翌日、昼の碧は大粒の涙を流し、怒号と稲光を飛ばしていたが、それでも夕方になるとそれはまた秀麗な臙脂色を見せてくれた。僕らの夜になると、星たちは顔を見せてくれた。

 僕はいつものように、二二時にそこへ向かった。そしてこれまたいつものようにイヤホンをはめて、音楽を聴いた。今日はarneだ。いろいろなバンドを勧められ、いろいろなバンドを聴くが、やはり気づくとarneとアルパカばかり聴いている。イヤホンからは「chronicle」が流れている。この曲は、僕がarneの中でも特に気に入っている曲だった。一見掴みどころのない歌詞は、僕の脳内で様々な形に変換され、僕の心を浄化してくれる。

そんなことを考えながら夏の大三角を探していると、目の前にスマホの画面が現れた。ブルーライトにやられながらも画面を見ると、サブスクアプリのRe:PerCussiOnのページだった。起き上がると、彼女はスマホを仕舞いイヤホンを外してにこっと笑った。

「こんばんは。」

僕が言うと彼女もこんばんは、と返した。

「あなたが教えてくれたアルパカ、とってもいいね。学校行くときも帰るときも、家についてからもずっと聴いちゃう。」

「そりゃよかったよ。」

なんだか今日の彼女はどこかうきうきとしている。

「今日は星が本当に奇麗だね。天の川もはっきり見える。」

「そうね。昨日の分厚い雲が嘘みたい。やっぱり星が見える空のほうが何倍もいいね。」

「うん。でも曇ったり星が見えたり、いろいろな顔があるのも僕はいいなって思うよ。」

「そうだね。あなたのその考え方素敵。」

そう言われるのは照れるが、僕はかねてからそう思っていた。漠然と宇宙に存在する、水素やヘリウム、少しの金属元素の集合体のことを考えるのもよいが、それらを映している夜空のことを考えることもまた好きだった。紺色に透き通っていることもあれば、灰の雲に覆われていることもある。雨を降らせたり、時には雷を轟かせたり。またある時はまん丸い月を映したり。喜怒哀楽を惜しみなく見せてくれる空には、一種の憧れを抱いていた。それを人生のようだという人もいるが、こんなにも感情に純粋にいられる人生は僕の理想だった。

 彼女は雨で濡れた草など無視して寝転んだ。それを見て、僕も仰向けに寝た。すぐに背中がぐしょぐしょになった。風邪をひきそうだったが、なんかどうでもよく感じた。

「それにしても不思議。なんで夜空を見ているだけでこんなに気持ちがふわってしてくるんだろう。」

彼女が言った。

「どういうこと。」

「だってさ、星なんてただの光る点じゃない。でもさ、私もあなたもそんなただの点に惹かれてこうやってわざわざ毎晩家を抜け出してまで見に来ているんでしょう。」

「確かにね。君はどうしてだと思う。」

「わからないから聴いているのよ。たまにはあなたの話も聴かせてよ。いつも私の話ばかり。」

言われてみれば、僕は彼女の話を聞いているばかりな気がした。

「そうだな。やっぱり視覚が制限されるっていうことは大きいと思うよ。」

そういうと僕は、この文章の冒頭で長々と書いたことを彼女に話した。彼女は街灯に群がる蛾のように僕の話に食いついて聴いてくれた。一通り話し終わると、満足したようにため息をついて、彼女は口を開いた。

「確かに。そういう世界の中で鮮明に見える星ってすごいね。近くにある草や小石、あなたの顔もよく見えないのに、はるか彼方にあって私たちじゃどうやってもたどり着けないものがこんなに奇麗に見えるってなんか素敵。」

「だろ。星に限らず僕は夜が好きなんだ。耳に入る音、足の裏の感触、草のにおい、視覚がない中では、それらすべてが研ぎ澄まされるんだ。ものすごい心が豊かになる。学校や社会の中じゃ経験できないし、一生学べないものがこの時間にはあると思うよ。」

「そうね。じゃあこれとかも変わるかな。」

そういうと彼女は、持っていたレジ袋から何かを取り出した。

「ほら、食べて。」

そういうと、彼女は無理に僕の口に何かを押し込み、いひっと笑った。口の中には、独特の酸っぱさと少しの甘味が広がった。歯ごたえのあるそれは、なんだかよくわからなかった。

「なにこれ。」

「たくあんよ。おばあちゃんが漬けてくれるの。なんとなくここで食べてみたくてこっそり持ってきちゃった。」

そういうと彼女も黄金色に染まった大根をぽりぽりかじり始めた。

「本当だ。ここで食べるとなんか違う。もっとおいしく感じる。」

そういうと、何が面白いのか、彼女は大声で笑った。よくわからなかったが、僕もそれにつられて笑った。夜の草の上に、僕たちの笑い声が弾んだ。


「私ね、今日学校でずっと一人でいたの。」

「え、」

唐突な告白に僕は驚いた。

「あなたのこと考えたら、一人も悪くないかなって。それで一人でやってみたの。」

「どうだった。」

「なんだろ、よくわからなかったけれど、あなたに会いたくなった。やっぱり学校だとみんな他の人といるから。ずっと本を読んでいたけれど、やっぱり少し寂しくなった。そうしてあなたはこんな風に過ごしているんだって考えるとすごいなって。それからすごい会いたくなった。だから今日のこの時間、とても楽しみだったの。」

「そっか。寂しい思いにさせて悪かったよ。あんな話しなきゃよかったね。」

「なんで。確かに寂しかったけれどね、友達にばかにされたり嫌なこと言われたりしなかったし、こういう生き方もあるんだなって思ったよ。多分もうみんなの輪には戻れないけれど、それでもかまわない。教えてくれてありがとう。」

そういうと彼女はタッパーに入っているたくあんをまた食べた。

「それ、僕にもくれる。おいしかった」

「いいよ。」

僕たちはこの日も明け方まで、たくあんをかじりながら星を眺めた。空には三日月が見えた

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