第五章
第五章
その日も暑かった。暑い夏が本格的にやってきた感じだった。こんなに暑い夏の中
、なんでみんなでかけなければならないんだろうかと思われるくらい暑かった。こんな暑い日が続いてしまったら、干からびてしまうぞと杉ちゃんは言っていた。
その日、杉ちゃんと蘭はショッピングモールに買い物に出かけた。日用品などを買いに行ったのであるが、買うものが多すぎて、お昼の時間を回ってしまったので、ショッピングモール近くのパスタ屋に行って、お昼を食べることにした。パスタ屋は昼食時刻だったせいか、高校生たちがたくさんいてこんでいた。しばらく店の前で待たされて、杉ちゃんたちは、店の奥の席に案内された。
「すごいうるさい高校生たちだなあ。」
と、杉ちゃんが、ぼそりとつぶやく。
「きっと恵まれすぎて、本当に勉強しようという気がない奴らだぜ。勉強できるって、すごいことなのか、わからないだろうにな。そういうやつに限って、勉強しておけばよかったとかいうんだ。」
「そういうひとは、もう消滅しているよ。10代で勉強したいなんて、おそらく、昭和の初めくらいにならないといないでしょう。もう勉強したい人は、少数派の扱いを受けているんではないのかな?」
杉ちゃんの発言に蘭は言った。
「まあそうだねえ。あの白いブラウスに黒いジャンバースカートってさ、どこの制服だっけ?高校生は、ブレザーとか、そういうものが多いけど。」
杉ちゃんが言うと、蘭は、
「ああ、たぶんあれは、吉永高校の制服だと思う。確か、昔はブレザーだったと思うんだけど、三年くらい前かな。戦前の制服に戻ったと聞いたよ。」
と、答えた。
「吉永高校って、あの斎藤雅江がいたところだよな?」
と、杉ちゃんが言うと、
「そういうことになるな。」
と蘭は答えた。
「そうかそうか。じゃあ、あそこにいる高校生たちは、斎藤雅江が死んだということは知っているのだろうか?もう、学校側も、何もなかったことにしているのかな?」
と、杉ちゃんが思わずつぶやく。
「きっと学校側だって、彼女の事は忘れているだろう。彼女の事は、直ぐに消し去ってしまいたいんじゃないの?」
蘭もそういったのであるが、
「違います。忘れて何かいません。」
と、ふいに、隣の席に座っていた女性が、いきなり二人に言ったため、杉ちゃんも蘭もびっくりする。
「はあ。どういうことかなあ?」
杉ちゃんが聞くと、
「あたしは、吉永ではないんですけど、でも、斎藤雅江さんという方が、吉永高校で、ひどい目に会いながらも、三年間耐えていられたことを、すごいことだと思っているんです。彼女はそういう意味で、あたしよりも強いんです。」
と、彼女は答えるのであった。彼女は、いわゆる学校の制服としてよく好まれるような、ブレザーにスカートという恰好ではなかったが、それでもしっかりスーツ上下を身に着けているから、たぶん学生なのだろう。
「そうか、お前さんは、今どこの学校に行っているのか知らないが、別に三年間で学校を卒業することを、えらい奴とは思わなくていいんだぞ。それは、すごいことでもなんでもないんだから。それよりも、お前さんは、毎日ご飯をたべられて、毎日安楽に暮らす。其れができれば、それでいいんだ。」
杉ちゃんがそういってあげるのだが、彼女はやっぱり悲しそうだった。
「そうでしょうか。私は今、通信制の高校に通っていますけれど、やっぱり、近所の方から変な目で見られるんです。私は、一度、全日制の高校を中退しているので。今の学校で、どんなに頑張っても、そのことを必ず口にされて、認めてもらえないんです。。其れだったら、やっぱり、嫌な所でも、三年間いて、耐えることができた方が、よほどいいということになるんだろうなと思うんです。」
「そうかもしれないけどさ、すくなくとも彼女は、三年間、高校にいられたかもしれないけど、そのあとで親御さんに迷惑をかけている存在になっている。現に、斎藤雅江さんは、ちゃんとお葬式さえしてもらえなかった。其れでもお前さんは、彼女の事をヒーローだと思う?」
杉ちゃんが聞くと、彼女は、
「でも私は、三年間、高校にいる事ができませんでした。斎藤雅江さんは、やっぱりすごいと思います。」
と、静かに言った。
「そうか、やっぱり学校に行っているやつは、一般的な見方と変わってしまうんだろうか?」
杉ちゃんは一つため息をつく。
「じゃあ頼みがあるんだが、斎藤雅江さんのところに、お悔やみに行ってもらえないだろうか?彼女が少なくとも、地球のゴミじゃなかったという証明してやってくれないかな?」
杉ちゃんがそういうと、
「わかりました。地球のゴミと言われてしまうのも、私、なんとなくわかりますので、行ってみます。」
と、彼女は言った。
「ありがとう。よろしく頼むよ。」
「いいえ、こちらこそです。でも、雅江さんの事件を知ったとき、何で彼女は殺されなければならなかったのか、よくわかりませんでした。彼女は、あんなおかしな高校に、三年間在籍するという、偉業を成し遂げたのに、なんで誰もほめてくれないんですかね?」
「そうだねえ。」
そういう彼女に、杉ちゃんは、はあとため息をついた。
「そういう国民性だからじゃないの?やって当たり前、いって当たり前、出来て当たり前。これが西洋だったら一寸違うかもしれないが、日本では、ほめるというか、そういうことはまずしないよね。」
「そしていったんコースから外れてしまうと、二度と帰ってこれないという。それにしても、君は、斎藤雅江さんの存在をどこで知ったんですか?何か、彼女を知るきっかけがあったんですか?」
杉ちゃんがそういうと、蘭はそういうことを言った。
「ええ。精神科の中で知りました。彼女、斎藤雅江さんが、お母さまと一緒に、病院へ来ていて、学校で会ったことを大声で叫んでいました。私は、そういう症状を持っている人の言葉に、嘘はないことは知っています。だから、斎藤雅江さんの事をかわいそうだと思ったんです。」
「そうか。そういう事もあったのか。ちなみに、お前さんが通っていた、病院というのは何処かなあ?」
彼女の話に、杉ちゃんが聞くと、
「はい、富士岡病院です。」
と、彼女は答えた。おかしくなったら、そこへ行けと言われるほどの名門の精神病院だ。
「そうですか。じゃあ、そこへ行けば、彼女に対する情報がもっと得られるかもしれませんね。それでは、病院へ行って一寸聞いてみましょうか。」
蘭は、スマートフォンをとった。
「僕たち、調べているんだ。彼女を、ちゃんと送ってもらえるようにしてほしくてね。それが僕たちにできる彼女への、お悔やみなのではないかと思って。」
杉ちゃんがそういうと、
「そうなんですね。あたしは何も、協力できるような情報も何も持っていませんが、彼女が富士岡病院に通っていたのは、ほんの短期間だったんで。」
と、女性は、説明してくれた。
「へえ。普通、精神科というと、何十年もお世話になるのが、普通だけどねえ。」
と杉ちゃんが言うと、
「はい、それは私も存じております。ですが、私も、富士岡病院に通っているのですが、彼女は、一か月くらいかな、そのくらい通っていたんですが、そのあとはぷつりと来なくなりました。おかしいですよね。障害年金の許可をもらうとか、そういうためにも、病院は長く通っていた方が、良いんですけど。」
と、女性は、そういうことを言った。
「そうだねえ。確かに、そういうことはわかる。でも、お前さんも、斎藤雅江さんの家へお悔やみに行ってやってくれよ。彼女を、地球のゴミではなく、ひとりの人間にするためにな。僕たちは、」
「うん、杉ちゃん、僕たちは、富士岡病院に行ってみよう。」
蘭は、タクシー会社を呼び出して、富士岡病院へ回してくれるようにお願いした。そのあと、ウエイトレスが持ってきてくれたパスタを急いで食べて、杉ちゃんたちは、女性と別れて、来てくれたタクシーに乗り込んで、富士岡病院に向かった。
病院に行ってみると、受付は、患者さんの事を、外部の人に漏らすというわけにはいかないと主張したのであるが、ちょうどそこへ、杉ちゃん一体どうしたの?と、医師の影浦千代吉が、二人に声をかける。二人は、影浦先生の指示に従って、談話スペースにいった。
「今日はどうされたんですか?二人とも、何か浮かない顔をしてるけど?」
と、影浦は椅子に座りながらいった。
「あの、斎藤雅江さんという患者さんがここに着ていたことはありませんか?」
と蘭が聞くと、
「ええ、僕は彼女の担当医ではありませんでしたが、彼女の事は、よくほかの医者から聞かされた事がありました。彼女は、大変重症な方で、妄想とか、幻聴とか、症状がかなりあったと聞いています。」
と、影浦は答えた。
「それでは影浦先生、彼女がこの病院を訪れたのは、いつの事でしょうか?」
と、蘭が聞くと、
「ええ。彼女は、高校を卒業してから、就職した会社にも通わず、家に閉じこもって何もしなかったそうです。其れを、僕たちは、統合失調症の始まりだったのかのなと、思っています。そうなると、何をしなくても平気でいるようになりますから。ただ、僕ではなくて、別の医者が担当していましたが、彼女を病気だと診断して、入院させてやろうと試みても、彼女の両親は世間体が悪いとかで、相手にしなかったとか。」
と、影浦は答えた。
「そうだったんですか。かえって病気だと診断してあげた方が、彼女を救う手立てになったかもしれないですよね。」
と、蘭は言った。
「ええ。そうかもしれません。ただ、精神疾患の患者さんは、病気の症状で妄想を口にしているのか、本当の気持ちなのかの判断が難しいので、そのあたりが、僕たち医者も頭を悩ませるところなんですけどね。」
と、影浦は、問題点を言った。
「そうですか。でも、彼女は誰が見てもわかるほど重症だったのなら。」
「そうかもしれないんですけどね。蘭さん、体の疾患と精神疾患は違います。例えば、蘭さんのような、足が悪いということは、平気でさらけ出してもいいのかもしれないけど、精神疾患というのは、まだ家の中に隠してしまいたくなるという気持ちが働いてしまうということだと思います。僕たちも、そういう患者さんをよく見ました。とはいっても、精神科医も、何もできないのが、実情ですが。」
「じゃあ、斎藤雅江さんは、ご両親の世間体が悪いということで、家の中に監禁でもされていたのかなあ。」
と、杉ちゃんがそういった。
「ええ、まあそういうことになると思いますね。もしかしたら、そうなることが理想的なことであると、社会が要求してくるのではないかとも思いますよ。この病院には、一か月くらい通っただけ、それからまったく来なくなりました。そうなれば、彼女はもっと悪化していくでしょうから。御両親だって、頑張って耐えているようにはならないと思います。」
影浦は、そういって、お茶を飲んだ。
「精神科関係の人であれば慣れていることも、素人が直面すると、大変なことになりますからね。誰かが助けてやればいいのですが。其れにお願いするまでが大変というご家族は大勢いますから。」
「そうですね。親戚より、頼れる他人を見つけよう。これが、第一錠ですよね。」
蘭は、どこかのテレビ番組で言及されていたことを言った。
「ええ。もちろんです。蘭さんも、よく知っているじゃないですか。やっぱりお客さんの中にいるんですか?僕の患者さんの中にも結構いるんですよ。タトゥーを大事にしている人ね。」
影浦がそういうと、蘭は、ええ、まあといった。
「それでは、先生、彼女斎藤雅江さんは、病院を去って、どこかで治療を受けていたのでしょうか?」
と、蘭が聞くと、
「ええ、それはわかりませんね、医療機関は、別れてしまうと、もう関われなくなりますからね。逆をいえば、それで責任逃れもするんですよね。それでは、いけないんですけど。」
影浦は、一寸ため息をついて言った。
「それではいけないんですが、今回の事件は、先生のような人が居てくれたら、おこらなかったと思います。」
と、蘭は言った。影浦も悲しそうに頷くのであった。
「そうですね。それは日本の医療の問題というしかありません。法律でも変えない限り、欧米のような患者さんと深くかかわれる医療を提供するのは、難しいでしょう。僕も、悔しいと思ったことはたくさんあるんですよ。でも、何もできないですよね。世間体の事とか、そういうことばかりではありません。心を病んでしまった人たちは、悪人とか、犯罪者予備軍とか、そういわれますけど、そういうことは決してないんだということを伝えられたらいいなと思うんですね。」
「ほんとだほんとだ。なんか知らないけど、そういう病気の人って、ヘんな目で見られるんだな。」
と杉ちゃんが、いった。
「まあ、とにかくですね。僕たちがもう少し、権限を持てるというか、彼女たちの弱い部分を支えてあげられたら、良いのですけど。頑張って、それを目指していくように、しなければなりませんね。」
影浦先生の発言に、杉ちゃんも蘭も、大きなため息をついた。
杉ちゃんたちが、そういうことをしている間に、斎藤雅江の家では、ある客が尋ねてくるようになっていた。
斎藤雅江の家に、ひとりの女性が尋ねてきたのである。
「あの、私、雅江さんの事は、病院で知ったんですが、彼女が亡くなったと聞きましたので、お悔やみに来ました。」
そういう彼女は、しっかりブラックスーツを着て、葬儀の恰好らしい、服装をしているのだった。
「私、加藤愛というものですが、彼女と同じ富士岡病院に通っていた時、何度か彼女を目撃していましたので。」
と、加藤愛さんは言った。彼女は杉ちゃんたちが、パスタ屋であった、あの時の女性である。
「そうですか、でも、家族葬で送ったので、弔問とかそういうものは一切お断りしたはずなんですが。」
と、斎藤雅江の母親は、嫌そうな顔をしてそういうのであるが、
「そうかもしれないんですけど、斎藤雅江さんの事が、心配というか、そういう形では、彼女がかわいそうだと思ったので来させてもらいました。」
加藤愛さんは言った。
「かわいそう?どうしてそう思うんです?あの子は、この家にとって何も利益になることはしてこなかったんですよ。だって、お金になることは何も言わないし、変なことばっかり口にするし、雷が鳴れば大騒ぎだし、暇があれば、怖いとか、そういうことを口にして、何もしてくれませんでした。私たちは、楽しい老後生活を娘に奪われました。だから、あの子の葬儀なんてしてやるもんですか!」
母親は、そういうことを言うのであった。
「なんで、そういうことを言ったのでしょうか。其れは、きっと、私も病気だからわかるけど、それは、よほど苦しかったからだと思うんです。なんで、彼女のそういうところをもっと見てやれなかったんですか?彼女は決して悪いことはしていません。ただ、病気になって、それをお二人が受け入れられなかっただけの事でしょう。それでは、あなた方のほうに問題があったのではありませんか?」
と、加藤愛さんは、若い人らしく、そういうことを言った。
「あなたに何がわかるんです?他人に、とやかく言われる覚えはありませんね。」
と、母親はいうが、
「ええ。確かに私は、何もわかりません。でも、彼女は、私にできないことができたんです。彼女は、あのむさくるしいことで有名な吉永高校で、三年間卒業するまで耐えたんですよ。そこをもっと、たたえてやるべきではなかったんですか?なんで彼女にそれを言ってやらなかったんです?」
と、加藤愛さんは話をつづけた。
「私は、全日制の高校を卒業するまで在籍することはできませんでした。其れができないということは、恐ろしいほど白い目でにらまれることは、よくご存じではないでしょうか。其れを、お母さまでしたら、ほめてやるべきだったのに。なんで、それを否定して、自宅に閉じ込めておくような真似をしたんです?」
「それほど、つらかったのよ!あたしたちは、そんなに雅江が学校に行っていて、おかしくなるほど苦しかったなんて、知りもしなかったわ。ただ。あの子は、働きたいと言っていたから、そのための準備はさせてやりたかったけど。」
母親は、一寸頓珍漢なことを言い始めた。
「無責任な。そういうことを知らなかったで片付けられるとお思いですか?知らなかったで片付けられる問題ではありませんよ。彼女が、おかしくなった時、気が付いてやれなかったということが、一番問題ではないかと思うんです。其れは、してくださらなかったんですね。」
加藤愛さんが、そういうと、
「そんなことはないわ。私たちは、出来ることをやったのよ。それが結局、あの子の事を、抹殺することになったんだけど。でも、私たちは、間違ってはいないわ。其れは、そう思わなければ、生きていかれないのよ。其れしかないじゃないの!」
と母親は、加藤愛さんに怒鳴りつけたのである。
「其れしかないと言っても、どうしてもかえなければならないことだって、あると思います。其れをしなければならないことだってあると思います。」
加藤愛さんはそういうことを言うが、
「あなたみたいな、若い人に何がわかるというのかしら。もう用はないわ。すぐに出て行ってよ!」
と、母親はすごい剣幕で彼女にそういったのだった。
「せめて、雅江さんにお線香でもあげさせてもらえないでしょうか!」
と、加藤愛さんはいうが、おかあさんは、急いで台所に走っていった。そして、加藤愛さんに、塩をぶちまけて、
「とっとと出てって!」
と怒鳴りつけたのであった。加藤愛さんは、お母さんを悲しい目で見つめて、
「又来ますよ。彼女、斎藤雅江さんが、どんな目に会ってきたのか、私、わかるような気がしてしまうんです。」
と、小さな声で言って、斎藤雅江さんの家を離れていったのであった。
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