A-13「TWOVLLAGE①」

「はああああ、どうしよう!」

どうしたんだ、七瀬薫。冷凍庫から出したばかりのガッチガチのアイスキャンディーが今やとろけるプリンになっているかのようだ。

「ああ、あの人が来る! あの人が来る!」

 彼女の様相はもう発狂と言っても差し支えなかった。さっき床に崩れたかと思えば立ち上がり、向こうの部屋とこっちの部屋を行ったり来たりし、最終的には向こうの部屋からむせび泣く声が聞こえてきた。


 そーっと壁の穴から覗いてみると彼女がベッドの上でペンギンのぬいぐるみに抱きついているのだった。これ、見ちゃいけないやつだよね多分……。


 俺にも良心と言うものがある。ほっといて見なかったことにしておこう。そろりそろりと音を立てないように引き返し始めた。ところが残念、

「ごぉーこおー!」

悲しき怪獣の叫びが聞こえた。勇者、行ってまいります。


 彼女はそのままの姿でそこにいた。不覚にもその姿には胸にグッとくるものがあった。

「大丈夫?」

「怖い」

「誰か来るの?」

「うん」

「怖いのその人?」

「うん」

俺は小学生と話しているのだろうか。七瀬薫をもってしてもここまで精神的に追い込んでくる人に俺はこれから会うことになるのか? 耐えれるのか? てか会わなきゃダメ?

「ああ……その……」

そんなうるうるした目でこっちを見ないでくれよ。調子が狂うだろ。

「俺にできることはある?」

「たぶん無い、後光には無理」

 無理ィーーーーーー? 壁を見たり、床を見たり、視線がブレる。え、じゃあどうすんのこの空気? 最恐の人が来るまで最強に気まずい瞬間を送らなきゃいけないの?


 今時変に女性と関わるとね、すぐセクハラになっちゃいますからね。この位置から見守っときましょうかね、えへへへへ。(これはこれでアウトか?)


「ごこぉー、慰めて」

慰めてェーーーーー? どうやって? ううん、何か気の利く言葉を投げるか。えーと、えーと。

「きょ、今日は晴れてるね」

「はあ……」

思いっきり溜息をつく七瀬さん。

「あ、なんか買ってこようか?」

「はあ……」

「俺の持ってる漫画で気を紛らわせれるものを――」

「あああ!」

突然大声を出すもんだから、背中が壁にぶつかった。

「使えねえな、この役立たず……」

「え?」

「ほんとこの役立たずって言ってんの!」

サンドバッグにされるペンギン。

「ごめん」

「ああ! すぐ受け流して済ませようとする! バカにされてるんだからもうちょっと怒れよ! そんなことねえよとか言って」

「役立たずは自覚してるから。彼女も救えなかったし、何もしてあげられない――」

「ああもう聞き飽きたそれ!」

何かを諦めたのかペンギンを枕元に放り投げて立ち上がり、俺の近くまでやってきた。

「バーカ、バーカ」

「……」

「おもんな」

再びベッドに戻っていく。大の字にダイブする。何がしたかったんだ? 

「ほら役立たないんなら、さっさと出てけ。女の部屋だぞここ」

 自分が女だと主張するにはかなり野太い声で手を振った。この人は本当によくわからない人だ。合わない人で悪かったね。

 俺は何も言わずに壁の穴を抜け、本棚を戻した。七瀬さんが来る相手に俺が直接会う必要はないだろう。俺はあくまでもただの協力者という立場なんだから。必要、無いよね。



 外はもう真っ暗だ。電気をつけてカーテンを閉め、自分のベッドに座る。今日も疲れた。アパートから一歩も出てないはずなのになあ。よし、メシでも作るか。


 そう思うと急激にお腹が空いてきた。なんとも都合よくできているお腹に感謝して、冷蔵庫の扉を開ける。ああ、今日もしかして買い物に行くべきだった日? これは問題だな。


……カップラーメンでいいすか。いいよね。


 お湯を沸かしている間、ふと漫画ばかりの本棚に目がいった。本棚といえば彼女に住民の情報を伝えれていないままだ。話がそれていってしまったから気づかなかったけど。どうしようか? 


 壁に耳をあてる。うーん、何も聞こえないな。


……気になるな。彼女が少女のような症状になってしまうぐらいの人って。怖い物見たさに見てしまって眠れなくなるホラー映画を目の前にしたような気分だ。


――ピンポーン


『はい! 今すぐに』

彼女が飛び起きたらしい。直後にイテッと声を出していたから角に小指でもぶつけたんだろう。ホントにらしくない。ますます気になってくる。


 扉が勢いよく開く音がした。それと同時に、

『何だ! この貧相なドアは!』

と怒号がした。あれ? 女の人の声だ。

『申し訳ありません! アパートのドアですので――』

『だから変えるんでしょ! 言ったよね、前からもっとセキュリティには気をつけろよって! ドアは内側をもっと厚く、んあ?」

荒っぽい足音がした。

『なんだこの質素な部屋は!』

『しっ……そ……』

『モニターに布をかけてるだけじゃない! もうちょっとカモフラージュしないと! いつ外敵が侵入してもおかしくないというのに! ちゃんとしなさい――』

『そんな余裕ないです!』

『はあっ? 時間は作るものです! いいですか? もうちょっと我々の職業を想起

させないような部屋をつくりなさい!』

『あれはやってます! 仲間作りは』

ギクッ。胸がうずいた。

『お、どんな奴?』

『隣に越してきた私と同じ1回生の大学生』

『は、隣? なんで?』

『か、壁を……』

『壁を?』

『壊したからです』

『壊したあああ?』

『壁が薄かったので聞こえたみたいで、このままではまずいと思って仲間にしました』

 少し間が空く。おそらく今壁の穴の向こうにある本棚の背面を見ているのだろう。冷や汗がでてきた。

『え、じゃあ今もこの壁の向こうで聞いてるってわけ?』

『そ、それはちょっと――』

『あのね、もしも外敵に攻められた時、仲間同士の部屋が両隣にあるってすごいバカなことだと思わない? 拠点を失うのよ? 身を隠さないといけない我々は拠点を散らばらせた方が好都合でしょ』

『は、はい……』

『それに引っ越してきたばかりって。なんなのそれ? いい? わざわざあなたが知らない土地にやってきたのだからパートナーはここの土地を良く知っている人でないと都合が悪いでしょ。友達を作ってるんじゃないの、あなたは仕事相手を作ってるの』

『はい……』

 なんだか彼女が俺を責め立てるような構図だな。それにしてもちょっと厳しすぎるような気がする。さっきからあらゆることを全否定されてるし……。


『ま、仕方ないか。とにかく一度その子と会ってみよう』

え? 来るの? 待って待って待て――


 本棚が一人手に前へ倒れた。その後ろからものすごーく足の長い女性が現れた。さらにその後ろから七瀬さんが謝罪会見顔で手を合わせていた。

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