第六章
鈴木妙子が、斎藤雅江の家にやってきた。
本来なら、一番いやな相手であるこの女性教師を、母親は家に入れたくなかったが、彼女がどうしても斎藤雅江さんに謝りたいというので、仕方なく家に入れた。母親が案内するより早く、妙子先生は、雅江さんが祀られている、仏壇はどこにあるかと聞いた。
「そのようなものは何もありません。あの子は、そういうことをしないほうが、本人も喜んでいるじゃないだろうかと思って、そうしました。同じ寺にも入れなかったし、あの子一人だけにして、安心させてあげた方が、よほど良いんじゃないかと思ったんです。其れほど、あの子は私たちの事を憎んでいましたし。」
と、母親が説明すると、
「そこまで、憎むべき存在になってしまったんですか。そのようになってしまったのは、私の責任でもあるわけですから、本当にそれは心からお詫びいたします。申しわけ、ありません。」
と、鈴木妙子先生は、手をついて謝罪した。
「どうして先生が、謝らなくちゃいけないんですか?先生は、私たちの事や雅江のことだって、一生懸命指導してくれたじゃないですか。其れなのに、どうして先生が謝る必要があるんです?」
と、母親が言うと、
「そんな、指導なんてとんでもございません。こんな最悪の結果で終わってしまったんですから、指導でもなんでもありませんよ。」
と、鈴木妙子先生は答えた。
「彼女、斎藤雅江さんは、今の吉永高校にはいない、素晴らしい生徒でした。今の吉永高校には、彼女のようなまじめな生徒は、どこにもいませんもの。私たちは、間違えたんです。あんな、世の中なんてどうでもいいと考えている生徒を何とかしようとするよりも、彼女のような、一生懸命生きようとしていた生徒を何とかするべきでした。」
「そうなんですか?私たちは、あの子に、そういう子ばかりなので当たり前だと言い聞かせていたつもりだったんですが。あの子はどうしても受け入れてくれませんでした。」
「それはきっと、寂しかったからでしょう。彼女は、友達が誰もいなくて、寂しそうにしてましたから。彼女はとても、まじめで模範的な生徒でした。その生徒を何もしないで放置してしまった。私たちがいけなかったんです。決して、彼女が悪かったわけではありません。」
そういう鈴木妙子に、母親はいやそうな顔をした。
「そうかもしれませんが、あの子はこの世にはおりません。先生がもっと早く気がついてくれればよかったんですけど、先生は大声を出して、ほかの生徒をとめることしかしなかったということは、あの子からよく聞きました。もう学校の話なんて、信用できませんね。」
「本当に申し訳ありません。彼女をそこまで追い詰めてしまったなんて、私が本当に何とかすべきでした。申しわけありません。本当にごめんなさい。」
鈴木妙子先生がそういうと、
「もう遅いのよ!」
と母親は怒鳴りつけた。
「どんなに泣こうが謝ろうが、あの子はもう帰ってこないし、それにあの子の事なんて、思いだしたくもありません!」
「本当にごめんなさい!」
鈴木妙子先生は、頭を下げたまま言った。
「いくら謝ってもいけないことはわかっていますが、それでも謝らなければならないことは本当ですよね。本当に申し訳ないことをしました。」
幾ら言葉で話しても通用しないということは、こういうことを言うのだろう。
彼女と、母親の意思は決してつながらないことは、誰が見てもよくわかった。
第三者でもいてくれれば又違うのかもしれないが、とにかく二人が通じ合うことは多分ないなとはっきりわかる瞬間であった。
「そうですね、ありがとうございました。」
鈴木妙子先生は、何か決断したようにそういうことを言った。何かきりっとした表情をしている。
「私は、教師を辞めます。私には、教育をするということはできませんでした。」
きっぱりとそういったが、母親のいうことは、というと、こうである。
「ああどうぞしてください。」
「でも、彼女を死なせるのではなくて、生かしてあげた方が、こんな事になるよりもずっと、良かったのではないでしょうか?」
鈴木妙子先生は、そういうことを言うが、母親の顔は、相変わらず自分が正しいと言っているだけであった。改めてごめんなさいと言って、家を出ていく鈴木妙子を、母親は冷たい顔で見送った。
一方そのころ。製鉄所では、又水穂さんが布団に座っていた。天童先生が、又水穂さんの背中をさすったりたたいたりしてやっている。大丈夫よ、大丈夫よと声をかけながら、水穂さんが中身を出すのを促しているように見える。しまいには利用者が、
「水穂さん大丈夫ですか?苦しくないですか?」
と声をかけてしまうほど、水穂さんはひどくせき込むのだった。
「静かに。霊気の施術中は、声をかけちゃだめだ。しっかりやってもらわなきゃ。」
と、隣でカレーを作っていた杉ちゃんが、明るい声でそういうことを言うが、
「でも、水穂さん、苦しそうだし。」
と、利用者は心配そうに言った。
「まあ、そうなんだけど、直伝霊気というのは、ある意味そういうもんなんじゃないの?多少の苦しみはあると思うが、そういうヒーリングというか、変わる苦しみというのはあるさ。おかげさまで、カレーを少しだけ食べてくれるようになったじゃないか。僕は、そこはありがたいと思っているけどね。」
杉ちゃんは、相変わらず明るい声で言うのだった。
「そうねえ。でも、やってもらっているとき、水穂さんはすごく苦しそうよ。だから心配なの。毎回毎回やってもらうたびに、苦しそうに血を出して、なんかかわいそうな気もするんだけどな。」
と、利用者はそういうが、
「それは気にするな。そのあとでカレーを食べる方が優先だよ。だって僕たちは、絶対カレーを食べさせることはできないでしょ。天童先生の力を借りなきゃ。」
と、杉ちゃんに言われてしまった。
「そうねえ。そういう考え方もあるか。」
利用者が少し考え直すように言うと、玄関のドアが急にガラガラっと開いた。
「あれ、誰だよ。」
杉ちゃんがそういうと、
「由紀子です。今日は、有名な方を連れてきたわ。私が、直談判して、ようやく来てもらったの。」
と、いうのだから、間違いなく来たのは由紀子さんである。しかし、
「有名なやつって誰だ!」
と杉ちゃんが言うと、
「熱海でヒーリングをやっている、大槻富士子先生です!」
と由紀子は、直ぐに言った。杉ちゃんたちは、思わず持っていた、箸や包丁を落としそうになった。それほど驚いたのである。
「もしかして、大槻富士子を連れてきたのかな、由紀子さん。」
と、杉ちゃんがつぶやくと、とにかくいってみようと利用者がいって、二人は、急いで四畳半に向ったのである。
「水穂さん、紹介するわ。ヒーラーの、大槻富士子先生。ほら、テレビでやっているからわかるわね?あの被災地で、被災された方に、ヒーリングを施してやっている方よ。そういう方だから、きっと水穂さんの事を楽にしてくださるわ。ね、大槻先生の力を借りましょう。」
「ちょっと待て!由紀子さんがどうやって連れてきたのかは知らないが、なんでこんなやつを連れてきた?水穂さんは、天童先生が付いてるはずだぜ。」
と、杉ちゃんがそういうと、
「だって、いつまでも、苦しそうにしていて、全然よくなりそうな気配がないじゃないの。それどころかますます弱っていくようだわ。それでは、水穂さんがかわいそうじゃない。だから連れてきたのよ!」
と、由紀子は声高らかに言った。
「だけどさ、天童先生のおかげでカレーを食べてくれるようになったじゃないか。其れを維持してほしいから、僕たちは、天童先生に来てもらっているわけであって、ほかのやつに頼む気はさらさらないよ。其れを、なんで今さら別の先生にやってもらおうだなんて。」
杉ちゃんが言うと、由紀子はそれを無視して、
「大槻先生。お願いします。彼の事、助けてやってください!」
と、又手をついて言うのだった。その大槻富士子と言われた女性は、確かにかなりの美女だ。美しいという言葉にもふさわしい感じの女性である。でも、どこか、欠けているような、そんな美しさでもある。
「お願いします。水穂さんの事、助けてあげてくれますか。あたしは、もう、水穂さんがかわいそうでしょうがないんです!」
由紀子は改めてそういうが、大月富士子と言われた女性は、せき込んでいる水穂さんんのほうを見た。天童先生はそんな彼女の言動を無視して、彼の背中をさすっていた。
「銘仙の着物か。」
と大槻富士子先生は、つぶやくのだった。
「そんな人、碌な人じゃないわ。ごめんなさい、今熱海の被災者の施術で、忙しいの。被災された方々は、家を失ったり、大切な方を突然失ったりして、苦しんでいるのよ。あなたは、それよりも低い身分のくせに、そうして誰かに看病してもらって、おまけに、恋人までいて、恥ずかしいと思いなさい。其れが、あなたにしてやれる施術だと思うといいわ。あなたは、そういう身分でしかないのよ。」
「ちょっと待ってください!熱海で被災された方の施術は積極的にやっているのに、水穂さんの事になると、手を引くんですか。そんなの、ひどいじゃありませんか!」
由紀子は急いでそういうが、
「ええ、そうしますとも。ただでさえ、ヒーラーは客商売なのよ。そんな商売で、私の名前に傷をつけたくないから、こういうひとには施術しないの。こんな、貧しい人に施術したことがばれたら、私の名前に傷がつくわ。そうしたら、ヒーラーとして大損害よ。だから、もう帰らせていただくわね。私は、これから、打ち合わせもありますので。」
と、富士子先生は、そういうことを言った。
「待ってください!水穂さんだって苦しんでいるんです。それでは、何とかしてやろうという気持ちになるのは当たり前ではないでしょうか!ヒーラーというひとは、誰でも構わず施術してあげるのが、当たり前だと思うけど!」
「由紀子さんは、えらい勘違いをしているようね。其れは、宗教家とかそういうひとがやる態度よね。私たちは、何の宗教とも関係はないのよ。私たちは、そういうところも、アピールしていかないとね。」
富士子先生がそういうと同時に、水穂さんがさらに激しくせき込んで、とうとう口もとから、赤い液体がぼたぼたと流れ落ちるのであった。天童先生は、気にしないで大丈夫よと言って、急いでその液体をふき取った。
「なんだ。大したことないわ。」
と、大槻先生は馬鹿にしたようにいった。
「私が、いやす必要なんてサラサラなさそうね。こういう病気は、明治とか大正だったら、大変だったかもしれないけど、今はそんなことは毛頭ないわよ。せいぜい、お医者さんに診てもらって、抗生物質でものめばよくなるわ。其れじゃあ、ごめん遊ばせ。」
「ちょっと待って下さい!水穂さんの事を、そんな風に言うことはやってはいけないということは、わかってますよね!そういう仕事をしているのなら、それは心得ているはずでは!」
由紀子は急いでそういうが、
「ええ。心得ているわ。あなたみたいな、そんなまずしい人を相手にしている暇は、私にはないのよ!私の名に傷をつける人は、はっきり言って、施術しても意味がないことが多いの。そういうひとは、変わろうと思っても、変われないはずよ。そういうひとは、応援なんかできやしないわね。」
と、大槻先生は言って、方向転換し、玄関の方へ歩きだしてしまうのであった。
「ああわかったよ。阿羅漢に何を言っても通じないことは、僕も知っているからな。まあ、せいぜい、阿羅漢として、人生を楽しむことだな。まあ、阿羅漢に不可得の話をしても仕方ない。お前さんは絶対、魔訶迦葉みたいにはなれないな。」
と、杉ちゃんがそういうので、由紀子は何が何だかわからなくなってしまい、
「待って下さい!せめて水穂さんに何かしてやってください!」
というが、大槻先生は外へ出てしまった。そして、車に乗り込んで、製鉄所を出ていく音がする。
「おい、塩まいとけ、塩!」
杉ちゃんが、利用者にそういうと、わかりましたと利用者は言って、台所へ直行していった。
「どうして、こんな事に、、、。」
由紀子は力が抜けて、床に崩れ落ちた。
「まあ、水穂さんが、銘仙の着物着ていることを、ちゃんと言ってから行動に移すべきだったんだ。其れだけの事だよ。」
と杉ちゃんは由紀子に言うが、由紀子は涙をこぼして泣き出すのである。
「泣かなくてもいいんだよ。あれは、阿羅漢が悪いんだ。由紀子さんは何も悪くない。阿羅漢が、銘仙の着物を着ている人を馬鹿にしただけ。それ以外なんでもない。だから、悔しく思う必要もないし、苦しむ必要もないの!」
杉ちゃんはからからと笑った。
同時に、水穂さんが、
「杉ちゃん、そういうことをいってくれてありがとう。」
と、小さい声で言って、どさっと布団の上に倒れてしまった。由紀子が水穂さん大丈夫と声をかけるが、
「大丈夫よ。眠っただけだから、水穂さんは少ししたら目を覚ますわ。」
と天童先生が言った。由紀子はそれでも不安そうだったが、杉ちゃんがもうよしてやれと言った。
「大丈夫。阿羅漢のいうことなんて、全然大したことないよ。まあ、えらそうに見える奴らだから、いかにも真実そうに見えるけど、しょせんは阿羅漢だ。大したことないさ。」
杉ちゃんがそういうと、天童先生は静かに水穂さんにかけ布団をかけてやった。由紀子は、涙をこぼしながら、
「杉ちゃんみたいに、阿羅漢だからと言って直ぐに、切り離してしまうことは、私にはできないわ。」
と、いった。
「まあ、そうかもしれないけどさ。お前さんは、阿羅漢に騙されたんだよ。阿羅漢は、そういう風に一見すると、えらそうに見えるの。だけど、話に内容がないんだよ。それに由紀子さんだって、天童先生の施術をいやだと思って阿羅漢に騙されちまったじゃないか。それは、ある意味、僕たちを裏切ったことにもなりかねないぜ。」
と、杉ちゃんはでかい声で言った。
「私はただ、水穂さんが苦しそうだったから、それで楽にしてあげたかっただけで。」
由紀子はそういうのであるが、
「いやあ、人間なんてそんなもんだよ。大切な人を大事にしすぎるあまり、阿羅漢のほうへ走っちまう。もう少し、気持ちを柔らかくというか、気を楽に持つのが必要だ。」
と、杉ちゃんは言った。
「そうね。そして、私たちもあの人みたいにはならないように、気を付けていきなきゃね。」
と天童先生が、杉ちゃんのいうことに加担した。
「ほんとだよ。でもよかった。阿羅漢に施術されたら、たまったもんではないぜ。」
杉ちゃんはからからと笑った。
「ごめんなさい。」
由紀子は涙を流して泣くが、天童先生も、杉ちゃんも彼女に手を出さなかった。そういう事に耐えること、事実は事実として、受け入れることが何より大事なことを学ぶための涙であるのなら、あえてとめないほうが良いと、杉ちゃんも、天童先生もそう思っていたのだろう。
一方、阿羅漢と呼ばれていることも知らずに、大槻富士子先生は、車を走らせていた。少し喉が渇いたので、道路わきに喫茶店が立っているのを見つけて、そこへ入った。
大槻富士子先生が、そこでコーヒーを飲んでいた時の事であった。彼女のスマートフォンが勢いを立ててなる。
「なんでしょう?」
と大槻先生がスマートフォンのメールアプリを開くと、相手は、斎藤康代と書いてあった。
「今日、雅江の担任教師と名乗っていた女性が、うちへお悔やみに来ました。謝りたいと言っていたけど、私は、とても謝って済む問題ではないと言って、追い返しました。彼女は、それを聞いて、教師を辞めると言いましたが、とてもそんなことで解決できることではありませんよね。私は、これでよかったのでしょう?そうですよね、先生。」
斎藤雅江の母親だった。大槻先生は、なんでこんなタイミングで、こんなメールが届くのだろうと変な顔をしたが、直ぐに何もない顔つきになって、返事を打ち始める。
「康代さんこんにちは。今回は、娘さんの担任教師の先生がお悔やみに来たんですね。確かに、娘さんを、教育しないで放置した先生への恨みはすごいでしょうね。先生は、きっと、そういうことを言っても解決しないと思いますよ。教師というのは、そういうものですから。みんな誰でも批判はするけれど、やっぱり自分がかわいいんです。其れは誰でも変わりありませんから。自分を大切に、生きてくださいね。」
と、大槻先生はメールを打って、送信ボタンを押した。其れから数分後、直ぐにメールの着信音がなる。きっと相手は気持ちが不安定になっているのだ。
「でも、どうしたらいいのでしょう。こうしてお悔やみが来て、警察に誰かが話してしまったら。」
と、メールにはそう書いてある。
「いいえ、警察に捕まっても、相手が精神障害を持っていたら、執行猶予がついて、かえることはできますよ。日本の法律はそうなっていますから、大丈夫。其れに、誰か弁護士が付いてくれれば、あなたの気持ちだって、直ぐにわかってくれるわ。娘さんのほうが悪いということは、私も、あなたもちゃんとわかっているでしょうから。これでよかったのよ。」
と、大槻先生はメールを打った。
「でも、本当に、私がしたことはばれずにすむでしょうか?」
相手は少し弱気になっているらしい。
「ええ。大丈夫よ。だって、あなたのしたことは何も悪くないわ。悪いことをしているのは娘の方よ。そのほうが悪いって、誰が見ても明らかじゃないの。それではっきりわかるように、あなたは強気を貫くのよ。そうすることが一番大切だから。」
と、大槻先生はまたメールを打つ。しばらく待ってみたが、それ以上メールがくることはなかった。大槻先生は、それでは、もう帰ろうかとおもって、残っていたお茶を飲みほした。そして、喫茶店にお金を払うと、高級車に突進した。
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