第三章

第三章

華岡たちが帰ってから、その日蘭は誰も施術の予約が入っていなかった事を思いだし、とりあえず、彼女、斎藤雅江さんの家にお悔やみに行ってみることにした。彼女が、予約した時に教えてくれた住所を、タブレットに打ち込んで、検索してみる。

「確か五貫島に住んでいると言ってたな。」

タブレットは、ちゃんと五貫島をしめしてくれた。しかし、五貫島は歩いて行けそうな距離ではない。ましてやこの夏の暑い日、歩いて来れるとはあり得ない話しだった。では、彼女は車の運転免許証を所持していただろうか?確か予約した時はバスでくると言っていたので、蘭はバスを調べてみたが、五貫島を発着するバスは、バスというより大型のタクシーのような、コミュニティバスであった。車いすでも乗れるかなと蘭は心配になったが、とりあえず、黒い着物に着替え、最寄りのバス停に行って見ることにする。

五貫島行きのバスは、数分後にやってきた。前述した通り、バスと言うより、大型のタクシーのような車両であった。中には誰も人はいなかった。運転手は蘭を見ると、すぐに手慣れているかのように、バスに乗せてくれた。

「どうもありがとうございます。五貫島まで御願いします。」

バスの運賃は前払いであったから、蘭は急いで運賃箱にお金を入れた。運賃は、何処へ行っても一律で二百円。其れも蘭には都合が良かった。バスだから大変鈍かったけど、ちゃんと蘭を五貫島まで乗せて行ってくれた。

「ありがとうございました。おかげで助かりました。」

運転手に丁寧に挨拶すると、運転手は又利用してくださいねといった。もうほとんどの人がマイカーで移動してしまっている時代なので、バスというものはあまり必要なくなっているのだと蘭は思った。

バスが走り出すのを見送ったあと、蘭は、斎藤という家を探した。この辺りに集合住宅は比較的少なく、一軒家が多い地域であった。多分、葬儀があっただろうから、花輪がたっていたり、自宅の前に何か置かれているだろうなと予測してはいたが、そのような家は何処にもなかった。せめて提灯でも飾ってあるのではないかと蘭は思ったが、其れもなかった。

「あの、この辺りに用があるんですか?さっきから、この辺りを、嗅ぎまわるような真似をして。」

少し警戒心の強い表情で、中年の女性が声をかけてきた。

「ああ、すみません。この辺りで、斎藤雅江さんという女性の葬儀があったはずなんですが?」

蘭がそういうと、

「ええ。確かに、斎藤雅江という人物がうちで暮らしていましたが?」

と、女性は答えるのだ。どうもその言い方が、何だか他人事というか、なかった事のような言い方であるのが蘭は、ちょっと気になった。

「あの、あなたは、斎藤雅江さんの。」

と、蘭が聞くと、

「はい。母親です。」

いかにも事務的な答え方だった。

「あのう、斎藤雅江さんが亡くなったというのなら、花輪を出すとか、葬式の案内板を出すとか、いろいろやることがあるでしょう、其れなのになぜ、何もしないで平然としているんですか?何か、事情とか、そういうものがあったんでしょうか?」

蘭は思った疑問を母親にぶつけてみた。それに、この人、実の娘さんが亡くなったはずなのに、何も思っていないような顔をしている。

「ええ、葬儀はもうとうの昔に済ませてあります。葬儀というか、告別式は行わず、火葬場へじかに持っていくという直葬という形で御願いしました。お寺には、私たちとは別に、永大供養してもらいました。多分きっと娘もそれで良いと思ってくれるでしょうから、私たちはその通りにすることにしました。」

女性は、淡々と、事務的にいうのだった。

「ちょっと待ってください。それでは、親戚の方々とか、彼女の知人の方とか、そういう方も呼ばなかったんですか?それはちょっと、亡くなった人に対して、酷というものではないかと思うのですが。」

と、蘭は女性に向って、そういうと、

「ええ、確かに、親戚の方々とか、そういうひとはいますけど、あの子がおかしくなってから、みんな私たちと関わらなくなってしまいました。だから、なんでも自分たちでしなければならなかったんです。それに、私たちも、これでやっと、親戚づきあいを再開できるとして、喜んでいるんです。あの子は、親戚一同を敵に回して、親戚の人にああだこうだと言って、私たちがとめても効きませんでしたので。」

女性は、いかにも嫌そうに言った。

「でも、そうはいってもですよ。実の娘さんをなくされて、悲しくはならなかったんですか?せめて、家族葬であったとしても、告別式はやってやるべきではなかったのでしょうか?」

蘭がそういうと、

「あなた、何者ですか?」

女性は訪ねる。

「申し遅れました。僕は、彼女の腕に刺青を施術しました伊能蘭と申します。」

蘭がそういうと、女性は蘭を馬鹿にしたような表情で見た。

「ああ、以前あの子がそういうことを言ってました。私の話をやっときいてくれたのは、刺青師の先生だって。でも、それが何だっていうんです?そんなことしたって、あの子は何も変わらないですよ。だから、今回、ちょっとやり方は酷かもしれないけど、あの子がいなくなってくれて、あたしたちは良かったと思っているんです。」

「そんなこと言わないでください。すくなくとも僕のところへ来た彼女は、ほんの少しだけですけど、まえむきに成ろうとしてくれました。僕は、確かに刺青というのは、暴力団とか、そういう人ばかりがするものというイメージがあるんですけど、入れる前の自分には二度と戻れないことを、そういうひとたちの、立ち直りの道具として使って欲しいと思っているんです。確かに美容整形して、傷跡を消すということはできますが、大概の人たちは、それはできませんよね。だから、そういう時にこそ、刺青を使って欲しいと思っているんですよ。そういうことは、海外では良く行われています。日本人も外国でも、路頭に迷っている若い人たちは増えているんですから、そういうひとの、助けになれるような、そんな道具になってくれることを目指しているんですよ。」

冷たい口調でいう母親に蘭はそういう言葉を言って対抗したが、

「あのですね。そういうことは、何をしたって変われないじゃありませんか。私たちだって、偉い先生に見せたりしたんですよ。其れなのにあの子ときたら、ますますひどくなって帰ってきたりして。そういうひとに見せても何もならないということは、私もよく知っています。だから、こうなってくれて、私たちは、一番良かったと思っているんですよ。それを今さら、いけないだなんて。何をいうんですか。私たちのしたことが、悪いことだったというのなら、私たちだって、夫婦で心中するしかなかったと思いますよ!」

と、母親はいうのだった。

「でも、実の娘さんが不可解なやり方で亡くなったと聞いて、本当に悲しい気持ちとか、悔しい気持ちなんかにならなかったんですか?」

と、蘭はもう一度そこだけ確認したくて、そう言ってしまったのであるが、

「ええ、思いません。だって、娘は生きていたって何も価値はないことは、よく知っています。それに日ごろから死にたいともこぼしていましたし。私たちがとめようとしても何もないし。だから、もうそれで良いと思います。だから、私たちも、あの子を送り出すことはしないし、一緒の墓にうめてやることだってしたくありません。これでもう決着がついたんです。それでいいじゃありませんか。今さら、私たちが悪人だと責められる筋合いは毛頭ありませんね!」

と、母親は言った。

「せめて、雅江さんにお線香でもあげさせて貰えませんか。すくなくとも、僕は彼女とは、かかわりを持ったわけですから。」

と、蘭がいうと、

「けっこうでございます。あんな家を荒れ放題にさせた女に、線香をあげる必要はありませんし、お悔やみの言葉もいりません。戒名さえ、お金がかかるから、御願いしませんでした。だから、もう娘はいなかったことにしたいんです。」

母親は、蘭を追い出すようなしぐさで、そういうことを言ったのである。

「そうですか。かわいそうに、娘さんは、あなた方に愛してもらいたかったのかもしれません。それで、暴れたり、叫んだり、リストカットをしていたのかもしれない。それでも、あなた方は、娘さんを家族として、葬儀をしなかったわけですか。」

と、蘭は、大きなため息をついて、そういったのであるが、母親の表情は変わらなかった。もう彼女がいなくなってくれてよかったんだ。ひたすらに彼女はそういうことをしめしている。

「かわいそうなのはどちらかしら。本人じゃ無いと思いますわ。本人には、いろいろ相談できる場所がありました。でも、私たちは、どうして何もなかったのでしょうか。」

まあ確かにそれはそうである。医者も、カウンセラーも、本人のためにいる。でも、家族には何もツールがないのは確かなのだ。たとえば家族のための勉強会等が行われている施設や病院等もある。でもそれは、そういうところに巡り合えなかったら、確かに家族のための相談機関は無いに等しい。

「そうかもしれませんね。でも、彼女は、少なくとも、僕のところに来てくれた時は、一生懸命変わろうとしていたと思います。それだけは僕はちゃんと見ていますから、それは保証します。命が奪われたということは、彼女が、変わろうというきっかけも奪われたということになります。」

蘭は、そういうことを言ったが、母親は冷たい顔をしたままだった。それほど、彼女に振り回されたということだろう。でも、誰かに助けてということは本当にできなかったのだろうか。たとえば、行政に頼むとか、民間の施設に頼むとか、そういうことは、できなかったのだろうか。蘭は疑問符を外せずにいた。

「あの、帰っていただけませんか。せっかく娘に会いに来てくれたんでしょうけど、娘はもう何処にもいませんから。この世から、完全に消し去ってしまったんです。」

と、母親はそういうことを言いだした。蘭は、せめて彼女の直葬を執り行った寺を教えてくれと言いたかったが、そういう事も聞くことはできなさそうだったので、ありがとうございましたとだけ言い、かえっていった。

「あーあ。」

自宅に帰った蘭は、大きなため息をついた。隣にいた杉ちゃんが、

「何をそんなに大きなため息をついてんだ。」

というくらい、大きなため息だった。

「いやあ、あの、女性さ。斎藤雅江さん。彼女は何のために生きていたんだろうなという気がしたんだよ。」

蘭は思わず杉ちゃんに言ってしまった。

「はあ、それがどうしたんだよ。その人が蘭に何かした?」

「そうか、杉ちゃん文字読めないから、ニュースも何も知らないんだね。ほら、潤井川の中州でさ、遺体でみつかった女性だよ。今日親御さんのところに行って、お悔やみに行こうと思ったんだけどね。親御さんは、葬儀もしなかったばかりか、戒名も書かなかったし、同じお墓にも埋めてあげなかったというんだ。」

杉ちゃんにそういわれて、蘭は今日あったことを話してしまった。

「そうか、でもねえ。障害があるっていうやつは、そうなるのかもしれないぞ。これからの世の中は、能率ばかりが重視されてくるだろうからね。そういう、お金を作れる奴だけが、優遇されてさ、それができないやつは、もう死んでしまえという奴はいっぱいいるじゃないか。それが強すぎた奴が起した事件だってあったんだ。まあ、そういうことだろうな。僕らもそうなるんじゃないの?」

杉ちゃんに言われて、蘭は、そうかもしれないね、と言った。

「確かにそうかもしれない。でもさ、そういう結末しか待っていなかったって、彼女は予想していなったんじゃないかな。そういうみじめな最後しか、できなかったということに。」

蘭は、そう話をつづける。

「まあねえ。確かにそうかもしれないね。モーツアルトだって、神童としてもてはやされたけど、最後は、数人しか寄ってこなかったというし。」

杉ちゃんがそういうと、

「それは昔の話しだろ。今は時代が違うよ。」

蘭は急いで反論したが、

「それはどうかなあ。」

と、杉ちゃんに言われてしまった。

「いつだって、同じじゃないのか。だからこそ、相模原の大量殺人だってあったんだからさ。」

「そうか。でも、彼女はすくなくとも、僕の前では、まえむきに成ろうと思っていた。それは事実だぞ。それを僕は、信じてやりたかったな。せめて、彼女の梅の花を完成させたかった。彫師として、残念だと思う。」

こればかりはある意味では、個人の思想の問題であると思われた。そういうところはちょっと宗教的な問題でもある。蘭はそう信じているから、そういう思想を持てるのかもしれないが、それがない人は、母親と同じ思想になってしまう可能性もある。

「まあ、蘭は優しいからね。世のなかには、どうしても自分では解決できない問題に振り回されて生きている人はいっぱいいるよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「水穂さんだって、同じようなことじゃないか。多分彼だって、おそらくそうなるんじゃないの。葬儀屋だって、水穂さんのもとには寄り付かないだろうし、寺だって、彼を受け入れてくれるかどうかね。そういう身分のやつを、うちの寺にいれたらまずい!とか血相を変えていうんじゃないかな。」

「水穂、奴は一体どうしてる?」

と蘭は、急いで杉ちゃんに言った。

「どうしてるって、相変わらず製鉄所にいるよ。まあ、困ったもんだよね。食事も碌に食べないしさ。この前は、天童先生に霊気をしてもらって、やっと食べてくれた。」

杉ちゃんが答えを出すと、蘭はがっくりとした顔をした。

「どうしてそうなるんだろう。あいつは。そこさえ何とか成れば、あいつは助かる可能性はあるんだけどなあ。」

「まあ、無理だねえ。同和問題を解決するのなら、日本の歴史を変えないと無理だろう。医療を受けるって言ったってさ、相手がそういう奴なら、すぐ逃げちまうだろ。そういうもんだよ。」

杉ちゃんがそういうと、蘭は何か決断したような顔をした。

「よし!奴にしめすためにも、僕はもう一度、斎藤雅江さんの事件を調べなおしてみるよ。幸い、華岡も協力してくれるだろう。それを利用して、もう一度事件の真実を掴んでみる。」

「よせ!水穂さんと、斎藤雅江さんは全然違うよ!」

杉ちゃんは急いでとめたのであるが、そうなると人の話を聞かなくなるのが蘭であった。そうなった蘭をとめるのは、非常にくろうするのを杉ちゃんも知っていたから、

「まあ、お前さんの好きなようにやれ。」

と、言ってしまったのだった。

「とりあえず、彼女が関わったところ、そこをしらみつぶしに当たってみるよ。まずは、彼女がどんな人物だったのか、を聞き出すことだな。」

蘭は急いで、スマートフォンをとり、華岡に電話をかけてみた。

「ああ、華岡か。あの、斎藤雅江さんの事件はどうなった?何か、犯人につながるものはあったんだろうか?」

「それがなあ。」

電話の奥の華岡は、困った顔をしているのだろうか。そんな感じの口調であった。

「誰も、彼女が死亡した時刻に、潤井川で彼女の姿を目撃したやつもいないし、不審な人物もいなかったというんだ。そういうわけで、俺たちも彼女の事は、情報がなさ過ぎて困っているんだよ。」

「そうなんだね。じゃあ、ちょっと教えてくれ。彼女は、この富士市の出身なのだろうか?それとも何処かほかの県から移民してきたのか?」

蘭が聞くと、

「ああ、彼女は、文字通り富士市の出身で、富士市で育った。最終学歴は、吉永高校だ。最近問題児を多く出している高校だが、彼女もその一人だった。」

と、華岡は答えた。

「そうか。吉永高校か。あそこは、確かに今でこそあれていることで有名だが、昔は、有名な師範学校だったよな。その神話ばかりが大きすぎて、問題点に気付いてやれないことは、僕のお客さんでも多かった。」

「そうだなあ。確かに、吉永高校は今でこそ問題が多いんだが、一昔前は、確かにいい学校だった。俺たちが逮捕した奴にも周りのやつが、そういうことを言っていたせいで、犯罪を犯した奴がいっぱいいる。」

華岡もそこは知っているらしい。蘭の話に同調した。

「じゃあ、吉永高校時代の担任教師とか、そういうひとにあわせてもらうことはできないかな。僕もちょっと聞きたいことがあるんだ。」

と、蘭がいうと、

「ああ、お前もそうしてくれるか。担任教師は、今はすでに隠居生活に入っているようだが、富士市内で暮らしているそうだ。名前と電話番号をメールで送るよ。」

と、華岡は言った。数分後、蘭のタブレットにメールが入る。そうすると、彼女の高校三年の時の担任教師は、富士市の浮島に住んでいるということだった。蘭は華岡に礼を言って、彼女のもとへ行ってみることにした。

「まあ、お前が話をするのは、簡単ではないと思うぞ。教育関係者は、お前のような人間に、偏見のあるやつが多いから。それは、お前もわかるだろ?」

と、華岡は心配そうに電話で話しているが、

「ああ、それはしょうがない。ちゃんと話をするから、そこは何とかするよ。華岡、情報をありがとうな。」

と蘭は、御礼を言って、急いで電話を切った。

「よし、僕はこれから、ちょっと浮島に行ってくる。彼女、斎藤雅江さんの担任教師であった女性、鈴木妙子さんにあってみるよ。それで、斎藤雅江さんが、病気になる前はどんな生徒だったか、聞いてみる。」

そういって蘭は、鞄の中にスマートフォンとタブレットをしまった。

「ああ、そうか、まあ夢中になると全部忘れちまうのがお前さんだ。僕もお前さんが暴走しないように、ついていくよ。」

杉ちゃんが、蘭にそういった。二人は、障碍者用のタクシーをチャーターして、浮島地区に向ったのであった。




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