07 ラシードの不穏な思惑

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宰相ラシードの贅沢な邸宅。ラシードは、国王の右腕として石油開発事業を担当し、欧米からは巨額の賄賂も得て順調な生活を送ってきた。今さら王子に実権を握られてはたまらない。今回出張してきたアメリカ人の女をうまく利用しなくては……。


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 その日、帰宅したラシード・シャマーン宰相は執事に迎えられ、豪奢な邸宅の広間に足を踏み入れた。水が貴重な資源であるこの国では、ふんだんに水を使えることは成功と冨の象徴だ。それを誇示するかのように、ラシードの邸宅には、吹き抜けになった広間の奥の壁に滝がつくられ、3段に流れおちた水が下の池に満々と湛えられていた。滝をはさんで池の奥にあたる部分には、組んだ石のあいだから緑の植物がみずみずしい葉を茂らせている。

「お帰りなさいませ、ラシード様」

 白いベールで髪と顔を覆った女性が衣擦れの音とともに奥から現われ、ラシードの前にひざまずいた。第1夫人の侍女、ゼイナブだった。

「アイーシャ様が、ご相談したいことがあるので、あとでお越しくださいますようにとのことです」

アイーシャはラシードの第1夫人だ。この国では妻を4人まで持つことが許されている。だが、ふたり目から先をめとるときには、第1夫人の承諾が必要だった。ラシードはアイーシャを愛してはいたが、若い娘につい手を出してしまう癖があり、その後始末のような形で4番目の妻をもらった。その際、第1夫人の同意を得るのが事後承諾になってしまい、以来、後ろめたさからアイーシャの部屋を訪れにくくなっている。

「アイーシャはどんな用件だと言っている、ゼイナブ?」

 ラシードは顎ひげをこすりながら尋ねた。

「いえ、わたくしは言づけをお預かりしただけですので」

「うむ、わかった。食事のあとで行くと伝えてくれ」

「かしこまりました」

 ゼイナブは、流れるような動作で立ち上がると、静かに2階へと階段をのぼっていった。

 ラシードはそれを見送ると広間の奥から喫煙室へと足を進めた。今日のラシードはことのほか機嫌がよかった。それは、意外にもアメリカから来た女技術者のおかげだった。これもアッラーのお導きにちがいない。ラシードは心のなかで神に感謝した。

 ジェニファーという技術者は思いのほか魅力的で仕事熱心なようだが、それはかえってラシードの計画にとって好都合だった。仕事のできるタイプによくあるように、おそらく黙って人の言うことをきくような女ではないだろう。

 人目を引かずにおかないあの容姿で街をうろつきまわってくれれば、それだけでも国王はじめ大臣たちの心象を害するはずだ。自由とやらに浮かれて節操のない暮らしにうつつを抜かしているアメリカ女のことだ。束縛されればされるほど、そこから解き放たれようとするにちがいない。きっとそのうち、ほころびがでる。そこに追い打ちをかけるように現場で事故が起きれば、しめたものだ。あの女は技術者でありながら危険を察知できなかった責任を追及され、ひいては、あの女の駐在を認めたユーセフ王子に対して非難の火の手が上がる。

 ラシードは、〝火の手〟という言葉に思わずにんまりした。

 自分が密かに進めようとしている計画に、なんとぴったりな言葉だろう。このプラントの建設には、巨額の国費が投じられている。失敗すればシャスヒ王国は重大な危機に直面する。ラシードのもくろみどおりに進んで、プラント建設プロジェクトに破綻が生じれば、ユーセフ皇太子は責任能力を問われ、プロジェクトからはずされるだろう。そこに、国の期待を背負って登場するのは、当然ながらラシードだ。

 そもそもユーセフ皇太子がイギリス留学を終えて帰国するまで、現国王のアブラハム・ヒジャドの指名を受け、シャスヒ王国の石油関連事業を取り仕切っていたのはラシードだ。

 国王はまだ石油の採掘技術が発達していなかったこの国の将来の繁栄を確実なものにするために、諸外国の技術協力と支援を仰いだ。アブラハム国王は温厚で国民からの信望も厚く、名君の誉れ高かったが、惜しいことに英語は得意ではない。そこで、そのとき登場したのが英語に長じているラシードだった。

 ラシードは国王を補佐し、シャスヒ王国の石油産業の発展に貢献したが、5年、10年とその要職をこなすうちに、当たり前のように裏で賄賂を要求するようになっていた。もっとも、就任したてのころはまだラシードも若く、愛国心と正義に燃える青年だったから、逆に初めて外国企業から袖の下をつかまされたときにはたいそう驚いた。しかし、慣れとは恐ろしいもので、黙っていても転がり込んでくるカネの魅力にしだいに屈しきれなくなり、自分の家庭を持ち、しかも妻の数が増えていくにつれて出費がかさみ、とうとう賄賂なしには妻子を養えないまでになっていた。

 エナジー・スター社が女技術者を派遣してきたのは、ラシードにしてみれば、そんな窮地から自分を救ってくれる、まさに天啓だった。思惑どおり、ユーセフが石油関連事業のいっさいから外され、ふたたびラシードが統括責任を負うことになれば、また昔のように外国企業から賄賂を積ませてふところを肥やすことができる。

 そのとき、ラシードはさらなる名案を思いつき、ふいに足を止めた。そうだ、そういう手もあるぞ。一石二鳥とはこのことだ。ふくみ笑いが思わず声高な笑いになり、すれ違った使用人が驚いてラシードを見た。

 もうちょっとの辛抱だ。そうすれば、とラシードは自分の胸に言い聞かせた。ラマダン明けの祭りにはうれしい褒美が待っているにちがいない。イン・シャー・アッラー(神のご意思あらば)。

 ラシードはさっそく計画を練りはじめた。

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