四
十七の夜である。僕はその日も、Re:PerCussiOnを聴きながら星を見ていた。僕は次回の作品に行き詰っていた。その頃の私は、誰かを模倣して文章を書きたいと思っていた。梶井基次郎の「檸檬」のような文章を書きたかった。しかし、どんなに試行錯誤を繰り返しても、あのどこか毒々しい雰囲気は出ないのである。言葉というものは一つとして同じニュアンスのものなどなく、完璧にトレースでもしない限り、人の作品の景は真似できないものということを当時の僕は知らなかった。だから、筆も一向に進まず、考えすぎて頭は柘榴のようにはじけてしまいそうだった。
そのうえ、人間関係のすれ違いもあった。詳しくは言わないが、学校でのことである。思春期である僕は、精神が弱い部類なようで、些細なことも気にしてしまう。そんな自分が嫌で、空に煌めく子らを見上げていた。
僕は音楽を聴く際、一曲をずっとリピートすることはほぼないのだが、その日は少しやけになり、「RPCiO」だけを聴いていたかった。
夏の夜は短い。しかし、ゆったりとした星座の日周運動をぼぉっと眺めていると、時間を忘れることができる。僕は草の上に寝そべり、文学ともいえる曲を聴きながら、僕の頭上を横切るはくちょうやらことやらさそりやらを眺めていた。
すると、僕の隣で草が潰れる音がした。僕は四三回目の再生を止めて、隣を見た。そこには見慣れない女の子が座っていた。僕はすぐに、その子が自分と同じ思春期の少女であることを感じ取った。学校の制服なのだろうか、暗くてよく見えないが、短いスカートの先には、白い脚が細く伸びている。僕に語り掛けるわけでもなく、ただ空を見上げている。僕も同じように起き上がって草の上に座り、イヤホンを外した。そして、彼女の横顔(その日は新月で、なんとなくでしかわからなかった)に声をかけた。
「君も星が好きなのかい。」
彼女はうん、と二文字だけ返した。
「星っていいよな。この宇宙は広い。目の前に見えている星たちは、実は何百光年も離れている。君は、『ペイル・ブルー・ドット』を知っているかい。」
彼女は知っている、と答えた。ペイル・ブルー・ドットとは、ボイジャー一号が六〇億キロメートル彼方から撮影した地球の画像である。案の定、会話は途切れてしまった。しかし、仲良くなる必要もないし、夜空を見上げていればそれでいいような気もして、僕は沈黙の中、カール・セーガンが、私の記憶にしっかりとこびりつかせた「ペイル・ブルー・ドット」についての名言を思い出していた。
「夜空を見ていると、この世界で起こっていることすべてがばかばかしくなってくる。」
今度は彼女が口を開いた。その声は、まだ汚れのない、まさに純なそれだった。
「私、昼の空が嫌なの。阿呆みたいに碧い空。見えるものと言ったら雲と太陽だけ。太陽って恒星の中だと小さいほうでしょ。宇宙には、もっと沢山の星があるじゃない。それなのに我が物顔で威張り散らしている太陽と、それに従うように澄んでいるあの空が嫌いなの。」
彼女は草の上に手を置き、ゆったりと、しかしどこか重みのあるような話し方をした。私にはそれが忘れられない。
「だから夜は好き。近くにある星も、遠くにある星も、こうしてみんな見えている。明るいやつとか暗いやつとかあるけどさ、みんな元気に命を燃やしている。胡散臭い太陽なんていなくなって、何百万光年もある銀河の中の星たちがこんなにたくさん見える。私、ずっと夜でいいと思うの。太陽なんていらないよ。」
急に彼女からの怒涛のセンテンスウェーブを受け、驚いたが、すんなり彼女の言葉は入ってきた。
「確かに君の言う通りだね。僕も嫌なことを忘れたくてこうして星を見ているのだ。でもさ、昼間があるから夜が輝くのではないかな。それに第一、太陽がないと僕らは死んでしまうだろう?」
「別に死ぬなら死ぬ、それで構わないよ。」
彼女はそう言うと、また黙り込んだ。
「何か嫌なことでもあったの?」
「嫌なんてもんじゃない。もう私も宇宙の彼方まで飛んでいきたいって思うくらいの事よ。」
「それは大変だね。それで僕のところに来たのかい?」
「違う、私もたまにここで星を見るの。今日もそのつもりだった。そしたらあなたがいたの。」
「そっか。」
いささか早とちりをしていたようだ。恥ずかしい。
「だけど、今日会ったばかりでこんなこと言うのも変だけど、あなたがいてよかったかも。誰かとみる星もいいね。」
「そうだね。僕みたいに悩みながら星を眺める人がいるとは思わなかったから、なんだか新鮮だったよ。」
時刻は午前一時を回っていた。僕はそろそろ瞼が限界だ。
「じゃあ僕はそろそろ帰る。昼間も学校だったから眠くて仕方なくてね。明日もここに来るよ。」
「わかった。私も行くね。」
私は立ち上がり、再びイヤホンをはめて歩き出した。何度繰り返されたかわからないアルパカの曲がまだ流れている。小説のことも、学校でのことも、もうどこかに消えていた。代わりに微笑みが僕の顔にやってきた。お別れの挨拶はしなかった。
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