第3話 高峯さんと日本史の勉強

 隣の席の高峯さんは、どうやらちょくちょく異世界に行ってる。


 怪しげな魔術を覚えたり、気軽に腕を生やせるようになったり、ランチに竜を食べてみたりと、異世界ライフを満喫している様子の高峯さんだが、学校には毎日欠かさず登校してくる。彼女のこういうところは、はっきり言って素晴らしいと思う。向こうでの生活に入り浸りになってもおかしくはないのに。


 高峯さんについて素晴らしい点がもう一つ。それは、勉強も真面目にこなすことだ。


 彼女の成績はいつだってトップクラス。異世界と行き来している弊害か、授業中はしょっちゅう居眠りしており、テスト前になると僕に「ノートを見せて欲しい」とお願いしてくるものの、本番ではしっかり点数を取ってくる。しかも、ノートを貸している僕より高い点数を。これについては大変悔しいところだが、僕の努力が足りないせいなので仕方がない。


 さて、期末テストを翌日に控えた7月のある日の放課後。僕と高峯さんは誰もいない教室でいつものように隣同士で座っていた。「勉強を教えてほしい」という彼女の依頼を受け、放課後にふたりで自習することになったのである。


 高峯さんはノートや教科書を机に並べながらご機嫌な鼻歌を歌っている。ちなみに今日の彼女は槍や短刀、杖や猟銃、ヌンチャク、三節混など様々な凶器を腰に携えた天下無双スタイルだ。曰く、なんでもアリの武闘会を剣一本で優勝し、その証として参加者たちの使用していた武器を奪ってきたのだという。やっていることがほとんど武蔵坊弁慶である。


「ごめんね、堀くん。テスト前なのに勉強に付き合って貰っちゃって」

「いいんだよ。でも、高峯さんが僕に教わることなんてないんじゃないの? テストの成績、僕なんかよりずっといいでしょ」

「そんなことないよ。わたし、日本史のテストいっつも赤点だもん」


 そういえば、高峯さんは日本史が全然ダメだ。いつぞやの授業中に源義経の素性について先生に問われて、「子供の頃は天狗に修行をつけられたんですよね」なんて本気の顔で答えていたことがある。きっと、昔読んだ漫画やアニメに影響されているんだろう。彼女にはこうした可愛いところがある。大量の武器は抱えているけど。


「よし。じゃあ、高峯さんが苦手な日本史からやろうか。今回の試験範囲は南北朝時代から戦国時代にかけてだからーー」

「その前に、ちょっといいかな堀くん」


 僕の話を遮った高峯さんは恐る恐るといった感じで訊ねてきた。


「この世界の織田信長って、男でいいんだったよね?」


 ……何を言ってるんだろう、高峯さんは。男の信長以外が存在するのか? いや、そんなものはいない。少なくとも、この世界には。


「まあ、男だね」と僕が答えると、高峯さんは「だよねだよね! よかったぁ」と心底安堵したように胸を撫で下ろした。


「……よくわかんないけど、とりあえずよかったよ。じゃあ、早速ーー」

「あ、ちょっと待って。男の信長って竜に乗って戦うドラゴンナイトタイプだっけ?」


 男の信長でも……いや、たとえ女の信長がいたとしても、竜騎兵ドラゴンナイトではないだろう。


「竜に乗るタイプの信長は、ちょっと知らないかなぁ……」

「あ。じゃあ、骸骨の馬だっけ?」

「うん、竜でも骸骨でもなくて、乗ってたのは普通の馬だね」


 高峯さんは納得したように「そっかぁ」と呟くと、早速ノートにペンを走らせ、『信長は普通の馬に乗る!』と赤い文字で書き込んだ。


 まずいな。高峯さんが普段どんな異世界に行ってるか知らないけど、向こうの信長は相当ヤンチャしてるらしいぞ。いや、ヤンチャ度でいえばこっちの信長も似たようなものか? 


 とにかく、これは勉強云々の前にお互いの常識のすり合わせが必要だ。この点ですれ違っていたら、勉強なんていくら積み重ねたところで無駄に終わる。


「ねえ、高峯さん。一つ問題出してもいいかな」

「ん。どしたの、堀くん」

「徳川家康って、何をした人だかわかる?」


「えーっと……信長、秀吉と同じ戦国時代を生きた人で、幼少期は人質に取られたり、青年期には危うく信玄にやられそうになったりしたけど、運の良さや時政を読む力で生き延びて、秀吉の配下に降ったあとはその才覚により発言力を高めていって、秀吉の死後は五大老筆頭になって天下取りへの道を着実に歩み、大坂夏の陣を勝利で終えて天下を納めてからは、265年にもおよぶ江戸時代の礎を築いた……魔族と人間のハーフ、だっけ?」


 9割合ってるのに最後の一言で全部台無しだよ、高峯さん。テストじゃ間違いなくバツ喰らうどころか「ふざけてんのか」って呼び出しコースだよ。上等な料理に蜂蜜ぶちまけるってこういうことを言うんだね。魔族と人間のハーフって何? 突然の幽遊白書? というか、魔族と人間のハーフを追い詰めた信玄って何者?


 しかし、これでようやく理解できた。


 要するに、彼女は不必要な情報を知りすぎているのだ。そしてその不必要な情報が正しい歴史の理解を阻害しているのだ。こうなると、もうどうしようもない。


 目指すのは歴史の正しい理解ではなく、単純な丸暗記だ。


「……高峯さんが日本史ができないのは、ちょっとした勘違いのせいだね。うん、間違いないと思う」


「か、勘違いかぁ……薄々はそう思ってたけど、そうだよねぇ……イロイロ混ざっちゃってるんだね、わたし」


「でも、気を落とすことはないよ。だからーー」


「そうだ! 勘違い、無くしてみない?」


 詳細を聞くのも嫌だったが、僕は一応 「どういうことかな」と彼女の提案の意図を訊ねる。


「だから、実際に歴史の偉人に会ってみるの! 信長とか家康とか! きちんとこの目で見れば、勘違いなんて無くなるでしょ!」


「いや、学校のテスト程度なら、教科書をきちんと読み込めば……」


 僕のアドバイスなんて何のその。高峯さんは止まらない。目をキラキラさせながら席を立った彼女は、日本史の教科書の戦国時代について書かれたページを開くと、「開いておいて」と言ってそれを僕に持たせる。ちょうど試し割りの板を構えるような格好になった僕は、大変不安な思いをした。


 高峯さんはこれから何をするつもりなんだろう。嫌な汗が止まらないのは、彼女が自らの髪の毛を数本引き抜き、それを人差し指に巻きつけて、何やら呪詛のようなものを唱え始めたからだ。


 高峯さんの身体が青い光で満ち、彼女を包むように強い風が発生し、その風によって彼女の腰にぶら下がっている凶器が揺れてぶつかり合い、ガシャンガシャンと音を立てる。


 怖い以外の何者でもないよ、高峯さん。僕、このまま上半身だけ消しとばされないよね?


 纏っていた青い光が自らの左腕に収束するのを見た高峯さんはーー「イヤーッ!」と気合の雄叫びを上げながら、その光る左腕を勢いよく突き出したッ!


 左腕は僕が持っていた歴史の教科書に直撃。彼女の左腕は教科書を貫通したかと思いきやーーまるでトーストの上に乗せていたバターが表面に染み込むようにジワジワと、彼女の腕は教科書の中に入っていった。


 それから数秒後。彼女はニッと口元に僅かな笑みを浮かべると、教科書に入っていた腕を一気に引き抜く。すると、まるで魚が釣り上げられたように、ふたりの男性が教科書から飛び出してきて、教室の床に打ち上げられた。


 片方はいかにも神経質そうな目つきの方で、「我を竜騎兵ドラゴンナイトだと知ってのことか?!」などと喚いている。

 もう片方はガッシリした体格の方で、両腕を組みながらこちらを睨みつけるその目と、肩甲骨の辺りから生えた邪悪な翼が特徴的だ。


「……高峯さん、この人たち、誰?」

「誰って、信長と家康」


 竜騎兵ドラゴンナイトと魔族と人間のハーフじゃん。


「堀くぅん、勘違いしてたのはどっちだったのカナー?」


 いたずらっぽい高峯さんの微笑みと、「どこじゃ、ここは!」と喚く信長ドラゴンナイトの叫びによって、僕の持っていた歴史観は足元から崩れ落ちた。


 翌日に行われた日本史の期末テスト。僕と高峯さんは二人仲良く赤点を取って、夏休み中に三日間の補修を受けることが決定した。

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