、そのあとソファまで運んでくれたんだそうよ」

 ジェニファーの口がぽかんとあいた。そして状況が飲みこめると、一気に顔に血がのぼった。

「そ、そんなことがあったの? ああ、ありえない」

 ジェニファーは頭をかかえた。

「あら、ユーセフ皇太子の腕の中ならわたしもぜひ倒れ込んでみたいわ」

 ナーヒードが愉快そうに笑った。

「そうじゃないの」

 あまりにも絶望的なジェニファーの声に、ナーヒードが真顔にもどって、話の先をうながした。

「この前、初めて会ったときに、女と仕事の話はしないって、しかもくれぐれも迷惑をかけるような行動は慎むようにって、とても厳しい口調で言われたばかりなの」

 それなのにいきなり本人に直接迷惑をかけてしまったなんて、ありえない。体調管理もできない人間だと思われたにちがいない。そのうえ気絶した体を抱き上げられたなんて……。ふと昨晩思い出した、たくましい腕とスパイシーな香りがよみがえってきた。あれは夢じゃなくて現実だったのね。そう思うとますます体まで熱くなって来た。

 ナーヒードは気の毒そうな表情を浮かべている。

「そんなことがあったのね。でも、こんなにゴージャスな花をお見舞いに贈ってくれたということは、あまり気にしなくてもいいんじゃないかしら」

 ナーヒードの言葉に、ジェニファーも少しだけすくわれたような気がした。

「そうなのかしら……」

「ユーセフ皇太子はプラント建設の仕事一筋で、真剣に取り組んでいるそうだし、外国から来た女性ということでいろいろ心配したのかもしれないわね。でもまあとにかく、彼は独身でもあるし、この先が楽しみだわ」楽しそうにナーヒードが言った。

 ジェニファーはあっけにとられた。どうしてそういう考えになるのかわからなかったけれど、彼女は事態を深刻にはとらえていないようだ。

「からかわないで。女がプラント建設にかかわることで問題を起こさないかって心配されてるのに、こんなことになってしまって。きっと失望したに決まっているわ」

 深刻な顔で落ち込んでいるジェニファーの姿に、ナーヒードは気づかうような視線を向けた。

「うーん、たしかに、イスラム教の国で女が仕事をするのはいろいろたいへんではあるわね」

「そうなのね」

 ナーヒードはこの国のエリートなのだろう。でも、それだけに女性が仕事をする大変さは実感して来たにちがいない。

「でも、気にしないで、自分の仕事をきちんとしてさえいればいいのよ」

 余裕のある笑みをナーヒードは浮かべた。

 その言葉にジェニファーは、はっとした。確かにそうだ。起きてしまったことをくよくよ嘆いていてもしょうがない。しっかり体調をととのえて仕事に専念することでしか、今回のことは挽回できない。それに、ここでの仕事はまだはじまったばかりだわ。

 ようやく気をとりなおし、ジェニファーは話題を変えることにした。

「そういえば、どうして今日は髪を覆っていないのかしら?」

「ああ、今日はクリニックの休日で、男性に会うこともないからよ。この国の女たちも家ではスカーフを巻かないし、服装も自由だから」

 過労と熱射病で倒れたのはジェニファーのなかでは大きな減点だったが、初めてこの国の女性とゆっくり話ができたのは大きなプラスかもしれない。

「わたし、この国に来たのは初めてなの。良かったらいろいろ教えてくれないかしら?」

 ジェニファーはおずおずと切り出してみた。

「もちろん、いいわよ。なにが知りたいの?」

 ナーヒードはベッドのわきに椅子を引き寄せ、腰をおろした。

「そうね、聞きたいことはたくさんあるんだけど……そうだわ。エリックが盛んに女性用サウナがあるって言うんだけど、それってどんなところ?」

 ナーヒードは大きな声で笑いながら肩を揺すった。

「最初の質問がそれなの? いいわ、教えてあげる。あなたが元気になったら連れていってあげてもいいわ。女性用のサウナっていうのは、たぶんハマームね。ローマ風呂が起源で要するに公衆浴場よ。男性用と女性用に分かれていて、垢すりの男の人がいて、全身をつるつるにしてくれるわ」

「えっ、女性用のお風呂に男の人がいるの?」

 ジェニファーは目を丸くして尋ねた。

「そう。でもいたって安全なの。そういうところでお客に対して変な気を起こしたら、首が飛んでしまうから――これって、職を失うってことじゃなくて、文字どおり首が飛ぶのよ――垢すりの男の人は絶対にいやらしいことをしたりしないわ」

 ナーヒードがおもしろがるようにジェニファーの顔をのぞき込みながら続ける。

「みんなマッサージのプロだから気持ちがいいわよ。仕事の疲れもいろんな悩みもきれいさっぱりお湯といっしょに流れ落ちる。そうね、まじめな話、ストレスたっぷりのあなたには、栄養剤なんかよりよっぽど効き目があると思うわ」

 ジェニファーは片手を伸ばしてナーヒードの腕をしっかりとつかんだ。

「お願い、ナーヒード、わたしをそこへ連れてって」

「いいわ。今度いっしょに行って、お風呂でいろんな話をしましょう。ムスリマは女どうしになると、なんでも話すのよ。夫のぐちとか恋人とのセックスの悩みとか。なにを聞いてもオーケイよ。わたしはドクターだから」

 ナーヒードの明るい笑い声にジェニファーも声を重ねた。シャスヒ王国に来て初めて、心から笑ったような気がした。

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