A-15「エタる Hn データ、たわい①」
あの日から数日後、俺たちは結束していた。
「我ら二里優美のパワハラ被害者の会は断固として二里優美のパワハラを許さない!」
「おー!」
ちょっと違う方向に。あの夜の後に会話を交わすことは無かったが、俺からの必死なSNSでの説得によりついにカオシンの壁が崩壊したのである。そして目を合わせた瞬間口々に熱い想いが口から湧き出てきたのだった。
「あの女めちゃくちゃウザいよね」
「俺らだってちゃんとやってるのになあ」
「何がこの部屋が0点だよ」
「……」
「は? 同意?」
「してません、してません」
久しぶりに七瀬さんのにらみを受けたが悪い気はしなかった。むしろ彼女が元気になったことがとても嬉しかった。
「何笑ってんの? 殴るよ」
「ここでは殴らないんでしょ」
「あんたは抵抗しないんでしょ」
「まさか」
「あはは」
彼女は笑いながら普通に俺の脇腹をパンチした。殴るのかよ。
「とにかくあの女をぎゃふんといわせないと」
「あれ? 俺たちの目的なんだったけ?」
「ああ忘れてた。ターゲットを捕まえることだったね、ついでにあの女も入れようか」
「うわあ、恐ろしいこと考えるなあ七瀬さんは」
「後光もまんざらでもないくせに」
二人ともニヤニヤが止まらない。毎日が楽しい新婚夫婦のようだ。
「じゃあ封筒の中身を見ようか」
俺の部屋のテーブルを相変わらず囲んでいるわけだが、封筒はあの夜と同じ位置に置いてある。
彼女が力づくで封を開けた。いや、引き裂いた。
「あ、中までやっちゃった」
封筒から真っ二つに切断された紙が落ちてきた。どんだけ力強いんだこの人。
「えーと、ターゲットは『エタる』、これは何?『 Hn』? 『データ』、『たわい』。なんだこれ、あの女適当なこといいやがって! 蹴り飛ばしたい! あ、でも勝てない! クソウ!」
「ちょっと待って」
と言って俺があやうく人力シュレッダーされるところだった紙を奪い取った。彼女は血走った目で空気を殴っている。
「どういうことなんだろうな……」
「あの女、自分が力も立場も強いからって私たちのことバカにして! クソウ!」
隣の部屋からペンギンのぬいぐるみを持ってきて床に叩きつけては拾い上げるということを彼女が繰り返している間、俺は文字をなぞっていた。
「『エタる』とか『たわい』は検索したら出るし、『データ』はわかるんだけど『Hn』みたいなのはなんだろう?」
「しかもnがなんか変だしな」
疲れたのかペンギンを抱きしめながら薫は文字をのぞきこんだ。ペンギンが涙目に見えた。
「何かの暗号かな? 確かサイバー攻撃対策でわざわざ封筒で伝えてきたんだったよね?」
「そーそー、わざわざ私たちに悪口言うためにね。郵送してきたらいいものを」
「確かにわざわざ持ってきたのか、おかしいな」
「あの女は悪口をたたかないと生きていけないんだよ」
「そういう意味じゃなくってさ」
「ん?」
彼女が顔を上げた。そういえばさっきからちょっと距離が近いな。
「そうしなきゃまずいってことなんじゃないかな」
「まずい……?」
「ほら、よく映画でこういうことない? 途中で敵に見つかって暗号が読み解かれてしまったために大ピンチに陥る……みたいな」
「映画の見過ぎじゃない?」
「映画みたいな仕事してるけどね君」
「まあ……そういわれると悪い気はしない」
彼女は得意になったのか胸を張った。君はどちらかと言ったら悪役の方だよと言うのを我慢して、
「だからこれも何かの暗号で敵に見つかってもばれないようにしてるんじゃないかなと思うんだよね」
と言うと、
「マジか……すげえ……」
と彼女が溜息を洩らした。
「いやそれほどでも」
「思ったよりバカじゃないんだね」
「やっぱり前言撤回」
俺の顔がよほど曇ったのか彼女は、
「あ、私も前言撤回」
と言った。
「とにかく、この『Hn』も何かの読み方があるんじゃないかな?」
「読み方ねえ、ハヌ、ハン、フヌ、フン……」
彼女が素直にいろんな読み方をしだした。……なんだかエッチだな。H?
スマホでHと調べると『ギリシャ文字のエータに由来する』と書いてある。
「これエータって読むんだって」
「ハアン……ヒィン……エータ?」
「そう、これギリシャ文字らしい」
「全然H関係ないじゃん、卑怯だなギリシャ人」
「俺たちを惑わすために使ってたわけじゃないんだからさ……」
そう言って文字を改めて見てみる。ターゲットは『エタる』、『エータ』、『データ』、『たわい』……。
気づけば彼女が同じことを声に出していた。
「エタる、エータ、データ、たわい、エタる、エータ、データ、たわい……なんのこっちゃ、やっぱりあの女がハメようとしてきてるんじゃん」
「語呂はすごくいいけどね」
「ん? また私を裏切るのか?」
「裏切らないよ、前も裏切ってないし」
「ほんとに……?」
彼女が目を細めてみせた。口が笑っているので危なかっしくは見えない。
しばらく二人は文字とにらめっこをしていた。
「ごこぉー! 眠い」
「俺も」
二人はそれぞれ部活・バイト帰りに集まってきているのでさっきから瞼とも戦っている。
「エータ、データ、たわい……え……タ……る……」
呪文を唱え続けた魔導士も力尽きてきたようだ。
「そういえばタが多いなこの呪文」
そう言った途端にお腹が呼応するように鳴った。薫はそれを見逃さず、
「確かにね、なんかメシでも食らいますか、ごこー、適当にご飯炊いて塩かけて食おー」
と言った。
「もはやエサじゃないかそれ、しかもなんで俺だけ動く前提?」
「私はこの呪文を解くのに忙しいのだよ助手くん」
また助手か。この人はこういうノリが好きなのかな?
「せめてコンビニに行くか料理かでしょ」
「もうそんな気力ございませーん」
「俺も。もう今日は疲れた」
「ふあ~」
七瀬さんが無防備にもそのまま床に寝っ転がった。あんなに警戒しっぱなしの人だったはずなのにどうしたものか。ちょっとは警戒して欲しいんだよなー。一応彼女がいた異性なんだからさ。
「なんかこんなにも同じ人と過ごしたの初めて」
彼女が目を閉じて静かにしゃべりだした。
「それってどういう意味?」
「え、そのまんまの意味」
「親とは?」
友人と言いかけてぐっとこらえた。
「親はねえ、厳しいから。ていうかデスゲーマーとか殺し屋って基本性格がアレな人が多いから。人間を嫌っているとか憎んでるとかいろいろでね。だから楽しくしゃべって……ていうのが無い」
「……それはつらいね」
「つらい?」
彼女が目を開いた。まずい、また地雷を踏んでしまった。
「つらいって何?」
気づいたときには遅かった。
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