11 疲労と暑さに倒れる

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月曜日。過労と猛烈な暑さのため、ジェニファーは現場で倒れてしまう。ようやく意識を取り戻したが、そこは外国人専用のクリニックだった。たくましい腕に抱えられたような記憶があるが、いったい誰が運んでくれたの?


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 月曜日。シャスヒの太陽の洗礼を受けて1週間。ジェニファーは重い体をむりやりベッドから引きはがした。夜中に目を覚ますことはなくなったものの、食欲がなく、急に動くとめまいがする。週末も結局、ホテルの部屋で過去の設計データを確認して過ごしてしまっていた。

 あまりにも疲れているジェニファーの様子を見て、今日は休みをとれとエリックは勧めてくれたが、ある程度工事の全容をつかんでおかなければ今後の進行の提案もできない。週末に気づいた部分をどうしても確認したくて、現場に行かずに過ごすことなどできなかった。

 いつものようにエリックの車で現場に向かう。もう少し慣れたら、自分用に1台車を手配してもらおうとジェニファーは思った。現場との往復だけなら運転してもいいだろう。運転するのは好きだから、砂漠を走るのはいい気晴らしになりそうだ。

「今日は口数が少ないね」

 エリックが気づかわしげに、ちらりと横目で見た。

「ちょっと疲れが出て、朝はなかなかエンジンがかからないの。でもプラントを目にすれば元気になるわ」

 ジェニファーは右手首に巻いた革ひものブレスレットを左手の指先でもてあそんだ。アクセサリー類はスーツケースの底にしまい込んでいたが、この素朴なブレスレットだけは、お守りとして身に着けている。編んだ茶色い革ひもに小さなボルダーオパールのストーンを通したシンプルなものだ。オパールはジェニファーの誕生月、10月の守護石だった。そしてもうひとつ、この石は恋愛において積極的な行動をサポートする力があるという。

 親友アイリーンが、このブレスレットを誕生日のプレゼントにくれた。箱のなかのカードをよく読んでね、とアイリーンはウインクした。カードには「好きな人ができたとき、晴れて恋人になれたとき、より親密になるための行動や、ふたりで楽しくすごす行動を後押しするパワーストーンよ」と書き添えられていた。

 ジェニファーの唇にふっと笑みが浮かんだ。アイリーンったら……。

「今日はセクションCの続きからだったな」

 エリックが沈黙を破って、ジェニファーを物思いから引き戻した。

 車はプラントの駐車場のすぐ手前まで来ていた。まだ朝の9時だというのにすでに気温はぐんぐん上がっている。

 スカーフを巻き、帽子をかぶって車から降りる。降りたとたん、外気で喉がひりついた。くらっとして車のドアに手をつき、あわててまた離した。焼けつくように熱かった。

「気をつけて」

 エリックが車の反対側から飛んできて、ジェニファーの腕をつかんだ。

「だいじょうぶかい? やっぱり今日は帰ったほうがいいんじゃないかな」

「ええ、とにかくまずなかに入りましょう」

 エリックに体を支えられながらオフィスまでよろよろ歩くと、カウチにぐったりと腰をおろした。

「エリック、もうしわけないけれど、少しここで休ませてくれる? 気分があまりよくないの。頭が痛くて」

「暑さに負けたのかもしれないな。ちょっと待ってて。いま冷たい水をもらってくるから」

「ありがとう」

 エリックがドアをあけて出ていった。

 自分のふがいなさを嘆きながらも、今日は一日、外には出ずにオフィスで図面のチェックに専念しようと心に決めた。

 そろそろと体を起こし、エリックが帰って来るまでに隣の打ち合わせスペースから、先週まで確認していた図面を取ってこようと廊下にでた。少し動いただけで、頭がくらくらした。それでもどうにか数歩歩いたとたん、割れるような頭痛に見舞われて息がつまった。反射的に目をつぶり、両手で頭をかかえる。誰か人影が走り寄ってくるのが、おぼろげにわかった。声を出そうと口を開いたのと、意識が薄れていくのが同時だった。体から力が抜け、ジェニファーは真っ暗な闇のなかに沈んでいった。


 意識が戻ったとき、ジェニファーは白い天井を見つめていた。頭の下に枕があった。首をめぐらそうとして、ズキンと刺すような痛みを頭におぼえ、顔をしかめて体を硬くする。

「気がついた?」

 白衣を着て白いスカーフで髪を覆った女性がベッドのわきに立っていた。

「ここはどこ?」

 力のない、かすれた声しか出なかった。

「外国人専用のクリニックよ。わたしは医師のナーヒード。あなたは過労と軽い熱射病で倒れたの。プラントのオフィスでね。倒れたのが屋内だったのが幸運だったのよ。いま、点滴しているからしばらく安静にしていてね」流暢な英語で説明してくれた。

「あの……今は何時かしら?」

「今日はずっと眠っていて、いまはもう夕方よ。熱射病は軽かったから心配ないけれど、休養と栄養が必要ね。2日ほど入院して体調を見ましょう」

 2日ですって! 週末休んだばかりなのに、さらに2日も作業を遅らせるわけにはいかない。ジェニファーは医師に食い下がった。

「でも、ゆっくりしているわけにはいかないんです。仕事が遅れてしまうわ。点滴が終わったら帰らせてください」

 ナーヒードは気の毒そうな表情を見せたが、その口調は断固とした医師のものだった。

「いまは砂漠のプラント建設現場で仕事をしているそうね。シャスヒに到着してまだ1週間ほどだって聞いたわ。エリックの話では、あなたが住んでいるサンフランシスコとここでは半日近い時差があるし、あちらは一年じゅう過ごしやすい気候だそうね」

「ええ、でも――」

「自分の健康を過信してはだめよ。人間の耐久力は大したものだけれど、やはり新しい環境には少しずつ慣れなければ。もっと自分をいたわって。今、無理をしたら、他の人にまで迷惑をかけることになるかもしれないのよ」

 ジェニファーはベッドのなかで肩を落とした。この出張では、男性に負けてなるものかとがむしゃらに突っ走ってきた。けれどもその結果、こうして病院のベッドの上にいるのではなんにもならない。目を上げて、ナーヒード医師の顔をしっかりと見た。

「たしかにそうね。あなたの言うとおりだわ。体力が戻るまで、おとなしくしていることにするわ」

 このところこわばりっぱなしだった頬をゆるめてそっとほほ笑んでみる。眉間に刻まれていたしわが、少し伸びたような気がした。

 ジェニファーの笑顔にナーヒード医師もにこやかに白い歯を見せて笑った。

「聞き分けのいい患者で助かったわ、スウェンソンさん」

「どうぞ、ジェニファーと呼んでください、先生」

「ああ、それならわたしのことも、ナーヒードと呼んでちょうだい。医者と患者といっても、今回は休養優先だから、友だちの家に泊まりに来たつもりでいるといいわ」

「ありがとう」

「急に気分が悪くなったり、なにかしてほしいことがあったら、そのベルを押してね。すぐにナースかわたしが来るから」

「はい。なんだかものすごく眠いわ。また眠ってしまいそう」

「よかった。薬が効いているのよ。何も心配しないで休んでね。エリックにはわたしのほうから連絡しておくわ」

 ナーヒードの打ち解けた態度とやわらかな声に、ジェニファーはこれまでの緊張がすっと抜けていくのを感じた。返事のつもりでうなずいたときには、なかば眠りに引き込まれていた。その時ふと、廊下で駆け寄って来た人の記憶が頭をよぎった。たくましい腕に抱えられたような、そんな気がした。そして、これまで嗅いだことのない香りも……。そう考えているうちにジェニファーは深い眠りに落ちていった。

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